例えばフランスの問題
フランスの皆さん、頭がいいんでしょう? だったら自分たちで考えなさいよ。
――物価高、賃上げ、ベーシックインカム、そしてAI教育改革
もしフランスで物価高が深刻になり、国民が生活に困っているとしたら。
さらに学校の過密化や教師不足、学生の生活費まで問題になっているとしたら。
さて、どうしたらいいのだろう?
私は、そんな問題について考えてみた。
結論から言えば、対策の骨格は15分程度で思いついた。
もちろん、具体的な予算や実施方法を決めるには、フランスの正確なデータが必要になる。このデータを集める時間は除いてある。
しかし、問題解決の方向性くらいなら考えられる。
というか、フランスには優秀な政治家も経済学者も研究者もいるんでしょう?
だったら、私が答えを出さなくても、あんたたちが考えられるんじゃないの?
私はフランス人には結構期待しているんだけどね。
第1章 そもそも、給料を上げる必要があったのか?
物価が高くなった。
だから給料を上げろ。
これ、一見すると正しいことを言っているように思える。
しかし、私は以前から疑問に思っていた。
給料を上げれば、それで国民は豊かになるのだろうか?
例えば、給料を10%上げたとする。
その結果、人件費の増加によって商品価格が15%上がったら、どうなる?
以前より生活が苦しくなる人が出てくるじゃないか。
もちろん、物価が上がる原因は賃上げだけではない。
石油価格の上昇、戦争、為替、輸送費、原材料費など、いろいろな理由がある。
外国の人件費が上がり、それが輸入価格に転嫁されれば、自国にも影響が及ぶ。
つまり、世界中の国々の経済はつながっている。
ある国で賃金を上げても、その影響はその国だけで完結するわけではない。
ただし、賃上げが必ず同じ割合で物価を押し上げるわけでもない。生産性や企業利益によって吸収できる場合もある。
だったら、その影響を先に計算しなさいよ、という話なのである。
それ以上に問題なのは、賃上げの恩恵を受けられない人々だ。
学生はどうする?
失業者は?
年金生活者は?
病気や障害などで働けない人は?
そもそも働き口がない人は?
給料を上げてもらえなかった人は?
この人たちにも、物価上昇は平等に襲いかかってくる。
ここで私は思う。
給料を上げることが目的なのか。それとも、国民が豊かに暮らせるようにすることが目的なのか。
目的と手段を間違えていないだろうか。
第2章 高所得者が儲けたなら、その利益はどこへ行った?
フランスといえば、世界的な高級ブランドがある。
高級バッグ、宝飾品、香水、化粧品。
航空宇宙産業や観光業などにも強みがある。
確かにフランスには、世界中の人がお金を払ってでも欲しがる商品やサービスがある。
では、その利益はフランス国民にどのくらい還元されているのだろう?
高級ブランドが何十万円、何百万円の商品を売っても、一般の国民がそれを買えるとは限らない。
もちろん、ブランドが儲かれば雇用が生まれるし、企業が税金を払い、従業員に給料が支払われる。
その恩恵がまったくないとは言わない。
しかし、問題はその分配である。
一部の人が何千万円、何億円と儲けていても、一般の国民の生活が苦しくなっているとしたら、何のための経済成長なのだろう。
だからといって、私は金持ちの利益を全部取り上げろなどと言うつもりはない。
私は将来、お金持ちになったら、自分の好きなものを買い、旅行をして、贅沢な暮らしを楽しみたい。
気に入った研究者がいたら投資して、さらにお金を増やしたい。
その利益を全部取り上げられてしまったら、何のために働いて、何のために投資するのかわからなくなるじゃないか。
社会を支えるために、利益の一部を税金として負担することは理解できる。
しかし、利益のすべてを他人に渡す義務があるとは思わない。
他人の取り分まで勝手に計算に入れるな。
これは私が以前から何度も言っていることだ。
第3章 だったらベーシックインカムを考えなさいよ
すでに物価が上がってしまったなら、どうすれば被害を最小限にできるのか。
私が最初に思いつくのは、ベーシックインカムである。
一定額の生活資金を国民に給付する制度だ。
働いている人だけではなく、学生、失業者、年金生活者などにも給付できる。
これなら賃上げの恩恵を受けられなかった人にも、お金を届けられる。
もちろん、財源は必要になる。
だったら、高所得者や大きな利益を得ている企業などに、応分の税負担を求める方法を検討すればいい。
ただし、どの程度の税率なら経済活動を妨げず、どの程度の給付額なら生活を支えられるかは、きちんと計算しなければならない。
消費税を上げれば、生活必需品の価格にも影響する。
だから、税金なら何でも上げればいいという話ではない。
ここで、もう一度考えてほしい。
賃上げをする。
物価も上がる。
生活できない人が出てくる。
その人たちを助けるために税金を集める。
給付金を配る。
だったら、最初からそこまで計算して政策を決めればよかったんじゃないの?
