綺麗事を言いながら上前跳ねる計算する嘘吐き
会社のためですから!――人間は製品じゃねえんだよ
私は昔、ある百円ショップで働いていた。
そこで何を学んだか。
能力のない人間に権力を持たせると、ろくなことにならない。
もちろん、能力が低いこと自体が悪いわけじゃない。わからないなら、わかる人間に聞けばいい。自分より優秀な部下がいたら、仕事を任せればいい。
ところが、世の中には、自分より優秀な人間を見ると、なぜか勝負を始める上司がいる。
勝負なんかしてねえよ。
私は普通に仕事がしたいだけなんだよ。
黒い皿と白い皿
店には、黒い陶器の皿と白い陶器の皿があった。
なぜか黒い皿ばかり売れる。
ところが、発注すると黒と白が一緒に届く仕組みだった。黒だけ欲しくても注文できない。
当然、売れ残るのは白い皿だ。
私はどうしたら白い皿が売れるのか考えていた。
陳列方法を変えるか。それとも本社に掛け合って、黒と白を別々に注文できるようにするか。
すると、ある上司が私の為に大量発注してくれた。
黒と白の皿を。
しかも、得意満面でこう言うのだ。
「お前のために注文してやったぞ!」
おい、ふざけんな。
こっちは売れ残る白い皿をどうするか考えてんだよ!
なんで売れない白い皿をさらに増やしてくれちゃってんの?
しかも、私は腰が悪いと伝えていた。
陶器なんて一枚一枚が重い。重ねればさらに重くなる。箱から取り出して棚へ並べるだけでも大変なのだ。
文房具や化粧品など、比較的軽い商品を担当させてもらえたら、ありがとうと言える。
ところが、上司は陶器が一番楽な仕事だと言う。
誰にとって楽なんだよ。
俺がフォローしてやったぞ!
そのアホな上司は、パソコンの配置を変えようとしていた。その為に配線を移動させようとした。
私は、配線を抜く前に接続順序を書き留めようとした。
ところが上司は、
「そんなことしなくても、お前なら覚えられるだろう!」
と言い、記録する前に線を引っこ抜いてしまった。
そして接続がわからなくなる。
「パンダ、元に戻せ!」
できるわけねえだろ。
私は見たものを記録して復元しようとしたのであって、配線の仕組みを全部理解していたわけじゃない。
結局、不具合が出て修理業者を呼ぶことになった。
業者は配線を見て驚いた。
「どうしてこんなでたらめな配線になってるんですか?」
そして、誰が配線を抜いたのか尋ねた。
私は上司の指示で「知りません」と答えることになった。
しかも本社には、私が謝罪しろという。
お前がやったんだろうが!
こんな調子で、私は上司の失敗を何度も後始末することになった。
それなのに本人は、
「俺がフォローしてやったからな!」
と得意げなのだ。
お前のフォローの失敗を、誰がフォローしていると思ってんだよ。
部下に負けたくない上司
別の女性上司は、ことあるごとに私の能力が低いと言っていた。
そして、重い缶ジュースを台車から降ろして積み上げろと命じた。頭を使うのはあなたには向いていないからと言う。
私は腰が悪い。
それでも何個か運んで、ふと考えた。
ここは開店準備中の店だった。そもそも、このジュースを置く場所は決まっているのか?
決まっていないなら、後でまた運びなおすことになる。
「置き場所が決まってから移動したほうが良いのでわ、二度手間になりませんか? そこまでして私の腰を痛める必要がありますか?」
すると、怒ってやらなくていいと言う。
だったら最初から考えろよ。
しかも、私が言いつけられた仕事をこなしていると。その女上司のお気に入りのスタッフが困っている。女上司に怒られるのが怖い。力を貸してと言う。私は5分待ってくれたら行けるよと言ってるのに。彼女は私が怒られちゃう。その仕事は良いから手伝って皆んながこまってるとゴネ出した。仕方なく仕事を手伝いに行って、私が結局一人で10分程度で終わらせて戻ってきたら、今度は、女上司が帰ってきて
「まだ仕事が終わってないの? 本当にダメな人間ね」
と言われた。私に迷惑をかけて仕事を中断させた人間が半泣きで私を見ていた為。黙って罵詈雑言を浴びたのだが。
いや、お前の部下に途中で連れていかれたんだけど。
ほかにも、お客様から私宛ての感謝状が届いたことがあった。
この上司は、ほかの従業員が褒められたときには名前を挙げて称賛するのに、私のときには名前を出さなかった。
私が見ていた限り、その上司は自分より仕事ができる人間を好まなかった。
自分より能力の低い人間は可愛がる。自分より仕事ができる人間には張り合う。
なんでだよ。
管理職は部下と競争する仕事じゃないだろう。
自分より仕事ができる部下がいたら、その人の能力を利用して、店の業績を伸ばせばいいじゃないか。
それができないなら、何のための管理職なんだ。
私は会社のために尽くしています!
