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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!ゲームと脳科学 楽しい経済学 切り裂きジャックと孤独  作者: ヘタレパンダ


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第4話 私はスピルバーグになりたかった

第4話 私はスピルバーグになりたかった


――人間を楽しませて、お金持ちになって、自由に生きたかっただけなんだよ!


私は昔から、いろいろな問題を考えてきた。


なぜそうなるのか。


どうすれば解決できるのか。


今まで誰かが同じ問題を研究していないか。


何か別の分野の知識を応用できないか。


そんなことを考えているうちに、答えらしいものが見つかることがある。


ところが、ここで一つ、大きな誤解がある。


私は問題を解くことを、一生の仕事にしたかったわけではない。


研究者になりたかったわけでもない。


哲学者になりたかったわけでもない。


政治家になりたかったわけでもない。


国の指導者になりたかったわけでもない。


私がなりたかったのは、もっと別のものだった。


私はスピルバーグになりたかったのである。


映画を作って、印税で暮らしたかった


私は子供の頃から、物語が好きだった。


読書も好きだった。


漫画も好きだった。


映画も好きだった。


人間の想像力というものが、私は大好きなのである。


現実には存在しない世界がある。


そこには不思議な生き物がいる。


知らない技術がある。


奇妙な道具がある。


登場人物が大騒ぎしている。


そして、読んでいる人間や観ている人間が、笑ったり、驚いたり、感動したりする。


私はそういうものを作りたかった。


マイケル・クライトンのような物語を考える。


スティーヴン・スピルバーグのように、観客を楽しませる。


シェイクスピアのように、人間の面白さや愚かさを描く。


そういう仕事がしたかったのである。


そして、作品がヒットする。


印税が入る。


お金持ちになる。


私は豪華な暮らしだってしてみたかった。


旅行に行く。


おいしいものを食べる。


欲しかったものを買う。


面白そうな本を山ほど買う。


研究者の発表を読んで感心する。


気に入った研究には投資する。


そして、また面白い物語を考える。


何が悪いんだ?


人間を楽しませて、その対価としてお金をもらう。


立派な仕事じゃないか。


私は、貧乏であることが美徳だなんて思わない。


お金があれば、できることが増える。


行きたいところに行ける。


欲しいものが買える。


そして、自分の時間を自由に使える。


私は、その自由が欲しかったのである。


百円のゲームが遊べなかった女の子


子供の頃、私はゲームセンターにあるようなゲームが好きだった。


スペースインベーダーのようなゲームである。


ところが、ゲームを一回遊ぶには百円が必要だった。


当時の私にとって、百円は気軽に使えるお金ではなかった。


だから、好きなだけ遊ぶことなんてできなかった。


私は思った。


大人になったら、自分の家にゲーム機を置いてやる!


そうすれば、何回でも遊べる。


百円玉を入れなくてもいい。


誰にも遠慮しなくてもいい。


好きなだけ遊べる。


それが、子供の頃の私の夢の一つだった。


今の私は、昔に比べれば、いろいろなゲーム機を持っている。


それほど頻繁に遊ぶわけではない。


むしろ、欲しかったゲーム機を手に入れること自体が楽しかったりする。


しかし、私にとって大切なのは、遊ぶ回数だけではない。


自分の好きなものを、自分で選んで手に入れられること。


これが大切なのである。


私は昔から、その自由が欲しかった。


だから、お金持ちになりたいという願望は、単なる見栄ではない。


自分の人生を、自分で決めたいという願望でもあるのだ。


私は先生になりたいわけじゃない


私は、誰かに何かを教えることがある。


インターネットでも、長い間いろいろなことを書いてきた。


問題を見つける。


調べる。


比較する。


解決策を考える。


そして、その過程を文章にする。


誰かが参考にできるように、記録として残しておく。


私は、そういうことをしてきた。


しかし、だからといって、いつまでも私が教え続けなければならないわけではない。


一度説明したことを、何度も説明させられる。


こちらが三時間も四時間もかけて説明すると、最後には「なるほど」と言われる。


ところが、次の機会には、また最初から説明しなければならない。


私は思う。


お前、前に説明しただろうが!