私は日本でも、物価上昇を抑える政策を考えるべきだと以前から主張してきた。
戦争についても同じである。
戦争によって石油価格や輸送費が上がり、膨大な損害が出るなら、戦争を始める前に、その損失を考えるべきだ。
戦争で利益を得る人がいたとしても、それ以上に多くの人が損失を被っている可能性がある。
その損得を計算せず、後になって生活が苦しいと言われても、私は困ってしまう。
過去の判断を取り消すことはできない。
だからこそ、今ある被害をできるだけ減らす方法を考えなければならないのである。
第4章 学校が足りない? だったら何が足りないの?
さて、次は教育問題である。
仮にフランスの学校で、一クラス36人は多すぎるという不満が出ているとしよう。
それを聞いて、私は疑問に思った。
36人だから何なの?
一クラス36人でも、適切なデジタル教育を導入すれば、個々の生徒に対応できる可能性はある。
大切なのは、生徒の人数だけではない。
どんな授業をしているのか。
教師はどのような仕事をしているのか。
生徒はどこでつまずいているのか。
そのデータがなければ、適切な対策など決められない。
学校が足りないというなら、誰に足りないのか。
どこの地域で足りないのか。
難民や移民の増加によって、一部の地域だけ生徒が増えたのか。
それとも、教師が減ったのか。
人口の移動によって特定の学校に生徒が集中しているのか。
原因が違えば、解決方法も違う。
何も調べずに学校を増やせと言われても困る。
必要のない場所に学校を建ててしまったら、税金の無駄遣いになるからだ。
第5章 AIに授業を任せればいいじゃないか
私が以前から提案しているのは、AIを利用した個別教育である。
まず、AIが生徒一人ひとりの理解度を調べる。
その子の進度に合わせて授業を進める。
問題が解けなければ、別の説明をする。
さらに理解できなければ、もっと簡単なところまで戻って教える。
それでもわからなければ、人間の教師に質問すればいい。
なぜ全員が同じ授業を、同じ速度で受けなければならないのだろう?
勉強が得意な子供は、どんどん先に進めばいい。
苦手な子供は、理解できるまでじっくり学べばいい。
AIが教材や問題を用意し、採点や進度管理を補助すれば、教師の負担も軽減できる。
もちろん、AIが間違ったことを教えないように、教材の品質管理や教師による確認は必要になる。
しかし、人間の教師が何十人もの生徒に毎日同じ説明を繰り返す必要はなくなる。
教師はAIにできない仕事をすればいいのである。
人間には、人間にしかできない仕事がある。
生徒の表情や体調を見たり、学習意欲を引き出したり、人間関係の問題を解決したりすることだ。
私は教師という仕事をなくしたいわけではない。
教師の能力を、本当に必要なところに使ってほしいのである。
第6章 学校を午前・午後の二部制にしたら?
