アホな人のための教育 第2話 サンカラの教育改革――図書館というもう一つの答え
アホな人のための教育
第2話 サンカラの教育改革――図書館というもう一つの答え
――限られたお金で、どうやって国民を賢くするのか。
前回は、戦争や政治の失敗について書いた。
今回は、実際に貧しい国を豊かにしようと考え、教育改革に取り組んだ一人の指導者について考えてみたい。
名前は、トーマス・サンカラ。
1983年から1987年まで、アフリカのブルキナファソを率いていた人物だ。
私は彼の政策について調べていて、なかなか興味深い人物だと思った。
なぜなら、まだインターネットもAIも普及していなかった1980年代に、貧困から脱出するためには教育が重要だと考えていたからだ。
今なら、教育の経済効果を調べれば研究結果がいくらでも出てくる。
AIに聞けば、関連する研究を探し、問題点を整理することまでできる。
でも、当時はそんな便利なものがなかった。
しかも、サンカラが率いていたのは、豊かな国ではない。
財政的にも厳しく、教育を普及させるための施設や人材も十分ではなかった。
そんな状況で、国民の教育を重視したというのは、評価すべきことだと思う。
問題の本質に気づくというのは、それ自体が一つの才能なのだ。
では、なぜ彼の改革は困難に直面したのだろう。
そして、別の方法はなかったのだろうか。
今回は、私なりに考えてみたい。
■ サンカラは何を考えていたのか
サンカラは教育だけでなく、医療、農業、女性の社会参加、汚職対策など、さまざまな改革に取り組んだ。
学校を増やし、読み書きを教える運動も進めた。
1986年には、教育に国家予算の25%以上が使われていると述べ、教育制度の費用の高さを問題にしている。
つまり、教育が必要だと考えるだけでなく、教育費が高すぎることにも気づいていた。
当時の教育改革案には、新しい教室の建設費や教材費、教師の研修費など、かなり細かい予算が示されている。
これは、何も考えずに教育改革を始めたわけではないという証拠だ。
ここはきちんと評価したい。
ところが、改革には別の問題もあった。
公務員の給与が抑えられ、教員組合との対立も起きた。
1984年には、ストライキを行った教員組合との政治的対立を背景に、約1,380人の教師が解雇されている。
さて、ここで私は考えてしまう。
教育を広めたいのに、その教育を支える先生たちと対立してしまったら、どうなるんだ?
先生だって生活している。
家族がいる。
食費も住居費も必要だ。
国のために働いてくれと言われても、十分な報酬がなければ困る人はいるだろう。
指導者自身が質素な生活を選ぶのは自由だ。
でも、部下にも同じ生活を要求していいとは限らない。
「私も我慢しているんだから、お前たちも我慢しなさい」
いや、ちょっと待て。
お前が我慢できることと、ほかの人間が我慢できることは違うだろ。
ここを計算しなければならない。
ただし、サンカラが殺害された直接の理由を、この給与問題だけで説明することはできない。
1987年10月15日、彼は政権内部の権力争いを伴うクーデターで殺害された。
かつての盟友ブレーズ・コンパオレは、2022年にその殺害への関与を理由として終身刑を言い渡されている。
つまり、改革への不満とクーデターの直接の動機は、きちんと分けて分析する必要がある。
そのうえで私は、改革の進め方そのものを考えてみたい。
■ 教育したいのはわかった。でも、その間の生活費は?
さて、ここで問題です。
あなたは貧しい国の指導者です。
国民の教育を進めようと考えました。
でも、多くの家庭では、子供も大人も働き手になっています。
農業を手伝ったり、家業を手伝ったり、生活費を稼いだりしている。
そこで、政府が突然こう言いました。
「明日から学校で勉強しなさい」
「教育を受ければ将来豊かになります」
素晴らしい。
理屈は間違っていない。
でもね。
その人たちが勉強している間、誰が生活費を稼ぐんだ?
