馬鹿だと思った人間からだって、学ぶことはある
馬鹿だと思った人間からだって、学ぶことはある
私は、人間を観察することも勉強だと思っている。
例えば、私の知り合いには、性的な行動への依存が強いように見える女性がいた。
私は、その人の行動を見て、馬鹿なことをしているなと思うこともあった。
また、男性の中にも、何かというと、
「人間は不幸な生き物だ」
「人間は醜い生き物だ」
「人生とは苦しいものだ」
と語る人がいた。
私は、そういう人を見ると、また始まったよ、と思う。
そんなに不幸が好きなら、一人で不幸に酔っぱらってろよ!
だが、私はそこで考えるのをやめない。
なぜ、その女性は性的な行動に依存するようになったのだろう。
なぜ、その男性は人間を不幸な生き物だと思うようになったのだろう。
何か嫌な経験があったのか。
誰かに何かを教え込まれたのか。
何かを失ったのか。
それとも、そういう考え方を繰り返しているうちに、そこから抜け出しにくくなったのか。
人によって原因は違うだろう。
だから、私は観察する。
話を聞く。
過去に知った別の事例と比較する。
そして、自分の頭の中で計算する。
私にとって、彼らは貴重なサンプルなのである。
もちろん、これは人間を実験動物として扱うという意味ではない。
彼らにも人生がある。
苦しみがある。
本人にしかわからない事情もある。
私は、その人をただ馬鹿にして終わるのではなく、その人の経験から何を学べるかを考えているのである。
なぜ同じ問題を繰り返すのか。
なぜ解決できるかもしれない問題を、解決しようとしないのか。
なぜ自分が不幸だという考え方に固執するのか。
その原因がわかれば、似たような問題に苦しんでいる別の人を助ける方法が見つかるかもしれない。
そう考えると、どんな人間の経験にも、学ぶ価値がある。
優秀な人間からは、優秀な考え方を学べる。
間違った判断をした人間からは、なぜ間違ったのかを学べる。
失敗した人間からは、同じ失敗を繰り返さない方法を学べる。
不幸になった人間からは、どうすれば不幸を防げるのかを考える材料を得られる。
だから、どんな人間でも無駄にはならない。
どんな答えでも、考える材料にはなる。
正しい答えだけが勉強になるわけではないのである。
ただし、一つだけ言わせてもらいたい。
同じ質問を何度も何度も繰り返す人間がいる。
こちらが説明する。
理解したと言う。
ところが、しばらくすると、また同じことを聞いてくる。
また説明する。
また理解したと言う。
そして、また同じ質問をしてくる。
おい。
もうそのデータは取れてるんだよ!
新しい事実があるなら教えてくれ。
違う条件で試した結果があるなら、それも聞きたい。
前の答えが間違っていたという証拠があるなら、喜んで検討する。
だが、何の新情報もないまま、同じことを延々と繰り返されても困る。
うるせえよ! もうわかったよ! 次の問題に進ませろ、このバカ野郎!
私は、何でも学ぼうとする姿勢が大切だと思っている。
ただし、それは同じ説明を永久に聞き続けることではない。
学んだことを蓄積して、次の疑問に進むことだ。
知らなかったことを知る。
わからなかったことを理解する。
新しい事実が見つかったら、考えを修正する。
そして、また次のことを学ぶ。
私は、そういう勉強を毎日続けている。
ニュースでもいい。
漫画でもいい。
映画でもいい。
人間との会話でもいい。
たとえ反面教師にしたくなるような人間だったとしても、そこから学べることはある。
勉強とは、偉い先生の言葉を丸暗記することじゃない。
この世にある、ありとあらゆるものから学ぼうとすることなんだよ!
――天才パンダ