私は何のために文章を書いているんだ?


あとから読み返せるようにするためだろう。


同じことを何度も説明しなくても済むようにするためだろう。


それなのに、また一から説明してくれと言われる。


そして、こちらの時間だけが減っていく。


もちろん、わからないことを質問するのは悪くない。


何度も学び直す必要がある人もいる。


ただし、説明する側にも生活がある。


休息が必要である。


好きなことをする時間が必要である。


私は誰かを教育するためだけに生きているわけじゃないんだよ!


私だって、誰かの弟子になりたい


私は、知らないことを学ぶのが好きである。


だから、優秀な研究者の存在は嬉しい。


自分より優秀な人間がいたら、喜んで教わりたい。


「なるほど、そういう仕組みだったのか!」


そう言って驚きたい。


私は、自分が常に一番である必要なんかない。


むしろ、優秀な先生の下で学ぶ二番手の方が、私には楽しいのではないかと思う。


先生がいる。


私がいる。


私が何かを解く。


先生が見てくれる。


「よくできたね」


そう言って褒めてくれる。


そして、次の新しい問題を教えてくれる。


私はそれを面白がって考える。


そんな関係が好きなのだ。


ところが現実には、私が先生役に回ることが多かった。


誰かが何かを質問する。


私が答える。


また質問が来る。


答える。


そのうち、まるで私が答えるのが当然だという顔をされる。


ちょっと待て。私はいつ弟子を卒業したんだ?


私は、もう少し教わる側でいたかったのである。


しかも、教える側になったからといって、何でも無償で提供しなければならないわけではない。


私にも生活がある。


私にも欲しいものがある。


私にも夢がある。


私は研究者を養うような大富豪になって、優秀な人たちの研究成果を楽しみにしていたいくらいなのである。


自分が毎日問題を解き続ける人生より、ずっと楽しそうじゃないか。


人間を便利な道具として扱うな


私が困っているとき、周囲の人は私を助けてくれるだろうか。


もちろん、助けてくれた人もいる。


だが、私の経験では、私に何かを要求する人間の方が目立ったこともあった。


もっと頑張れ。


もっと努力しろ。


もっと教えろ。


もっと説明しろ。


私は思った。


もう十分やってるだろうが!


そもそも、何を基準に努力しているかどうかを決めているんだ。


私が簡単そうに答えを出しているように見えるのかもしれない。


だが、私はもともと、あまり大騒ぎせずに考える性格なのだ。


平気そうに見せるために演技しているわけではない。


自然にそうしているのである。


だからといって、何も負担がないわけではない。


疲れることもある。


腹が立つこともある。


もうやめたいと思うことだってある。


それなのに、周囲が「まだできるだろう」と考えて、さらに要求する。


私は、これが嫌なのだ。


父親からは、「俺に恩を着せて偉くなったつもりか」というような言葉を言われたこともある。


母親からは、健康について話したときに「お前は医者より偉いのか」と言われたこともある。


私は別に、偉くなりたかったわけではない。


役に立つかもしれないと思ったことを話しているだけなのだ。


それなのに、なぜ上下関係の話になるんだろう。


自分の子供が何か面白いことを考えたら、


「へえ、よく考えたね」


と言えばいいじゃないか。


間違っていたら、根拠を示して教えればいい。


それで済むことだろう。


日本の完璧主義は、どこまで必要なのか


私は、仕事の現場でも奇妙なことを経験してきた。


例えば、レンタル用のDVDなどに貼るシールの位置。


ほんの二、三ミリずれている。


それが問題になる。


もちろん、機械で読み取れなくなるとか、商品に支障が出るとか、そういう理由があるならわかる。


だが、実用上の支障がないように思えることまで、細かく修正を求められることがあった。


おみくじを折る作業でも、印刷された線から少しずれただけで、やり直しが必要になることがある。


私は考えた。


その数ミリの違いで、何が起きるんだ?