それでも学校が混雑しているというなら、午前と午後の二部制にすればいい。
例えば、午前8時から11時30分までを午前組。
昼の1時間を休憩時間とする。
午後12時30分から16時までを午後組にする。
これなら午前3時間半、午後3時間半、合わせて7時間の授業時間帯を設けられる。
生徒は午前か午後のどちらかを選ぶ。
家庭の事情によって、途中で変更できるようにしてもいい。
一度に登校する生徒数を減らせるので、校舎を効率的に使える。
ただし、教師が両方の時間帯で働くなら、仕事が自動的に半分になるわけではない。
そこでAI授業を組み合わせるのである。
教師が一日中教壇で説明し続ける必要がなくなれば、質問対応や学習管理の時間を調整しやすくなる。
実際に仕事が減るかどうかは、試験導入して確かめればいい。
さて、ここで当然の疑問が出てくるだろう。
学校にいる時間が半分になったら、勉強する時間も半分になるんじゃないの?
私はそうは思わない。
今はデジタル教材がある。
自宅でも勉強できる。
図書館でも勉強できる。
学校にいなければ学習できない時代ではないのだ。
第7章 図書館を充実させなさいよ
私は、図書館をもっと活用するべきだと思っている。
学校の図書館でもいい。
公共図書館でもいい。
そこに教科書や参考書だけでなく、漫画やアニメなどの教材を置いてもいい。
漫画から歴史に興味を持つ子供もいる。
日本人に学習漫画を書かせてもいいし、日本人の指導を受けてフランス人が学習漫画を書いてもいい。
アニメから科学に興味を持つ子供もいる。
文学作品に触れて、本を読むようになる子供もいる。
何が学習の入り口になるかわからないのだから、最初から選択肢を狭める必要はない。
しかも、本というのは、一度購入すれば何人もの人が繰り返し利用できる。
例えば、2,000円の本を100人が利用したとする。
本の購入費だけで考えれば、一人当たり20円だ。
もちろん、施設費や人件費、修理費なども必要になる。
でも、同じ本を何人もの人が使えるのだから、利用回数が増えるほど購入費を分担できる。
教育にお金を使うなら、一人にいくら配るかだけでなく、そのお金で何人に、どれだけの教育機会を提供できるかを計算すればいい。
私は、そういうお金の使い方を考えてほしいのである。
第8章 頭のいい学生にも、働いてもらえばいいじゃないか
さらに、AIで勉強しても理解できない子供がいたら、教師だけでなく、勉強のできる学生に教えてもらってもいい。
もちろん、有償のアルバイトとしてである。
教師の監督のもと、学習支援をする。
例えば、数学の得意な大学生が、中学生の数学を教える。
英語の得意な高校生が、年下の生徒の英語を手伝う。
教えてもらう側は理解が深まる。
教える側は知識を整理できる。
さらに、お金も稼げる。
一石二鳥どころではない。
教育の質を高めながら、学生の働き口まで増やせる可能性がある。
ただし、年齢に応じた労働規制や、学業に支障を与えない条件は必要だ。
そして、学生の生活費の問題。
本来は、学生には十分な時間を使って勉強してほしい。
しかし、物価高で生活できないところまで追い込まれてしまったら、働くという選択肢も必要になってくる。
例えば、学校で3時間半勉強し、帰宅後に2時間自習する。
さらに、希望する学生は3時間程度アルバイトをする。
こういう生活設計も、年齢や健康状態によっては可能だろう。
もちろん、全員に働けと言っているわけではない。
働けない人もいるし、学習に集中したい人もいる。
だからベーシックインカムなどの支援も組み合わせる。
重要なのは、選択肢を増やすことである。
第9章 テストの点数だけで、人間の能力を判断するな
さて、ここでもう一つ考えてほしいことがある。
私は先ほど、勉強のできる学生に、ほかの生徒の勉強を教えてもらえばいいと書いた。
しかし、これは単なるアルバイトの話ではない。
実は、人間の隠れた能力を発見するための仕組みにもなるのである。
例えば、数学のテストで100点を取る学生がいたとしよう。
その学生は確かに数学が得意なのだろう。
しかし、その学生が、数学の苦手な子供に上手に教えられるかといったら、それは別問題なのである。
自分で問題を解く能力と、他人に問題の解き方を教える能力は違う。
自分では簡単に解ける問題でも、相手がどこでつまずいているのかわからない人もいる。
反対に、自分のテストの成績はそれほど高くなくても、相手の理解できない部分を正確に見つけて、わかりやすく説明できる人もいる。
だったら、そういう人を評価してやればいいじゃないか。
そもそも学校の先生に必要なのは、何なのだろう?
