↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!ゲームと脳科学 楽しい経済学 切り裂きジャックと孤独  作者: ヘタレパンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1071/1139

第2話 ふるさと創生1億円――その金、本当に役に立ったのか?

第2話 ふるさと創生1億円――その金、本当に役に立ったのか?


天才パンダのエッセイ


昔、日本には「ふるさと創生1億円事業」というものがあった。


竹下登内閣の時代、1988年から1989年にかけて、全国の約3,000の市町村に、地域振興のための1億円が交付されたのである。


正式名称は「自ら考え自ら行う地域づくり事業」。


つまり、国が地方自治体にお金を渡し、何に使うかは自分たちで考えなさい、というものだった。


なかなか面白い政策だと思う。


なぜなら、同じ金額を渡しても、自治体によって使い道がまるで違ったからである。


ある自治体は公共施設を整備した。


ある自治体は地域産業にお金を使った。


そして、ある自治体はモニュメントを建てた。


モニュメントである。


私は昔、この使い道を知ったとき、思わず考えてしまった。


「お前、1億円あって、それを建てたの?」


いや、芸術が悪いと言っているわけじゃない。


私だって美術を学んだ人間だ。


芸術作品に価値があることくらい知っている。


だが、芸術作品に価値があることと、自治体が1億円を使ってそれを建設することに価値があるかどうかは別問題である。


例えば、何も見どころがないところに巨大なモニュメントを建てたとする。


立派なモニュメントができた。


よかったね。


で?


「それを見に、誰が来るんだよ?」


観光客が来るかもしれない?


じゃあ、何人来るの?


一年間で何人?


その人たちはどこから来るの?


何を目的に来るの?


いくらお金を使ってくれるの?


そのうち地元に残る利益はいくら?


維持費は?


修理費は?


建て替え費用は?


誰か、計算したの?


