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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!ゲームと脳科学 楽しい経済学 切り裂きジャックと孤独  作者: ヘタレパンダ


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近代文学 お前が馬鹿だって事くらい粗筋読んだだけで理解可能だ

村上春樹と文学の功罪――小説は人間の脳に何を残すのか


私は昔から、文学というものに対して疑問を持っていた。


特に、何百ページもある長編小説だ。


先日、息子が村上春樹の小説を私の定位置であるソファに置いていた。


手に取ってみると、かなり分厚い本だった。


そこで思った。


「これ、全部読んで、一体何が学べるんだ?」


もちろん、読書というものは必ずしも勉強のためだけにするものではない。


娯楽として楽しむ人もいる。


それはわかっている。


だが、600ページもの小説を読むのに、どれだけ時間がかかるのだろう。


その時間があれば、映画なら何本か見られるし、アニメだって見られる。テーマパークへ行って実際に何かを体験することだってできる。


それなのに、なぜわざわざ小説なのか。


小説には没入感があるから?


登場人物の気持ちになれるから?


なるほど。


だったら、私はもう一つ聞きたい。


「その登場人物の気持ちになった結果、読者の脳や精神状態はどうなるんですか?」


この問題を、文学を評価する人たちはどれだけ考えているのだろう。


1.小説は単なる文字の集まりではない


人間は小説を読むと、頭の中で登場人物を動かし、風景を作り、感情を再現する。


映画なら映像と音声が用意されている。


ところが、小説では読者自身が想像する。


しかも、自分の好きな速度で読むことができる。


気に入った部分を何度も読み返すこともできる。


それだけ深く感情移入できるのなら、なぜ、その影響を軽く考えていいのだろう。


実際、アメリカのエモリー大学の研究では、小説を読むことで脳の機能的なつながりに変化が起こり、読了後も数日間、一部の変化が観察されたという。


もちろん、これは脳が損傷したという意味ではない。


しかし、読書という行為が脳の活動に影響することを示した研究ではある。


さらに、物語による説得効果を分析した2020年のメタ分析では、物語形式の情報が、単なる説明文とは異なる形で人々の態度や行動に影響し、その効果が時間を置いた測定でも確認されている。


つまり、小説は読んだら終わりとは限らない。


読者の頭の中に、何かを残すのである。


だったら、その残るものが幸福なのか、希望なのか、恐怖なのか、絶望なのか。


そこまで考えなければおかしいだろう。


2.孤独を理解することと、孤独になることは違う


私はデータがあれば、かなりの部分を頭の中で再現できる。


登場人物の性格、家庭環境、過去の経験、現在の状況。


それらを整理すれば、なぜその人がそのような行動を取ったのか、ある程度推測することはできる。


だから、登場人物の苦悩を理解するために、必ずしも何百ページも読む必要はないと考えている。


むしろ、問題は別にある。


登場人物の孤独を理解することと、自分まで孤独な気分になることは違うのだ。


例えば、孤独な主人公に強く感情移入する。


「この主人公は自分と同じだ」


そう感じた読者が、その作品を大好きになったとする。


何度も読む。


登場人物の言葉を覚える。


その生き方を素晴らしいものだと思う。


そして、現実の自分の人生まで、登場人物と同じように解釈し始める。


そんなことは起こらないと言い切れるのだろうか。


私は、そう簡単には言い切れないと思う。


テレビや映画、漫画などに登場した人物の服装、口調、行動を真似する人はいる。


だったら、なぜ思想や感情だけは影響を受けないと言えるのだろう。


しかも、気に入った登場人物ほど影響が強くなる可能性がある。


嫌いな人物なら、「こんな人間にはなりたくない」と考えるだろう。


しかし、好きな人物なら、その考え方を積極的に取り入れるかもしれない。


ここが重要なのだ。


3.うつ病の人たちは、どこでその考え方を覚えたのか


私がこの問題に関心を持ったのは、文学作品を読んで腹を立てたからではない。


順番が逆なのだ。


私は以前から、うつ状態にある人たちの言動や考え方に関心を持っていた。


なぜ、この人はこんなふうに考えるのだろう。


なぜ、未来に希望を持たないのだろう。


なぜ、問題を解決しようとしないのだろう。


そして、その考え方を一体どこで覚えたのだろう。


そう考えて、思想的な影響源を遡っていった。


私が観察した範囲では、夏目漱石などの文学作品や、宮沢賢治に結びつけられた思想が、その人たちの価値観に影響していると思われる例があった。


もちろん、それだけで文学作品がうつ病の直接原因だと医学的に証明できるわけではない。


しかし、少なくとも私が知りたかったのは、患者の症状だけではなく、その人が学んできた人生観だった。


2000年代の初め頃には、テレビで奇妙な価値観が語られているのも耳にした。


うつ状態であることこそ、人間の本来の姿である。


賢い人間は苦悩する。


未来に希望を持っているポジティブな人間は、物事がわかっていない愚かな人間である。


私はそれを聞いて思った。


「お前、何を言ってるんだ?」


苦しんでいる人が知的で、幸福な人が馬鹿?