テストで100点を取る能力なのか?
それとも、生徒が100点を取れるように教える能力なのか?
もちろん、教師には十分な専門知識が必要である。
しかし、専門知識が豊富だからといって、教えるのが上手とは限らない。
大学教授についても同じだ。
優れた研究成果を出せる人間が、必ずしも優れた教育者とは限らない。
研究する能力と、教育する能力も違うのである。
だったら、それぞれの能力を別々に評価すればいい。
研究が得意な人には研究を。
教えるのが得意な人には教育を。
両方得意な人がいたら、もちろん両方評価すればいい。
なぜ、そんな簡単なことを考えないのだろう?
午前組と午後組が教え合えばいい
ここで、先ほど提案した学校の二部制が役に立つ。
午前に授業を受ける学生は、午後の空いている時間に、希望すれば学習指導のアルバイトができる。
午後に授業を受ける学生は、午前中に教えればいい。
もちろん、自分の勉強や休息の時間まで犠牲にする必要はない。
あくまでも希望者が、無理のない範囲で参加する制度である。
勉強を教わりたい生徒は、AIに教えてもらっても理解できなかった問題を、学生の学習支援員に質問する。
それでもわからなければ、教師や専門の講師に相談すればいい。
これなら教師が全員の質問に一から答える必要も減る。
そして、教える学生自身にも経験が蓄積される。
しかも、これは貧しい家庭の学生だけを対象にする必要はない。
裕福な家庭の学生だって、参加すればいいのである。
お金持ちの親からもらっているお小遣いに比べたら、アルバイト代なんて大した金額ではないかもしれない。
しかし、お金だけが報酬ではない。
自分の能力を試せる。
指導経験を積める。
自分とは違う家庭環境や、違う考え方の人間と接することができる。
社会勉強にもなる。
何より、自分では気づかなかった才能を発見できるかもしれない。
もちろん、裕福な家庭の学生だからといって無償で働かせる必要はない。同じ仕事には公平な報酬を支払えばいい。
本人にとって、お金より経験の方が大きな価値を持つ場合もあるという話である。
教え方の上手な学生を発掘しなさいよ
さて、この制度を実施したら、何が起こるだろう?
勉強を教えるのが上手な学生が見つかるのである。
勉強だけじゃない、人の能力を見極め導く能力。これは会社経営や政治にも活かす事が可能だ。人材を人財として活かせる大切な力である。
例えば、同じ数学の問題を二人の学生が教えたとしよう。
一人は難しい数式を使って説明する。
もう一人は、身近な買い物の例を使って説明する。
どちらがわかりやすいかは、教わる生徒によって違うだろう。
だから、一つの説明方法だけで評価する必要もない。
生徒が理解できたか。
どこでつまずいたのかを発見できたか。
相手に合わせて説明方法を変えられたか。
教わる前と後で、どれだけ理解が進んだか。
そうした記録を積み重ねれば、教える能力を評価するためのデータが得られる。
もちろん、もともと成績のよい生徒を教えた人と、勉強の苦手な生徒を教えた人を、単純な点数だけで比較してはいけない。
そこも条件をそろえて分析すればいいのである。
そして、優れた指導能力を発揮した学生には、さらに高度な指導を経験してもらう。
将来、教師になりたいと思う学生が現れるかもしれない。
それまで教師になるつもりがなかった学生が、自分の才能に気づくかもしれない。
場合によっては、学校の成績だけでは目立たなかった学生が、優れた教育者として評価されることもあるだろう。
私は、こういう才能の発見こそ大切だと思っている。
人間の能力は、一種類じゃないんだよ
そもそも人間の能力を、テストの点数だけで判断すること自体に無理がある。
問題を解く能力。
問題を発見する能力。
新しい解決策を考える能力。
研究する能力。