という問題が出てくる。
例えば、1日8時間働いていた人が、8時間勉強することになったらどうなるか。
仕事ができなくなる。
収入が減る。
家庭が困る。
その人を雇っていた側も、働き手を失って困る。
それでも、将来は教育によって豊かになれると言われる。
いや、将来の話はわかったよ。
でも、今日の夕食はどうするんだ?
明日の生活費は?
来月の家賃は?
20年後に豊かになるから、今日から20年間我慢しろっていうのか?
それではうまくいかない人もいるだろう。
だから私は以前から、教育を広めるなら勉強する人の生活も支援しなければならないと言っている。
ただし、教育にかける時間を短くすれば、生活を支えるために必要な補助金も減らせる可能性がある。
ここから、もう一つの解決策が見えてくる。
■ 1日8時間ではなく、1時間から始めたらどうか
学校に長時間通わせることが難しいなら、まず1日1時間から勉強できるようにする。
これなら、働きながら勉強できる人が増えるかもしれない。
もちろん、1日8時間勉強する場合と、1時間しか勉強しない場合では、学習できる量も違う。
だが、まったく勉強できないよりは、1時間でも勉強できた方がいい。
最初は読み書きと計算だけでもいい。
文字が読めるようになる。
簡単な計算ができるようになる。
農業や商売に必要な知識を学べるようになる。
その人が自分で本を読めるようになったら、学習の可能性はさらに広がる。
すべてを先生から教わらなくてもよくなるからだ。
だから、学校に十分通えない人のために、補完的な教育制度を作る。
1日1時間の授業を受けられる。
仕事が終わったあとに勉強できる。
農業の忙しくない時期に集中的に勉強することもできる。
そうやって、一人一人の生活に合わせた教育を考える。
特に、すでに働いている大人の識字教育には、こうした方法が使えると思う。
もっとも、子供の基礎教育をすべて1時間で済ませていいという話ではない。
教育を受ける権利を確保しながら、貧困家庭が学習を続けられる仕組みを追加するということだ。
さて、では、その授業をどこで受けるのか。
新しい学校をたくさん建てるのか。
立派な建物を用意するのか。
それもできればいい。
でも、今回はお金が足りないという条件だった。
だったら、もっと安い方法を考えよう。
■ そこで図書館ですよ
私が考えたのは、図書館だ。
何も最初から立派な図書館を建てる必要はない。
村の集会所でもいい。
空いている建物でもいい。
学校の一室でもいい。
そこに本を置いて、みんなで利用できるようにする。
読み書きができない人には、先生や指導員が1日1時間教える。
読めるようになった人には、本を貸し出す。
もちろん、子供向けの本だけではない。
農業の本、料理の本、商売の本、病気を予防するための本、機械の使い方を説明した本。
地域の人々が必要としている知識を集めればいい。
例えば、農業をしている人なら、新しい栽培方法を学べるかもしれない。
商売をしている人なら、計算や帳簿の付け方を覚えられる。
機械を扱う人なら、修理の方法を勉強できる。
その知識が仕事の改善につながれば、収入を増やせる可能性がある。
一冊の本を、一人だけが読む必要はない。
十人でも百人でも、順番に使えばいい。
本が少ない地域なら、図書箱を各村で巡回させる方法もある。
本を一人一冊買わせるより、一冊をみんなで共有した方が安く済む。
もちろん、図書館にも費用はかかる。
本の購入費、補修費、運搬費、管理費。
そして、教えてくれる人への給料だ。
ここを削って、また「ボランティアで働いてください」と言い出したら、同じ失敗を繰り返すことになる。
ちゃんと報酬を払いなさい。
そのうえで、どれだけの人が読み書きを覚え、どれだけ仕事に知識を使えるようになったのかを調べる。
ちなみに、サンカラ政権自身も農民への識字教育を実施し、現地の言語を使った学習や教材の充実を進めていた。
だから、彼が本や教材の共有についてまったく考えていなかったと断定することはできない。
私がここで提案しているのは、共有の図書施設、短時間学習、生活費の支援、指導者への報酬を一つの仕組みにまとめる方法だ。