そんな馬鹿な話があるか。


しかも、それを聞いた人が本気にしたらどうなる。


幸福になろうとすることを、恥ずかしいと思うようになったら?


前向きに生きようとする自分を、愚かな人間だと思うようになったら?


苦しみ続けることに誇りを持ってしまったら?


それでは、回復しようという意欲そのものを損なう可能性がある。


苦しむ人間を理解することと、苦しむことを理想化することは違うのである。


4.脳には反すう思考という問題もある


心理学には「反すう思考」という概念がある。


嫌な出来事や不安、自分の欠点などについて、何度も繰り返し考え続けることである。


このような思考の繰り返しは、抑うつ症状が長引いたり、悪化したりすることと関係している。


2024年には、反すう思考を減らすことに焦点を当てた認知行動療法について、12研究を検討したレビューも発表されている。


反すう思考を改善することで、抑うつ症状が軽減する可能性が示されているのだ。


だったら、ここで私は考える。


孤独や絶望を扱った作品を何度も読んで、その登場人物の感情を繰り返し再現することは、読者によっては反すう思考に似た状態を強めるのではないだろうか。


これは検証する価値がある仮説だと思う。


もちろん、悲しい小説を繰り返し読めば必ずうつ病になる、という研究結果があるわけではない。


苦しい経験を描いた物語によって、自分は一人ではないと感じ、救われる人もいるだろう。


だから重要なのは、作品を一括りにすることではない。


誰が、どの作品を、どのような心理状態で、どれくらい繰り返し読んだのか。そして、その後どうなったのか。


そこまで調べる必要がある。


読書直後に気分が落ち込んだかどうかだけ調べても不十分だ。


一週間後、一か月後、半年後。


生活習慣は変わったか。


思考の傾向は変わったか。


睡眠はどうなったか。


問題を解決しようとする意欲はどうなったか。


読者の人生観に、どんな変化が起きたか。


そこまで追跡しなければ、長期的な影響を見落としてしまうかもしれない。


5.ポリアンナと村上春樹の違い


私は子供の頃、ポリアンナ物語やエニド・ブライトンの作品を読んでいた。


例えば、ポリアンナには「よかった探し」という考え方がある。


嫌なことがあっても、その中からよかったことを探す。


これは、日常生活に応用できる考え方だ。


もちろん、よかった探しをすれば、どんな病気でも治るという意味ではない。


だが、物事の肯定的な側面に注意を向ける習慣は、人生を楽しむ助けになるかもしれない。


一方、孤独や不条理、喪失感を中心に描く作品の場合はどうだろう。


私は村上春樹の作品すべてを読んだわけではないから、全作品について断定するつもりはない。


ただ、村上春樹の文学について語られるとき、独特の孤独感や不条理、現実と非現実の境界といった特徴がよく挙げられる。


その世界観に何時間も没入することを、文学的に素晴らしいと評価する人がいる。


それは自由だ。


しかし、私は聞きたい。


「その世界に長時間浸ることが、読者にとって本当に良いことなのか?」


作品の完成度が高いことと、読者の心理に良い影響を与えることは、別の問題だ。


むしろ、完成度が高く、没入感が強いほど、読者への影響も慎重に考える必要があるのではないか。


6.問題を解決する人間は未熟なのか


昔、友人のまきちゃんに奇妙なことを言われた。


人間というものは、問題を見つけても、面倒くさいから明日にしようと思って、結局やらないものだ。


それが人間らしさである。


それに比べて、私はやると決めたことを実現してしまう。


だから、人間として未熟なのだという。


私は思った。


「いや、問題を解決する方が偉いに決まってるじゃん」


山があったとする。


登りたいと思いながら、指をくわえて眺めている人もいるだろう。


実際に登る人もいるだろう。


もちろん、無理な登山をして命を落としてしまうのは問題だ。


しかし、安全な方法を調べ、必要な装備を用意して、実際に山を登る人間を、なぜ未熟と呼ばなければならないのだ。


私は、問題を解決する行動そのものに価値があると思っている。


問題を一つ解決すれば、次の問題に出会ったときも、何か方法があるかもしれないと考えられる。


その場で解決できなくても、時間を置いて解決することだってある。


過去の成功体験があれば、未来への希望にもつながる。


むろん、問題解決能力が高ければ絶対にうつ病にならないわけではない。


しかし、問題を解決する能力や、自分で状況を変えられるという感覚を育てることは、精神的な健康にも関係する。


ところが、問題を抱え続けることを人間の成熟だと考えるなら、問題を解決すること自体が価値の低い行為になってしまう。