他人にわかりやすく教える能力。
人を育てる能力。
これらは、それぞれ違う能力なのである。
もちろん、複数の能力を兼ね備えている人間もいる。
しかし、全員に同じ能力を求める必要はない。
だからこそ、さまざまな仕事や経験を通じて、その人の得意分野を見つければいい。
勉強を教えるアルバイトは、学生に収入を与えるだけではない。
教師不足を補う可能性がある。
学生の指導能力を育てられる。
将来の教育者を発掘できる。
それまで評価されなかった才能を発見できる。
一つの制度から、これだけの効果が期待できるのである。
もちろん、実際にどれだけ効果があるかは、制度を試してデータを取ればいい。
私は、テストで高得点を取れる人間だけを優秀だと決めつけるつもりはない。
人間には、それぞれ違った才能がある。
大切なのは、その才能を見つけること。
そして、その才能を最も効果的に発揮できる場所を用意することである。
だから、私は以前から言っているのだ。
人間は単なる材料じゃない。社会にとって大切な財産なんだよ。
第10章 人材じゃない。人財なんだよ。
私は以前から、人材という言葉についても考えていた。
人材の「材」は材料の材である。
しかし、私は人間を単なる材料として扱いたくない。
人間は財産なのだから、人財と考えるべきではないか。
教師という人財。
学生という人財。
研究者という人財。
地域で働く人々という人財。
大切なのは、その人たちをどこに配置するかということだ。
教師にしかできない仕事を、教師に任せる。
AIにできる仕事を、AIに任せる。
学生ができる仕事は、学生にも任せる。
そして、勉強したい人には勉強する機会を与える。
人が足りないからといって、何でも新しく人を雇えばいいわけではない。
すでに存在している人財を、もっと効果的に活用できないか考えるべきなのである。
第11章 私は答えを出した。でも、あんたたちはどうするの?
さて。
物価高への対応。
ベーシックインカム。
AIによる個別教育。
午前・午後の二部制。
図書館の充実。
学生による学習支援。
教師の業務の効率化。
人財の再配置。
私はこれだけの対策を、短時間で考えた。
もちろん、この案がすべて正しいとは限らない。
フランスの現状を正確に調べて、必要な部分を修正することもあるだろう。
実際に試してみたら、うまくいかない部分もあるかもしれない。
だったら、そこで改善すればいい。
私は最初から、完璧な答えを一回で出さなければならないなどとは思っていない。
試して、データを取って、比較して、問題点を修正する。
それが問題解決というものだ。
それに、私はもう、自分だけが問題を解き続けたいわけではない。
ほかの人が優れた答えを出してくれたら、それを見るのも楽しい。
自分では思いつかなかった方法を研究者が考えてくれたら、驚くだろうし、感心するだろう。
私は、そういう人たちに期待しているのである。
特にフランス。
長い歴史があり、哲学者も科学者も芸術家も輩出してきた国でしょう?
だったら、もっと知恵を出してみせてよ。
私はあんたたちを馬鹿だと思いたいわけじゃない。
むしろ、頭がいいと思っているからこそ期待しているんだよ。
だから、もし本当に国民が困っているのなら、何が問題なのか、どこに人財を配置すべきなのか、税金を何に使えば最も大きな効果が得られるのか、きちんと考えてほしい。
そして、私が15分で思いついた案より、もっと優れた解決策を出してみせてほしい。
そうしたら私は、きっとこう言うだろう。
「おお、やるじゃん。さすがフランス!」
問題を解く能力がある人間が、すべての問題を解決してやる義務はない。
問題が起きた社会には、その社会自身が答えを考える責任がある。
私は優秀な人間が活躍するところを、もっと見てみたいのである。
――天才パンダ