これなら、当時の改革案とは違う予算配分を考えることができる。
■ 100万円しか出せない国は、どうするのか
さて、もう一つ問題がある。
教育改革にはお金がかかる。
年間1,000万円投資できれば、大勢の人を教育できるかもしれない。
でも、100万円しか払えない国もあるだろう。
だったらどうするのか。※この100万の解はチャッピーが出した答えです。
「1,000万円ないから教育はできません」
と言って終わりにするのか。
いや、そこで考えるんだよ。
100万円なら100万円で、何人に教育できるか計算してみる。
例えば、最初は一つの村だけで始める。
読み書きのできる人を指導員として育てる。
その指導員が次の人たちに教える。
教育を受けた人の中から、今度は先生になれる人が出てくるかもしれない。
その人たちが別の村へ教えに行く。
一度に全国民を教育する必要はない。
少しずつ増やす方法もある。
もちろん、広げる途中で費用が増えることもある。
だから、最初から全国に導入するのではなく、小規模に試して成果を測定する。
読めるようになった人は何人か。
途中でやめた人は何人か。
仕事の収入は増えたか。
学習する時間が増えたことで、家庭の生活は苦しくなっていないか。
先生の給料は十分か。
その結果を見て、次の年度の予算を考えればいい。
お金が足りないなら、足りない条件で答えを探せばいい。
それが問題解決というものだ。
■ 10年投資して、20年で回収、30年で利益を得る
ここで私は、教育を長期投資として考えてみたい。
教育の成果は、今日投資して明日全部返ってくるようなものではない。
子供が勉強して、大人になって、働き始めるまでには時間がかかる。
大人の識字教育でも、知識を仕事に生かし、収入を増やせるようになるまでには時間が必要だ。
だから、例えば最初の10年間は継続して教育に投資する。
その後、教育を受けた人たちが仕事で成果を上げ始める。
20年後には、それまでの投資額と得られた利益が釣り合うかもしれない。
さらに30年後には、育った人材によって国の産業が発展し、大きな利益が生まれるかもしれない。
もちろん、これは私が考えている投資モデルの仮説で、実際に何年で回収できるかは計算してみなければわからない。
しかも、100万円を投資した場合と、1,000万円を投資した場合では結果も違う。
投資が大きい方が、早く教育が普及するかもしれない。
一方で、十分な教師や教材がなければ、お金だけ増やしても成果が上がらない可能性もある。
だから、費用対効果を調べる。
例えば、年間100万円を10年間投資すれば1,000万円。
年間1,000万円なら10年間で1億円になる。
この金額の違いによって、教育を受けられる人数、学習時間、その後の所得がどう変わるのか。
そこを比較すればいい。
そして重要なのは、誰がお金を出し、誰が利益を受け取るかということだ。
教育を受けた本人の所得が増える。
家庭の生活が安定する。
企業の生産性が向上する。
政府の税収も増える。
その税収を使って、さらに教育を充実させる。
こうした循環を作ることができれば、長期的には外国からの援助への依存も減らせるかもしれない。
ただし、成果が出るまでの期間に国民や教師が生活できなければ、計画そのものが続かない。
30年後に大儲けする計画でも、最初の10年間で国民が生活できなくなったら意味がない。
だから毎年の費用と収入、生活への影響まで計算する必要がある。
■ 実は、その後に似た考え方の研究が行われている
面白いことに、ブルキナファソでは、後年になって貧困家庭への現金給付と子供の就学を組み合わせた研究も行われている。※パンダが言った既存のデータを無駄にするな!と言う提案とブルキナファソの行動を評価した研究として評価する。
2008年から2010年にかけて実施された農村部での実験だ。
2013年に発表された研究では、現金給付によって子供の就学が改善すること、さらに給付の条件によって効果が異なることが確認された。
つまり、教育を受けさせるために、家庭の経済事情を考慮することには意味があったわけだ。
もちろん、この研究だけで私の図書館案が成功すると証明されたわけではない。