まさか、立派なものを建てれば、勝手に観光客が来ると思っているんじゃないだろうね。


私は、そういう発想こそ問題だと思っている。


例えば、ある人気アニメの舞台になった場所にモニュメントを建てるなら、まだわかる。


ファンが聖地巡礼に来るかもしれない。


近くの店で買い物をしたり、飲食店を利用したり、宿泊してくれるかもしれない。


もちろん、その場合だって費用対効果の計算は必要である。


ただ、訪れる理由がある。


ところが、何もない場所に、何の計画もなくモニュメントだけ建てて、


「観光客が来てくれるといいですね」


って。


それ、事業計画じゃなくて願望だろ。


1億円という金額は、そんなに小さな金額ではない。


普通の人間が一生懸命働いても、簡単に貯められる金額ではないのである。


それなのに、他人が納めた税金だからといって、ろくに計算もせずに使っていいわけがない。


もちろん、記念碑や文化財の保存には、収益以外の価値もある。


しかし、文化事業として必要だから建てたのか、観光振興のために建てたのか。


目的くらいは明確にすべきである。


そして、その目的に照らして、本当に1億円使う必要があったのかを検証すべきだ。


私が言っているのは、そういうことである。


⸻


■ 結城市は駅にお金を使った


その点、私が評価しているのは、茨城県結城市の使い道である。


結城市では、ふるさと創生事業を活用して、結城駅南口の自由通路「友愛メルヘン橋」を整備したとされている。


その後、結城駅は1994年に橋上駅舎となった。


私は、このような駅周辺の整備にお金を使う考え方を評価している。


なぜなら、駅は住民が利用する場所だからだ。


通勤、通学、買い物、通院。


人が移動する。


毎日の生活に役立つ。


駅周辺の交通が便利になれば、住民だけでなく、訪れる人にも恩恵がある。


利用者が多ければ、多いほど、整備した効果も大きくなる可能性がある。


もちろん、建設費も維持費もある。


だから、駅なら何を建ててもいいという話ではない。


だが、少なくとも利用目的が具体的で、効果を測定しやすい。


私は、こういうものにお金を使う方が、ずっと理解できる。


モニュメントを見て、


「立派ですね」


と言って帰るのと、


駅を利用して、


「便利になったね」


と言うのでは、生活への影響が違うのである。


公共事業なら、住民が何を得られるかを考えるべきではないだろうか。


⸻


■ 私なら図書館にお金を使う


では、もし私が1億円を自由に使える立場だったら、何に使うだろうか。


まず考えるのは、図書館である。


ただし、立派な建物を建てるという話ではない。


本や資料を購入し、市民が継続的に学べるようにするのである。


例えば、1億円を20年間に分ければ、単純計算で毎年500万円を使える。


もちろん、物価上昇や管理費を考慮する必要はあるし、基金として運用するなら運用益も計算しなければならない。


だが、考え方としてはこうだ。


毎年500万円分の本や資料を購入できる。


新しい科学の本。


医学の本。


歴史の本。


料理の本。


仕事に役立つ本。


映像資料。


そして漫画。


毎年少しずつでも、新しい知識を住民に届けられるのである。


それが20年間続いたら、どうなるだろう。


子供たちは新しい知識を得る。


大人も勉強できる。


高齢者だって、興味のあることを学べる。


図書館に行く習慣がつけば、一冊読んで終わりではなく、次の本にも手が伸びるかもしれない。


私は、建物を立派にすることより、その中にどんな知識が詰まっているかの方が重要だと思う。


ただし、ここで一つ問題がある。


本を置けば、それで住民が勉強するのか。


答えは、そんなに単純ではない。


⸻


■ 私が中学校の図書館を利用しなくなった理由


私は中学生の頃、学校の図書館に行ったことがある。


一度だけである。


どんな本が置いてあるのかと思って、棚を眺めてみた。


夏目漱石。


芥川龍之介。


宮沢賢治。


その他、近代文学と呼ばれる作品。


暗い。


とにかく暗い。


当時の私には、生きることが嫌になりそうな話ばかりが並んでいるように見えた。


「なんだよ、これ。こんなの読んでらんねえよ!」


そう思ったのである。


別に、私は本が嫌いだったわけではない。


むしろ子供の頃から本は好きだった。


母親が買ってくれた童話や学習漫画も読んでいた。


知識を得ること自体は好きなのである。


でも、だからといって、暗い文学作品を喜んで読むとは限らない。


人間が苦しんでいる。


社会が悪い。


人生はつらい。


それでも耐え忍んで生きていく。


そんな話を読んで、何が楽しいんだろう。


もちろん、苦しんでいる主人公に共感すれば、自分と同じ人間がいると安心することはあるだろう。


だが、共感しただけで問題が解決するわけではない。


「私も苦しい。あなたも苦しい。だから一緒に耐えましょう」


それで終わってしまったら、苦しみの原因は残ったままである。


私は、だったらどうすれば苦しみを減らせるのか、どうすれば生活を改善できるのか、そういうことを知りたい。


もちろん、すべての文学作品が問題解決の方法を書かなければならないとは思わない。


ただ、疲れている人間に、さらに疲れるような作品ばかり勧める必要もないだろう。


そういうわけで、私は中学校の図書館に興味を失った。


そして、高校に入ってからも、しばらく図書館を利用しようとは思わなかった。


ところが、ある日、友達からこんなことを聞いた。


「図書館に漫画あるよ」


漫画?


それは面白そうだ。


さっそく行ってみることにした。


すると、どうだろう。


漫画がたくさん置いてあるではないか。


しかも、若い人間が読みたくなるような小説まで揃っている。


「なんだ、面白いじゃん!」


それから私は、高校の図書館を利用するようになった。


そのとき読んだ漫画の一つが、手塚治虫の『ブラック・ジャック』である。


私はその作品を通じて、医学にも興味を持つようになった。


もちろん漫画である。


現実の医学と違う描写もある。


だが、それなら自分で調べればいい。


これは本当なのか。


実際の医療ではどうなのか。


人間の身体はどうなっているのか。


そうやって知識を増やしていけばいいのである。


当時、私は図書館の先生に、


「手塚治虫の漫画、全部揃えてよ」


と言ったことがある。


先生は「いいね」と言ってくれた。


実際に全部揃ったかどうかは覚えていない。


でも、その先生が漫画を読むことに肯定的だったのは覚えている。


今考えても、あれはいい図書館だったと思う。


私が通っていた高校は、決して学力水準が高い学校ではなかった。


だが、図書館には魅力があった。


そして私は、その図書館から医学に興味を持った。


つまり、漫画が私の知識を増やしたのである。


⸻


■ 学習漫画だけ置けばいいと思っているのか?