品質が大きく下がるのか?


買った人が困るのか?


それとも、ただ決められた線に合わせること自体が目的になっているのか?


もちろん、精密な作業が必要な製品はある。


医療機器や航空機の部品なら、わずかな誤差が重大な問題になることだってある。


だから、私は精度そのものを否定しているわけではない。


問題は、精度が必要な場面と、必要でない場面を区別しているのかということだ。


仕事の内容に関係なく、何でも完璧を要求する。


少しの違いも許さない。


そして、働いている人間には、安い給料でそれをやらせようとする。


おいおい。


その完璧さに、いくら払っているんだ?


人間にまで工業製品の品質を求めるな


私は、日本社会では、製品の品質を重視する考え方が、人間の評価にまで広がりすぎているのではないかと感じている。


もちろん、日本の製造業には優れたところがたくさんある。


細かい技術を磨くことも、品質を保つことも重要だ。


だが、製品と人間は違う。


人間には個性がある。


得意不得意がある。


疲れることもある。


間違えることもある。


そして、そもそも同じ形に作られていない。


それなのに、少し違う考え方をする人間を問題児扱いする。


普通の人間と違う行動をするから、何かおかしいのではないかと決めつける。


私は、そこに疑問を持っている。


もちろん、障害や病気には実際に医療的な支援が必要なものがある。


それはそれで、きちんと考えるべきだ。


ただし、周囲の期待と違うことと、病気であることは同じではない。


教師の言うことを聞かない。


親に反論する。


職場の慣習に疑問を持つ。


人と違う答えを出す。


それだけで、その人間の能力や健康状態を決められるわけではない。


私は、そういう人間の評価の仕方を変える必要があると思っている。


他人の問題まで、私の仕事にするな


私は、世の中をもっと良くしたいとは思っている。


だが、そのために私一人が犠牲になるつもりはない。


世の中の問題を、全部私に持ってこられても困る。


政治の問題。


教育の問題。


医療の問題。


経済の問題。


人間関係の問題。


研究者が研究すればいいものもある。


行政が対応すればいいものもある。


企業が改善すればいいものもある。


それぞれの立場の人間が、役割を分担すればいいのである。


私は、思いついた解決策を文章に残すことはできる。


だが、それを実行する人間まで、全部私が引き受ける必要はない。


私は、以前インターネットで「太陽」という名前を使っていたことがある。


その頃は、知らないふりをして質問する、かわいらしい男の子のような役回りをすることもあった。


優秀な大人が答えてくれたら、


「すごいね!」


と喜ぶ。


私は、そういう立場も好きだったのである。


やがて「天才パンダ」という名前も使うようになった。


だが、名前が変わっても、私自身の願いが変わったわけではない。


私は、優秀な人間から学びたい。


面白いことを知りたい。


そして、自分の人生を楽しみたいのである。


私は自分の人生を返してほしい


私は、もう十分に問題を考えてきたと思っている。


もちろん、面白い問題を見つけたら、また考えることもあるだろう。


だが、いつまでも問題解決を強制されたいわけではない。


私は小説を書きたい。


好きな本を読みたい。


映画を観たい。


旅行に行きたい。


ゲーム機を買いたい。


研究者の新しい発見を楽しみたい。


そして、好きなだけ眠りたい。


それが私の人生である。


ほかの人には、ほかの人の人生がある。


私に全部を解決させるのではなく、それぞれが自分の役割を果たせばいい。


私は、スピルバーグのような娯楽作家になりたかった。


人間を楽しませて、その対価で豊かに暮らしたかった。


それだけなのである。


誰かの先生である前に、私は私の人生を生きたいんだよ!


そして、もし私の小説を読んだ人が、


「ああ、面白かった!」


と笑ってくれたなら、それは私にとって、とても嬉しいことなのである。


――天才パンダ

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