でも、教育を広める方法を考えるときに、学ぶ人の経済的負担を無視できないということは、研究からも読み取れる。
ここまで資料がそろえば、今度は別の実験ができる。
図書館を中心とした教育。
短時間の授業。
家庭への必要な経済支援。
それぞれを組み合わせた場合に、費用と成果がどう変わるのか。
私は、そういう研究結果を見てみたい。
■ なぜ私は図書館という方法を思いついたのか
さて、ここで最後の話をしよう。
私は今回、教育にかかるお金をどう減らすか考えて、図書館という方法を思いついた。
では、なぜ図書館だったのか。
理由は簡単だ。
私自身が、図書館やいろいろな場所で勉強してきたからだ。
学校で教わったことだけが、私の知識ではない。
本を読んだ。
いろいろな場所で学んだ。
ほかの人間が研究した結果も見てきた。
そうやって得た知識が、別の問題を考えたときに役に立つ。
だから今回も、サンカラの教育改革について調べているうちに、図書館という方法を思いついた。
これは何も、私が世界で初めて図書館を考えたという話ではない。
すでに存在するものを、別の問題の解決に使えないかと考えたということだ。
そして、ここが重要なんだよ。
教育の成果は、覚えた知識の量だけでは測れない。
その知識を使って、どんな問題を解決できるようになったのか。
そこまで考えなければならない。
サンカラは、貧しい国を発展させるために教育が必要だと考えた。
その発想には価値があった。
一方で、改革を実行するための資金、人材、報酬、政治的な協力をどう確保するかという難しい問題もあった。
今の私たちは、その歴史を知っている。
彼が生きていた時代には、まだ得られなかった研究結果も利用できる。
だったら、その知識を使って、別の解決策を考えればいい。
それが歴史を学ぶ意味だと思う。
■ 私が本当に育てたいのは、答えを覚える人間じゃない
私は以前から、問題を提示したら、ほかの人に考えてもらいたいと思っていた。
でも、なかなか納得できる答えが返ってこない。
何年も待っているうちに、自分で答えを出してしまう。
今回もそうだ。
サンカラの教育改革について考えていたら、結局また私が図書館という方法を提案してしまった。
教育者としては、ちっとも面白くない。
本当は、弟子たちが自分で問題を解決してくれればいいのに。
私はもう、他人の研究を見て驚いているだけの人生だって悪くないと思っている。
印税で豊かに暮らして、旅行に行って、気に入った研究者に投資して、その研究者が新しい発見をするのを楽しみにしていたい。
なのに、また自分で問題を解いている。
だから、これを読んでいる人に言いたい。
私の答えを覚える必要なんかない。
私の答えが間違っていると思ったら、別の答えを出してくれればいい。
もっと安く教育できる方法があるなら、それを示してほしい。
もっと短い時間で、多くの人が学べる方法があるなら、それを研究してほしい。
そして、本当に効果があったなら、研究結果を見せてほしい。
私は、誰かが問題を解決するところを見るのも大好きなのだ。
知識を披露するな。知識を使って考えろ。
それが、今回のエッセイで一番伝えたかったことである。
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参考資料
* Thomas Sankara(1986)『Le Burkina et l’école nouvelle』
* 『Le projet de réforme de l’éducation élaborée pendant la Révolution』(1986年の教育改革案)
* Ernest Harsch(2013)『The legacies of Thomas Sankara: a revolutionary experience in retrospect』
* Richard Akresh, Damien de Walque, Harounan Kazianga(2013)『Cash Transfers and Child Schooling: Evidence from a Randomized Evaluation of the Role of Conditionality』