私は、結城市の図書館についても、以前から不満を持っていた。


施設は立派なのに、私が利用した当時、読みたい漫画が少なかったからだ。


もちろん、今では学習漫画なども置いてある。


それは結構なことである。


だが、私は言いたい。


「普通の漫画を置けよ!」


学習漫画だけ置いて、


「漫画もありますよ」


と言われても、それは私が求めているものとは違う。


私が言っているのは、普通に読んで面白い漫画である。


藤子・F・不二雄。


手塚治虫。


その他、面白いだけではなく、読んでいるうちに自然と知識が増える作品はたくさんある。


例えば『ドラえもん』。


秘密道具を使って、さまざまな問題を解決しようとする。


もちろん、現実には実現できない道具も多い。


だが、発想の入口にはなる。


「こんな道具があったら便利だな」


「本当に作れるのかな」


「似たような技術はないのかな」


そこから科学や技術を調べることだってできる。


『ブラック・ジャック』なら医学。


『火の鳥』なら生命や歴史、文明。


漫画というものは、実にいろいろな知識への入口になるのである。


それなのに、どうして学習漫画だけにこだわるのだろう。


学習漫画というのは、最初から勉強させようという目的で作られている。


それもいい。


だが、勉強したいと思っていない人間まで、最初から勉強用の漫画を読みたがるとは限らない。


まず面白い。


もっと読みたい。


続きを知りたい。


そして、作品に出てきたことを調べたくなる。


私は、この順番が大切だと思っている。


実際、東海村立図書館では、貸出案内にも漫画が含まれていることが明記されている。


それに対して、私が利用した当時の結城市の図書館は、漫画の充実度という点で物足りなかった。


図書館員には、ただ「良い本」を選ぶのではなく、利用者が本当に読みたいものを知ってほしい。


利用者の年齢や学力、興味、生活環境は違う。


読書が好きな人ばかりではない。


だからこそ、どうすれば図書館に来たくなるのかを考えるべきなのである。


⸻


■ 図書館員が無料講座を開いたらどうだろう


さらに、私は図書館を単に本を貸す場所で終わらせる必要はないと思っている。


例えば、漫画を教材にした無料講座を開く。


『ブラック・ジャック』を読んだ人に、実際の医学について解説する。


『ドラえもん』を読んだ人には、現代科学で実現している技術を紹介する。


『火の鳥』を読んだ人には、歴史や生命科学を紹介する。


漫画の内容が間違っていたら、間違っていると説明すればいい。


「この作品ではこう描かれていますが、実際にはこうなっています」


それでいいのである。


図書館員が専門的な知識をすべて持っている必要はない。


必要なら研究者や医師、技術者などに協力してもらえばいい。


ただし、無料講座だからといって無制限に費用をかけていいわけではない。


講師への謝礼も、資料代も、参加者数も、きちんと予算を立てる。


そして参加者が何を学び、次にどんな本を読みたいと思ったのかを調べる。


ここでも、そろばんである。


私は、こうした活動によって市民の知識や判断力を高められるのではないかと思っている。


しかも、大切なのは学力の高い人だけを対象にしないことだ。


勉強が苦手な人間にも、知りたいという欲求はある。


本を読むのが苦手な人もいる。


そういう人には映像資料を提供すればいい。


映像なら理解できる人もいるだろう。


音声なら学びやすい人もいるだろう。


漫画なら読みたくなる人もいるだろう。


大事なのは、その人が理解できる方法で知識を届けることである。


それなのに、難しい本を読まない人間に向かって、


「もっと教養を身につけなさい」


と言っているだけでは、何も変わらない。


勉強しろと言う前に、勉強したくなる環境を作ってみろ。


私はそう言いたいのである。


⸻


■ 人間は疲れている。だから笑える漫画も必要だ


もう一つ、私が図書館に漫画を置いてほしい理由がある。


それは、娯楽としての価値である。


今の世の中、人間は疲れている。


仕事で疲れる。


学校で疲れる。


家庭で疲れる。


人間関係で疲れる。


そんなとき、図書館で漫画を借りて、家に帰って読む。


面白い。


思わず笑ってしまう。


「ああ、面白かった」


そして、


「明日も頑張ろうかな」


と思える。


それだけでもいいではないか。


私は、そういう作品にも価値があると思っている。


もちろん、深刻な問題を扱った作品を全部なくせと言っているわけではない。


だが、暗い作品ばかり置く必要もない。


苦しい人に苦しい物語を読ませて、共感させる。


それで安心する場合もあるだろう。


だが、安心と問題解決は別である。


苦しみを何度も思い出すことで、かえって気分が悪くなる人もいるかもしれない。


だったら、気持ちが楽になる作品や、新しい知識を得られる作品、楽しく生きるためのヒントになる作品も用意しておけばいい。


私は、図書館が人間を賢くするだけでなく、幸せにする場所でもあってほしいと思っている。