その上司がよくやっていたのが、会社への忠誠心のアピールだった。
備品を自腹で購入してくる。
社員が代金を払うと言っても、
「いいんです! 会社のためですから!」
と断る。
私は真面目です。
私は頑張っています。
私は会社に尽くしています。
なるほど、ご立派ですね。
でも、会社の備品なら会社の金で買えばいいじゃん。
自腹で買ったことより、会社の利益を増やしたかどうかのほうが重要なんじゃないの?
部下の能力を活用できず、仕事の邪魔をして、それでも自腹で備品を購入すれば優秀な管理職なのか?
それじゃ単なる自己満足だろう。
さらに、仕事が回る状態なのに、7連休を取るのはずるいという人までいた。
学生アルバイトが出勤できる時期に、私がまとめて休む。
同じ店舗のスタッフは、
「私がシフトに入れるから、喜んで休んでいいよ」
と言っていた。
私が休みたい。
ほかの人は働いて給料をもらいたい。
店も問題なく営業できる。
全員にメリットがある。
なのに、別の店舗のスタッフが「私は7連休すると給料が減るから取れない。ずるい」と言う。
知らんがな。
だったらあなたは働けばいいじゃん。
私が休んだからといって、あなたの給料が減るわけじゃないでしょう。
自分ができないことを、他人にも禁止する。
そういう考え方だから、いつまでたっても生活が豊かにならないんじゃないのか。
善良そうな人間は嘘をつかないのか?
職場では、こんな事件もあった。
ある女の子が他人のバックを漁り、他人のシフトを見ていた。
ところが、それを指摘されると泣きながら否定した。
すると女性上司は、その女の子を信用し、指摘した側に対して、
「あなた、頭がおかしいんじゃないの? 彼女がそんなことするわけないじゃない!」
と決めつけた。女上司の中では泣かせた人間が悪人で、泣いた人は護るべき被害者と言う図式が出来上がって居たらしい。
私は被害者と呼ばれた女性の眼差しが印象に残っている。
夢を見るような目だった。
まるで神様を信じるようなリアリティを感じられない責任感のない目だった。
相手が泣けば正しいのか?
優しそうな顔をしていれば嘘をつかないのか?
それなら何のために事実を確認するんだよ。
私はこういう経験から、人間が嘘をどう判断するのかについても考えるようになった。
宮沢賢治と自己犠牲
こういう話をしていると、私は宮沢賢治のことを思い出す。
賢治は清貧や自己犠牲を象徴する人物として、よく美化されている。
ところが、実際の賢治は裕福な家庭に生まれ、高価なチェロを買い、演奏を習い、高額なレコードもたくさん集めていた。
清貧、清貧と言うなら、まずチェロを買うのをやめろよ。
レコードを集めるのもやめろよ。
もちろん、私は賢治が音楽を楽しむこと自体は悪いと思わない。
問題なのは、そんな賢治を自己犠牲の理想像として持ち上げ、他人には我慢や貧乏を要求することだ。
私が映画館に行けば、
「贅沢だ!」
と言われる。
障害者は映画は一回1,000円程度。月に2、3回見ても2,000〜3,000円程度だった。
「私たちは映画館に行けないんだよ!」
と言われたこともある。
いや、そりゃ映画館が遠い場所に住んでるからでしょ。
私の家から映画館までは車で5分なんだよ。
なんでそれが贅沢になるんだ?
賢治がチェロを習うのは立派な趣味で、私が映画を見るのは無駄遣いなのか?
そんな馬鹿な話があるか。
アイデアは欲しい。でも金は使うな
もっとおかしな話がある。
映画を見たら感想を言ってほしい。
面白かったら宣伝してほしい。
料理を食べたら評価してほしい。
どこを改善すればもっとおいしくなるか考えてほしい。
私はそういうことを考えるのが好きだから、実際にいろいろ発言してきた。
ところが、映画を見たり、おいしいものを食べたりすると、
「贅沢だ!」
と言われる。
じゃあ、食わずに料理の味を評価しろっていうのか?
映画を見ずに映画の感想を書けっていうのか?
無理だろうが。
映画を見たり料理を食べたりすることは、それ自体が私の楽しみだ。
そのうえで、改善点を見つけたり、ほかの人に魅力を伝えたりすることもできる。
企業がそうした意見を商品開発や宣伝に役立てることだってあるだろう。
もちろん、私の意見が実際にどれだけの売上につながったのかは、企業のデータを調べなければわからない。※あるテーマパークは年間売り上げが3倍維持とかデータ出てたけど。チャッピーはパンダだけの力じゃない、偶然かもよとか言ってた。
でも、消費者が商品を使い、評価して、改善案を伝えることに経済的な価値があるのは確かだ。
それなら、消費者が体験にお金を使うことを、頭ごなしに否定するのはおかしい。
旅行は浪費なのか?
