イタリアの教育改革
イタリアの教育改革――子供に勉強させるだけで、国が豊かになると思うなよ
第一章 イタリアには、すでに世界に誇れる財産がある
イタリアという国は面白い。
ローマ帝国の遺跡があり、ルネサンスの芸術があり、世界中から観光客が集まる。
絵画、彫刻、建築、ファッション、料理。
これほど世界的に知られた文化資産を持っている国は、そう多くないだろう。
ところが、教育や経済の問題になると、なかなか思うようにいかないらしい。
南北の教育格差、若者の就職、大学教育、教師の待遇。
問題はいろいろある。
OECDの2026年の資料によれば、イタリアの25〜34歳で高校相当の教育を修了していない人の割合は、2015年の26%から2025年には19%まで下がった。
改善しているのである。
しかし、地域格差は残っている。
2025年の成人の高等教育修了率は、シチリア州で17%、ラツィオ州では29%だった。
つまり、イタリア人が怠け者だから教育がうまくいかない、なんて単純な話ではないのだ。
住んでいる地域や家庭環境によって、学習機会も、その後の仕事も違ってくる。
じゃあ、どうするのか。
私なら、まず教育を面白くする。
そして、教育を受けた人間が、実際に金を稼げる仕組みまで考える。
学校で勉強して、卒業証書をもらって、おしまい。
それで国が豊かになるなら、こんなに簡単な話はない。
問題は、勉強した知識をどこで使うか、なのである。
第二章 勉強をアニメにしてしまえ
私だったら、子供向けの教育番組をもっと作る。
それも、ただの授業の録画ではない。
面白いアニメーションである。
例えば、古代ローマについて勉強する。
教科書に皇帝の名前と年代がずらずら並んでいたって、興味のない子供は覚えない。
だったら古代ローマの町をアニメで再現すればいい。
市場では何を売っていたのか。
人々は何を食べていたのか。
どんな家に住んで、どんな服を着て、どうやってお風呂に入っていたのか。
そこから建築、経済、文化、政治、科学へと話を広げればいい。
歴史だって、生活の中に入れば面白くなる。
数学も同じだ。
橋を架けるにはどうしたらいいのか。建物が崩れないようにするには、どんな計算が必要なのか。
それを物語にする。
勉強というのは、本来、問題を解決するためにある。
なのに学校では、問題の答えだけ覚えさせようとすることが多い。
逆じゃないのか。
「どうしてそうなるのか」が分かった方が面白いに決まっている。
もちろん、動画を見せれば全員が勉強できるようになる、なんて話ではない。
理解できなかった子供には別の説明を用意すればいい。
一度で分かる子供に、同じ話を十回聞かせる必要もない。
子供の理解力は一人一人違うのだから、教材だって何種類もあっていいのである。
第三章 イタリアの建築・土木・インフラを学ぶ学生を日本へ送れ
次に私が考えるのは、大学生の教育だ。
イタリアには立派な建築物が山ほどある。
ただし、昔の建築物が立派だからといって、現代の生活設備や交通設備まで全部優れているとは限らない。
観光客が利用するトイレ。
鉄道や駅。
道路や案内表示。
バリアフリー設備。
清掃や維持管理の仕組み。
こういうものは、現代の技術を学んで改善していけばいい。
そこで私が提案したいのは、イタリアで建築、土木、交通、都市インフラを専門に学んでいる大学生を、原則として全員、日本へ一年程度留学させる制度である。
優秀な学生を十人だけ選んで、はい終わり、ではない。
専門分野の学生全体に、その機会を与える。
費用はイタリア政府が負担する。
もちろん、いきなり全員を送るには莫大な予算も受け入れ先も必要だから、制度を段階的に整備すればいい。
留学が難しい学生には、共同授業や現地実習など、別の参加方法も用意する。
重要なのは、一部の学生だけが得をする制度にしないことだ。
日本に来た学生には、教室だけでなく実際の施設を見てもらう。
新幹線の運行管理。
駅の構造。
公衆トイレの設計と清掃。
災害対策。
高齢者や障害者が利用しやすい施設。
さらに、それらを維持するための費用や人員についても学んでもらう。
日本の仕組みが全部正しいと言いたいわけではない。
イタリアにはイタリアの事情がある。
古い町並みを壊して日本式の駅を作れ、なんて言っているわけでもない。
日本の技術を学び、イタリアの歴史的景観や生活文化に合う形へ応用すればいいのだ。
そして、留学した学生が帰国したら、今度はイタリアの都市整備や観光施設の改善に参加する。
仕事が生まれる。
専門技術を持った人材が育つ。
設備がよくなれば、観光客も利用しやすくなる。
観光産業の収入が増えれば、さらに設備へ投資できる。
私はこういう循環を作りたいのである。
教育に金をかけるのなら、卒業した後の仕事まで考えろ。
せっかく育てた人材が、能力を生かせる仕事を求めて国外に出ていくばかりでは、国にとっても損失ではないか。
第四章 日本の漫画とアニメの技術を世界へ広めろ
そして、もう一つ考えたのが漫画とアニメの教育である。
日本の漫画やアニメは、世界中で知られるようになった。
だったら、その制作技術を日本人だけのものにしておく必要はない。
イタリアの人にも、フランスの人にも、アフリカの人にも、アメリカの人にも教えればいい。
ただし、日本の漫画をそのまま真似しろと言っているわけではない。
日本の漫画やアニメの制作方法を学び、自分たちの国の文化を題材にした作品を作ればいい。