* Reuters(2022年4月6日)サンカラ殺害事件に関するコンパオレ元大統領への判決報道
私が高く評価したい3人の研究者
今回、ブルキナファソの教育について調べていて、ぜひ紹介したい研究者たちがいる。
リチャード・アクレシュ(Richard Akresh)
ダミアン・ド・ワルク(Damien de Walque)
ハルナン・カジアンガ(Harounan Kazianga)
この3人である。
彼らはブルキナファソの農村部で、貧しい家庭にお金を渡すことで、子供たちの就学率がどのように変化するのかを実際に研究した。
しかも、ただお金を配っただけではない。
学校に通うことを条件としてお金を渡す場合と、条件を付けずに渡す場合を比較した。
その結果、どちらの方法でも就学率の改善が見られたが、それまで学校に通いにくかった子供たちには、条件付きの給付の方が効果的だった。
私は、この研究を高く評価したい。
なぜなら、「教育は大切です」と主張するだけでなく、「では、どうすれば教育を受けられる人が増えるのか」と考え、実際にお金を使って実験したからだ。
それも、教育制度や金融制度が十分に整っていない地域である。
よく考えて、よく実行したと思う。
もしノーベル教育賞という賞が存在したなら、こういう研究者たちこそ候補として評価してほしいと思うくらいだ。
そして、もう一人、忘れたくない人物がいる。
トーマス・サンカラである。
1980年代、貧しいブルキナファソで、国民に教育を受けさせようと考え、実際に改革に取り組んだ政治家だ。
彼は1987年、37歳で殺害されている。
私は彼の政策のすべてが正しかったとは思わない。
給与や財政、人材の待遇など、もっと別の方法があったのではないかとも考える。
しかし、当時の限られた情報と資金の中で、教育によって国を発展させようとした着眼と行動力は評価したい。
今回の3人の研究者が、サンカラへの敬意からブルキナファソを研究対象に選んだのかどうかはわからない。
しかし、彼がかつて教育改革を進めようとしたその国で、後の時代の研究者たちが教育を受ける子供を増やす方法を実験し、成果を確認した。
私はそこに、時代を超えて問題解決が進んでいくことの価値を感じる。
サンカラが生きていたら、この研究結果をどう受け止めただろう。
「そうか、お金を渡す方法でも教育を広められるのか」
と興味を持ったかもしれない。
もちろん、それは私の想像だ。
それでも、先人の挑戦と失敗を無駄にせず、後の人間が知識を積み重ねて新しい解決策を見つけていくことには、大きな意味があると思う。
そして、研究を実現したのは研究者3人だけではない。資金を提供した機関、現地の協力者、参加した家庭や学校の人々もいた。
そういう人たちの貢献も忘れてはいけない。
私は研究者を批判することも多いけれど、優れた仕事をした人間はきちんと評価したい。
知識を持っているだけではなく、知識を使って考え、実際に試して、結果を出した。
そういう研究者たちがいることは、素直に嬉しい。
そして私は、彼らの研究の続きを見てみたいと思っている。
就学率が上がった子供たちは、その後どのような人生を送ったのだろう。
どれだけ知識を身につけ、どれだけ収入が増え、どれだけ豊かな暮らしができるようになったのだろう。
そこまでわかれば、教育への投資の本当の価値が、さらに見えてくるはずだ。
3人の研究者と、研究に協力した皆さんに敬意を表したい。
そして、教育によって国を豊かにしようとしたトーマス・サンカラにも。
過去の失敗は、未来の成功のために使えばいい。
私はそう思う。
――天才パンダ
紹介した研究論文
Richard Akresh, Damien de Walque, Harounan Kazianga(2013)
Cash Transfers and Child Schooling: Evidence from a Randomized Evaluation of the Role of Conditionality
世界銀行 Policy Research Working Paper No. 6340




