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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!ゲームと脳科学 楽しい経済学 切り裂きジャックと孤独  作者: ヘタレパンダ


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お金の使い方と馬鹿の教育 第3話 テレビを疑え!

第3話 テレビを疑え!


――『十二人の怒れる男』と、勝手に作られる人物像


皆さんは『十二人の怒れる男』という映画を知っているだろうか。


1957年のアメリカ映画だ。


殺人事件の裁判で、十二人の陪審員が話し合う。


最初は、ほとんど全員が被告人を有罪だと思っている。


ところが、一人だけ違うことを言い始める。


「本当に有罪だと言い切れるのだろうか」


そこから、さまざまな証言や証拠を検討し直していく。


私は、この映画には非常に重要なことが描かれていると思う。


人間は、最初に与えられた印象を信じてしまうことがある。


そして、自分の判断が正しいと思い込むと、その判断に合わない情報を無視してしまうことがある。


さて、テレビの話をしよう。


テレビに映っているものは、現実の全部ではない


テレビ番組は編集されている。


これは当たり前のことだ。


一時間撮影した映像から、十分間だけ使うこともある。


その十分間をどう選ぶかによって、人物の印象が変わる。


例えば、ある人が一時間のうち五分間だけ怒っていたとする。


そこだけを放送したらどうなるか。


「あの人、いつも怒っているね」


そう言われるかもしれない。


反対に、笑っている場面だけを集めたらどうなるか。


「優しい人だね」


そう言われるかもしれない。


いや、同じ人間なんだけどね。


実際の人間には、優しい部分も、怒る部分も、弱い部分も、ずるい部分もある。


それなのに、テレビでは善人か悪人か、被害者か加害者かという単純な人物像にされてしまうことがある。


私は、そこが恐ろしいと思っている。


NHKの障害者支援番組を見て思ったこと


以前、NHKで統合失調症だという夫婦が紹介されている番組を見た。


その番組は、二人を社会が支援すべき対象として扱っていた。


そのこと自体には異論はない。


困っているなら、必要な支援を考えればいい。


ただ、私は番組の見せ方に疑問を感じた。


夫の方は、金髪の長髪で、根元の色が変わっていた。


服装も、私にはずいぶん個性的に見えた。


本人は「金髪じゃないと生きていけない」という趣旨のことを話していた。


いや、金髪でも何でも好きにすればいいよ。


だけど、それと統合失調症に、どんな関係があるんだ?


番組を見た人が、


「統合失調症の人って、こういう人なの?」


と思ったらどうするのだろう。


そんなことを思った。


そして、妻の方がミシンの話をしていた。


ミシンがなくて困っていると話したところ、周囲の人が使わなくなったミシンを譲ってくれたという。


結果として、家にミシンが三台もある。


買わなくて済んだと笑っていた。


いやいや、ちょっと待って。


必要だったのは何台なんだ?


もちろん、親切な人が不要品を譲ることは悪いことではない。


三台とも使い道があるのかもしれない。


だけど、番組でそういう説明もなく、人から物をもらって喜んでいる姿が強調されたら、視聴者はどう思うだろう。


私は、ほかの統合失調症の人たちが気の毒になるような見せ方だと感じた。


統合失調症という診断名と、金髪であることや、人からミシンをもらうことには、直接の関係はない。


それなのに、番組の印象によって一緒くたにされてしまったら、たまったものじゃない。


善意の番組でも、偏見を作ることはある


私は、NHKの制作者が何を考えていたのか知らない。


本当に良いことをしていると思っていたのかもしれない。


視聴率を考えて、印象的な場面を選んだのかもしれない。


本人ではないのだから、そこはわからない。


だけど、制作側の意図と、視聴者が受け取る印象は別問題だ。


「支援が必要です」と伝える番組が、かえって支援を必要とする人たちへの偏見を増やす可能性もある。


だから、私は番組を作る人間に言いたい。


何を映したかだけじゃなく、視聴者がそれを見てどう理解するのか、そこまで考えてほしい。


十二人目の陪審員になればいい


『十二人の怒れる男』では、一人の陪審員が疑問を持ったことから、ほかの人たちも証拠を見直し始める。


あの人物が最初からすべての正解を知っていたわけではない。


疑問を持ち、検討を続けたことが重要なのだ。


テレビを見ている私たちも、そうすればいい。


「この人、本当に悪い人なの?」


「ほかの場面では、どんなことを話していたの?」


「別の人の言い分は?」


「この映像で、何がわかって、何がわからないの?」


テレビを全部嘘だと思えと言っているわけじゃない。


テレビに映ったことだけで、人間のすべてを判断するなと言っているのだ。


そして、もう一つ。


テレビは情報を伝えるだけじゃない。


人間の考え方や、社会の当たり前にも影響する。


その影響は、家庭の中にも現れる。


次は、嫁と姑の話をしよう。


なぜ日本人は、嫁と姑が喧嘩することを、あんなにも当たり前のように考えてきたのだろう。まるで仲の良い嫁姑は恐ろしい罪であるかのように。

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