イタリアなら、古代ローマを題材にした作品ができる。
ルネサンスの芸術家たちを主人公にした作品も面白い。
古代の神話や都市国家同士の争いだって、題材はいくらでもある。
イタリアには、何百年、何千年という歴史の蓄積があるのだ。
これを使わない手はない。
そして私なら、アニメの制作現場に研究者も参加させる。
歴史の研究者。
建築の研究者。
美術の研究者。
医学や科学の研究者。
その人たちに、作品の時代背景や技術について監修してもらう。
例えば、古代ローマの建物を描くなら、当時の建築について詳しい専門家に話を聞けばいい。
登場人物が病気になる話なら、医学の知識も必要になる。
作品の内容によって、参加する専門家を変えればいいのである。
もちろん、娯楽作品だから架空の設定も使っていい。
重要なのは、史実なのか創作なのかを理解したうえで作ることだ。
そうすれば、漫画やアニメを楽しんでいた子供が、いつの間にか歴史や科学に興味を持つかもしれない。
さらに、作品がヒットすれば、出版、配信、映画、ゲーム、観光、関連商品へと商売を広げられる。
日本から技術を学び、イタリアが自国の文化で稼ぐ。
それでいいではないか。
むしろ私は、世界中でそういう作品が作られるようになった方が面白いと思っている。
世界には、日本人が知らない文化も、歴史も、物語も山ほどある。
それを現地の人たちが自分の視点で作品にしてくれたら、私だって見たい。
第五章 研究者は研究しろ。学生には実践する機会を与えろ
ここで私が言いたいのは、教育を受ける人だけを増やしても仕方がないということである。
教師が必要なら、教師の待遇も改善しなければならない。
研究者が必要なら、研究できる環境を整えなければならない。
2026年のOECD資料によれば、イタリアでは中等教育の教師の36%が55歳以上だった。
教師の給与も、同程度の高等教育を受けたほかの労働者と比べて低い。
そうした問題を放っておいて、子供の成績だけ上げろと言われても困るだろう。
私は、大学生にも教育の現場に参加してもらえばいいと思う。
専門分野を学んでいる学生が、年下の生徒に教える。
午前中に授業を受けた生徒が、午後には別の生徒と学んだ内容を教え合う。
教える大学生にとっても、これは訓練になる。
自分では理解しているつもりでも、他人に説明しようとすると、意外と説明できないことがあるからだ。
もちろん、学生に責任を丸投げしてはいけない。
教師が教育の質を管理し、学生には適切な報酬を払う。
経済的に余裕のある家庭の学生だって参加していい。
お金を得るだけが目的ではなく、自分の能力を試したり、他人に教える経験を積んだりする価値もあるからだ。
そして、余った人材をただ遊ばせておくのではなく、教育、教材制作、地域の施設改善など、それぞれの得意分野で参加してもらう。
勉強する人。
教える人。
研究する人。
実際に設備を作る人。
作品を制作する人。
みんなが別々に働くのではなく、知識と仕事をつなげていく。
こういう仕組みがあれば、教育を受けた人間の能力も、もっと生かせるのではないか。
第六章 教育に投資するなら、その先の利益まで計算しろ
教育の問題になると、よく「もっと予算を増やせ」という話になる。
もちろん、金は必要である。
だが、金を使えば解決するというものでもない。
何に使って、誰が何を学んで、その結果どうなるのか。
そこまで考える必要がある。
例えば、イタリアの大学生を日本へ留学させる。
留学費用は当然かかる。
しかし、その学生が帰国して都市のインフラを改善し、観光業の収入が増え、建設や管理の仕事も生まれたらどうなるのか。
あるいは、漫画やアニメの制作技術を教える。
最初は教師を雇い、設備を買い、教材を用意する必要がある。
でも、そこから新しい作品が生まれ、世界中に売れるようになったらどうなるのか。
教育への支出を、単に消えていく金として見る必要はない。
将来の利益につながる投資として考えればいい。
ただし、何でも成功するとは限らない。
だったら、実際に試してデータを取ればいいのだ。
学生が何人参加したのか。
卒業後、どんな仕事に就いたのか。
整備した施設の利用者は増えたのか。
観光客の満足度は上がったのか。
アニメや漫画は何作品制作され、どれだけ売れたのか。
うまくいかなかったなら、どこが悪かったのかを調べて改善すればいい。
私は、問題が見つかるたびに「大変だ、大変だ」と言っているだけの議論が嫌いなのである。
大変なのは分かった。
で、どうするんだ?
それを考えるのが、政治家や研究者の仕事ではないのか。
イタリアには、美術も歴史も建築も、すでに世界に誇れるものがある。
その文化を守りながら、新しい技術を取り入れ、次の産業を育てる。
教育で人を育てる。
育てた人が仕事を作る。
その仕事で国が豊かになる。
そして、豊かになった国が、また次の世代の教育に投資する。
私が考える教育改革とは、子供を学校に通わせることだけではない。
学んだ人間が、その知識を使って豊かに暮らせる社会を作ることなのである。
そのために、国境を越えて学んだっていいじゃないか。
日本だって、イタリアから学べることは山ほどある。
お互いに教え合って、足りないものを補って、面白いものを作って、ついでに金も稼ぐ。
私は、そういう教育の方がずっと楽しいと思うのである。
※フランスの教育改革案で参考にしたのは、昔テレビで見たイタリアの教育システムを参考にしている。