私は、そんな人生観には賛成できない。


7.文学作品は読者の人生に責任を持たなくていいのか


作家には表現の自由がある。


孤独を書いてもいい。


絶望を書いてもいい。


人間の醜さや弱さを描いてもいい。


私は、それを禁止しろと言っているわけではない。


ただし、作品が人間に与える影響を考えないまま、何でもかんでも「素晴らしい文学だ」と持ち上げていいのか、という疑問はある。


特に問題なのは、作中で描かれた苦悩を、そのまま現実の人間の理想的な姿として宣伝してしまうことだ。


人間には弱い部分がある。


だからこそ、その弱さを理解し、必要なら改善する方法を考えることにも価値がある。


ところが、弱さをそのまま理想化してしまえば、改善する必要すらなくなってしまう。


また、「許しなさい」「忘れなさい」と言うだけで、問題が解決するわけでもない。


私は、嫌なことをされたら、なぜそんなことが起きたのか考える。


相手の行動にも、自分の行動にも、改善できる点がなかったか調べる。


そして、同じ問題が起きないための方法を考える。


大切なのは、嫌な記憶を消すことではない。


原因を理解し、必要な対策を取ることだ。


私が文学に求めているのは、まさにそういう部分でもある。


8.文学のタイパを考えよう


私は原稿用紙15枚ほどのエッセイに、できるだけ多くの情報を盛り込むようにしている。


問題提起、観察、比較、分析、仮説、解決策、応用方法。


短い文章から、読者が複数のことを学べるように考える。


一方、長編小説は、必ずしもそのような構造にはなっていない。


一つの感情や思想を何百ページもかけて表現することもある。


もちろん、それを楽しむ人がいることは否定しない。


ただ、私は読者の時間にも価値があると思っている。


600ページ読んで、読者は何を得るのか。


新しい知識なのか。


新しい発見なのか。


人生の問題を解決する手がかりなのか。


それとも、何時間も孤独な人物の気分を追体験することなのか。


読書体験そのものを楽しむ人もいるだろう。


しかし、その体験が本人にとって望ましいかどうかは、別途考える必要がある。


世界的な作家だから読む価値がある。


文学賞を受賞しているから素晴らしい。


そんな理由で、読者自身の判断を放棄する必要はない。


むしろ、自分が何を得たいのか考え、その目的に合った本を選べばいい。


私は、すでにデータから疑似体験できる部分が多い。


だから、必要以上に長い説明を読まなくても、登場人物の心理を理解できることがある。


その意味で、私にとって重要なのはページ数ではなく、得られる情報と発見の量なのである。


9.文学が人間を幸福にするとは限らない


文学には人を励ます力もあれば、気分を沈ませる力もある。


希望を与える物語もあれば、絶望を描く物語もある。


そして、読者が作品から受ける影響には個人差がある。


だから私は、文学が人間の脳と精神状態に与える影響を、もっと体系的に調べる必要があると思っている。


作品を好きになった人と、嫌いになった人。


登場人物に強く共感した人と、冷静に読んだ人。


何度も読み返した人と、一度しか読まなかった人。


もともと元気だった人と、精神的に苦しんでいた人。


それぞれを区別しなければ、答えは出ない。


そして影響が確認できたなら、作品をどのように紹介すればいいか、読者にどんな情報を伝えればいいかも考えられる。


問題を隠したり、見て見ぬふりをしたりする必要はない。


私は、苦悩する人間を描く文学そのものを否定したいわけではない。


苦悩を美化することと、苦悩から抜け出す方法を教えることは、まったく違うと言いたいのだ。


人間は、苦しむために生まれてきたわけではない。


幸福を探してもいい。


希望を持ってもいい。


問題を見つけたら、解決してもいい。


新しい目標を立てて、また挑戦したっていい。


だから私は、文学についても、読者にどんな影響を残すのかという視点から評価したい。


村上春樹の文学を好きな人がいるのは自由だ。


だが、私は私の基準で判断する。


その本を読むことで、何を学べるのか。


どんな体験ができるのか。


そして、読み終えた後、自分の人生に何が残るのか。


何百ページも読ませるのなら、私はそこまで考えたい。


文学の価値は、読者をどれだけ長く物語に閉じ込めたかだけで決まるものではない。


その物語から現実に戻ってきた人間が、何を持ち帰れたか。


私は、それも文学を評価する大切な基準だと思っている。

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