お金の使い方と馬鹿の教育 第4話 誰が嫁と姑を敵同士にした?
第4話 誰が嫁と姑を敵同士にした?
――悪口文化をなくせば、共同生活はもっと楽になる
私は以前から思っていた。
嫁と姑って、そんなに喧嘩しなきゃいけないものなのか?
昔のテレビドラマでは、嫁姑の対立というのは定番の題材だった。
『渡る世間は鬼ばかり』なんて、その代表的な作品の一つだろう。
もちろん、あのドラマにも家族の絆や助け合いは描かれている。
だけど、私が気になるのは、家族同士の不満や悪口が、娯楽として繰り返し消費されてきたことだ。
嫁は姑の悪口を言う。
姑は嫁の悪口を言う。
夫は板挟みになる。
そして視聴者は、自分の家庭に置き換えて話す。
「うちの姑もそうなのよ!」
「嫁って本当に生意気よね!」
さて、これを何年も続けたら、どうなるのだろう。
私は、そんなことを考えた。
本当に相手が悪いのか
例えば、姑が料理を作った。
嫁が「私はもう少し薄味の方が好きです」と言った。
そこで姑が怒る。
「せっかく作ってあげたのに!」
いや、何で怒るの?
好みを言っただけじゃないか。
だったら、
「そうなの? 次は少し薄味にしてみようか」
で済む話じゃないの。
逆に、姑の味付けが好きなら、そう言えばいい。
お互いが自分の好みを伝え、それを理解すればいい。
相手と意見が違うことを、どうして自分への攻撃として受け取るのだろう。
些細な事が気に入らないのなら、自分で作る側に回れば良い。
もちろん、本当に意地悪をする人間もいる。
でも、すべての意見の違いを意地悪だと考えていたら、一緒に暮らせる人間なんていなくなるよ。
長時間労働と孤立した育児
昔は「二十四時間戦えますか」なんて言葉が流行した。
長時間働くことが、立派な社会人の条件のように扱われていた時代もある。
だけど、父親が朝から晩まで働いていたら、子供はどうなるのだろう。
母親が家事も育児も一人で引き受けていたら、どうなるのだろう。
家に帰っても父親はいない。
母親は疲れ切っている。
相談できる人も少ない。
そんな生活で、家族全員がいつも穏やかに暮らせるとは限らない。
私は、子供への厳しい言動や家庭内の争いについて考えるとき、親の性格だけでなく、生活環境にも目を向ける必要があると思っている。
ただし、長時間労働や孤立した育児だけで、虐待の有無が決まるわけではない。
問題は、家族に余裕がなくなったとき、誰が助けるのかということだ。
もし同じ家に、信頼できる祖父母や親戚、あるいは友人がいたらどうなるか。
子供を少し見てもらえる。
食事を分担できる。
疲れたときは休める。
親自身が、誰かに話を聞いてもらえる。
こうしたことが、家族の負担を軽くする可能性はある。
共同生活が悪いんじゃない。共同生活の仕方が悪いんだ
ところが、共同生活の話をすると、すぐにこう言う人がいる。
「プライバシーがない!」
「姑と一緒に住むなんて嫌!」
「一人暮らしの方が自由!」
いや、個室を作ればいいじゃないか。
無断で部屋に入らないというルールを作ればいいじゃないか。
勝手に人の物を使わない。
嫌なことは嫌だと言う。
言われた方は、すぐに逆上しない。
たったそれだけでも、改善できる問題はある。
もちろん、話し合っても解決しない問題はある。
その場合は、無理して一緒に暮らす必要はない。
でも、最初から共同生活を否定してしまうのは、あまりにももったいない。
住居費や生活費を分担できるかもしれない。
育児や介護を助け合えるかもしれない。
孤独を減らせるかもしれない。
それなのに、我慢して黙り続け、陰で悪口を子供や孫に言い続けるから駄目だと思う。
だったら、喧嘩しなくて済む方法を考えようよ。
悪口を言う前に、問題を解決しよう。
伝えたいことは言おう。
私は、人間の悪口を聞くたびに不思議に思うことがある。
その悪口を言って、何か問題は解決したのだろうか。
姑の悪口を一時間言った。
相手の話も聞いて、なるべく不満点は解決しよう。
嫁の悪口を一時間言った。
夫の悪口を一時間言った。
婿の悪口を言った。
さて、明日から生活は良くなるのか?
もちろん、愚痴を聞いてもらって気持ちが楽になることはある。
でも、肝心の問題が残っているなら、また同じことで腹を立てることになる。
それに問題点を挙げつつげ、一度の気に入らない行為を子供や孫に何度も言い続けるのはどうかと思うし。
自分の気に入らない行動をした人間を一生許してはいけないと幼子に洗脳して、結果として大切な存在を苦しめる事が本当に良い事なのだろうか?
私は、人間関係でも原因と対策を考える習慣を広めた方がいいと思っている。
「この人は、こういう考え方をするんだな」
「私は、この部分に困っているんだな」
「だったら、どうすればいいかな」
それでいいじゃないか。
テレビには、責任と可能性の両方がある
私は、テレビがすべての悪口文化を作ったと証明できるわけではない。
昔から、人間は他人の悪口を言ってきただろう。
家庭内の対立だって、テレビが生まれる前からあった。
ただ、繰り返し見せられる娯楽作品が、人間の当たり前という感覚に影響する可能性はある。
だからこそ、逆のこともできるはずだと思う。
人間が喧嘩している場面を見せる。
ただし、最後は問題を解決する。
それを面白い番組にする。
しかも、毎週同じような展開を繰り返す。
視聴者は楽しみながら、喧嘩の解決方法に親しんでいく。
さて、そんな企画にぴったりの人物がいる。
出川哲朗である。
あの人なら、きっと面白いことになる。
ただし、本人は毎回とんでもない目に遭うかもしれないけどね。