私は旅行も好きだ。
東京へ行く。横浜へ行く。千葉へ行く。
ホテルに泊まる。食事をする。映画を見る。テーマパークで遊ぶ。
お金は現地の店や企業に支払われる。
そのうえで、面白かったところを紹介したり、改善点を発信したりすることもある。
だったら、世界旅行をしたらどうなるんだろう?
世界各国でお金を使い、文化や商品やサービスを体験する。
そして、それぞれの国の魅力を発信する。
私は以前から、国や地域が経済を豊かにしたいなら、自分たちの得意なことや魅力をもっと宣伝すべきだと考えてきた。
芸術、美術品、料理、観光地、アニメ、ゲーム。
何でもいい。
自分たちの売りが何なのかを考えて、世界に伝えればいい。
黙っていても、世界中の人が勝手に価値を発見してくれるとは限らない。
もちろん、宣伝すれば必ず売れるわけじゃない。
でも、知ってもらえなければ、買ってもらう機会すらないでしょう。
そういう経済の仕組みを考えてきたから、私は旅行も食事も娯楽も、単純な無駄遣いとは考えていない。
そして、もっと大切なことがある。
たとえ何の経済効果も生まなかったとしても、自分が楽しむために旅行したっていいじゃないか。
私は人間なんだから。
私の金は私の金だ
仮に、私が仕事で1兆円稼いだとしよう。
そこから税金を半分取られて、5,000億円残ったとする。
もちろん、半分も税金で持っていかれたら腹は立つ。
でも、税金によって社会の基盤が整えられることにもメリットがあるから、総合的に考えて納得する場合もあるだろう。
ところが、そこでさらに、
「残ったお金も社会のために分配しなさい」
と言われたら?
ふざけんな。
社会への貢献によって得た報酬から税金まで払って、さらに私の財産を全部差し出せっていうのか?
私は自分の好きな研究者に投資してもいいし、旅行してもいい。豪邸に住んでもいい。
もちろん、寄付する気はさらさらない。投資ならする。
でも、それを他人が勝手に決めるなよ。
私に自己犠牲を要求するなら、まず自分がやればいい。
自分の給料も財産も全部差し出してから、人に言ってみろ。
私は他人の幸福のためだけに生きているんじゃない。
自分だって幸福になりたいんだよ。
日本製品は立派。でも人間は製品じゃない
日本製品は優秀だ。
品質が高く、世界中で評価される。
それを誇りに思うのは結構なことだ。
でも、私は思う。
100点満点の製品を作ろうとして、働いている人間にまで100点満点を要求してどうするんだ?
人間には限界がある。
疲れる。病気になる。失敗する。休みたい日もある。
映画を見たいし、おいしいものも食べたい。
旅行にも行きたい。
働いたら給料をもらいたい。
それなのに、
「社会のために我慢しなさい」
「自己犠牲は美しい」
「誇りを持てるでしょう」
「お金より大切なものがあるでしょう」
と説教される。
そんな妄想より、十分な給料を払えよ。
休暇を与えろよ。
部下の能力を正しく評価しろよ。
それもしないで、何が社会への忠誠心だ。
品質の高い製品を作るのはいい。
でも、その製品を作るために、人間の人生を使い潰してどうするんだ。
しかも、自分は部下の手柄を横取りし、部下には失敗の後始末をさせ、それで「会社のために尽くしています!」と胸を張る。
私が長年の経験で学んだのは、こういうことだ。
自分が立派な人間に見られることと、本当に人の役に立つことは違う。
自分が犠牲になることと、他人に犠牲を要求することも違う。
そして、能力がある人間をこき使えば、会社や社会が自動的に豊かになるわけでもない。
優秀な人間が、その能力を発揮しながら豊かな生活を送れる。
そんな仕組みを作ることこそ、社会を発展させる方法なんじゃないのか。
もう一度言おう。
人間は製品じゃねえんだよ。
会社の備品でもなければ、誰かの所有物でもない。
幸せになるために生きている、一人の人間なんだよ。
しかも他人に清貧の美徳を勧めながら、他人が出した利益を計算して、他人の能力の恩恵を独占し、おまけに稼いだ金まで奪い取る計算してる奴の言ってることなんて説得力全然ねえのに。自分の狡さは見ないふりを出来る頭の悪い馬鹿の言うことなどきいてられないね。アホらしい。
口では綺麗事並べながら、自分の取り分を如何に多くしようか考えるクズ人間。正にゴミだね。死んで欲しい。