「生きてて良かった」


そう思える漫画や小説や映像があったっていいではないか。


むしろ私は、そういう作品をもっと増やしてほしい。


⸻


■ では、1億円を使った結果をどう計算するか


さて、話を最初に戻そう。


ふるさと創生1億円。


結局、そのお金をどう使うべきだったのか。


私は、まず目的を決めるべきだと思う。


観光客を増やしたいのか。


住民の暮らしを便利にしたいのか。


利用者の学力を上げたいのか。


地域の産業を育てたいのか。


市民の健康や幸福度を高めたいのか。


目的が違えば、使うべき方法も違う。


そして、一つの方法だけで解決しようとする必要もない。


例えば図書館なら、漫画を増やすだけで本当に利用者が増えるか調べればいい。


購入前に住民の希望を聞く。


漫画を一定数導入する。


半年後、一年後に貸出状況を確認する。


図書館に来る人が増えたか。


新しく利用者登録した人が何人いたか。


漫画以外の本も借りるようになったか。


講座を開けば参加する人がいるか。


気分転換や学習に役立ったと感じる人がいるか。


そして、投入した予算に対して、どれだけの成果があったのか。


これを調べる。


もし効果が小さかったら、方法を変えればいい。


漫画より映像資料の方が人気なら、映像資料を増やせばいい。


専門書の需要が多ければ、専門書を増やせばいい。


大切なのは、最初に立てた計画にこだわり続けないことである。


やってみて、数字を取り、結果を比較して、次の方法を考える。


それでいい。


最初の計画が間違っていたとしても、改善できればいいのである。


ただし、間違っていたことを認めず、無駄な支出を続けるのは話が違う。


私は、そういうところにこそ責任があると思っている。


⸻


■ そろばんを弾けない人間が、他人の金を使うな


ふるさと創生1億円事業は、自治体が自分たちで地域づくりを考える機会でもあった。


その点には意味があったと思う。


だが、自由にお金を使わせるのであれば、使った結果についても責任を持つべきではないだろうか。


これは前回の寄付や国際援助の話とも同じである。


お金を配りました。


モニュメントを建てました。


学校を建てました。


ワクチンを配りました。


図書館を建てました。


それで?


「その結果、何が改善したんですか?」


私は、それが知りたいのである。


何人が利用したのか。


何人の生活が便利になったのか。


何人が新しい知識を得たのか。


何人が自立できるようになったのか。


その効果は何年間続いたのか。


そして、そのお金を別の使い方にしていたら、どうなっていたのか。


これは特別難しいことを言っているわけではない。


当たり前の計算だと思う。


もちろん、すべての成果を金額だけで評価できるとは思っていない。


人間の幸福や芸術の価値を、すべて円に換算することは難しい。


しかし、だからといって計算しなくていいわけではない。


測定できるものは測定する。


測定できないものは、どう評価するかを考える。


情報が不足しているなら集める。


結果が悪ければ原因を調べる。


そうして少しずつ、より良い方法を見つければいいのである。


私は別に、政治家になりたいわけではない。


社長になって従業員の面倒を見るのも御免である。


自分の金を増やして、旅行をして、好きなことをして暮らしたい。


気に入った研究者がいたら投資して、その研究成果を見て驚いていたい。


もう、それで十分なのである。


だが、政治家や経営者には、他人のお金をどう使うか考える責任がある。


そのお金を使えば、どれだけの人が恩恵を受けるのか。


その裏で、どれだけの人が負担するのか。


今使うべきなのか。


将来のために残しておくべきなのか。


もっと有効な使い道はないのか。


そこまで考えて、初めて予算を組むのである。


渋沢栄一の『論語と算盤』ではないが、私は結局、社会を良くするためには計算が必要だと思っている。


善意だけでは足りない。


理想を語るだけでも足りない。


「みんなが幸せになればいいですね」


それは結構。


「で、どうやって幸せにするんだよ?」


その答えを出すために、計算するのである。


私は1億円のモニュメントを見て感心するより、1億円を使って何十年も市民の学習を支えられる仕組みを作った人間に感心したい。


そして、漫画を一冊読んで笑った子供が、次の日には医学や科学の本を借りるようになる。


そんな図書館があったら、私は素晴らしいと思う。


なぜなら、その1億円は、建物や記念碑として残るだけではなく、人間の頭の中に知識として残っていくからである。


私は、そういうお金の使い方を評価したい。


国民が苦労して稼いだお金だ。


他人から預かったお金だ。


だったら、少しは頭を使ってくれ。


そろばんを弾け。


それが私の言いたいことである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。