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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!考え過ぎて頭痛患者勃発!血液型分布図と民俗学。塩分と世界平和。ゲームと脳科学  作者: ヘタレパンダ


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第4話 ふざけんな! 私のトリックはタダじゃない!

第4話 ふざけんな! 私のトリックはタダじゃない!


――文章による方程式と、私が本当になりたかったもの


私は、昔から問題を解くのが好きだった。


ただし、自分で問題を作るのは、あまり得意ではない。


問題を作るのは、名前も知らないどこかの誰かさんである。


例えば、テレビのニュースキャスターが、


「いったい、どうしてこんな現象が起きるのでしょうか?」


とつぶやく。


あるいは、誰かが、


「これって、どういうことなんでしょうね?」


と言う。


その一言が、私の頭の中に残る。


一度忘れても、また思い出す。


そして、考える。


「なんだ、この問題。面白そうじゃないか」


「よし、解いてみるか」


そんな感じである。


山があったら登りたくなる人がいるように、私の場合は、問題があったら解いてみたくなる。


解けたら面白い。


解けなかったら、また情報を集めればいい。


それだけのことだった。


私は数学の公式を覚えていない


私は数学者ではない。


数学科を卒業したわけでもない。


むしろ、学校の数学では、理解できなかったものも結構ある。


例えば因数分解。


学校で問題を解けと言われても、さっぱり解けなかった。


今でも数字を並べられて、解いてみろと言われたら、解けないかもしれない。


確率・統計についても、計算の公式を全部覚えているわけではない。


忘れてしまったものも多い。


では、私は数学を理解していないのだろうか。


そうではないと思っている。


なぜなら、私は数学が何を意味しているのかを理解しているからだ。


確率とは何か。


統計とは何か。


比較するとはどういうことなのか。


条件を変えると結果がどう変わるのか。


大量の情報から共通する構造を探すとはどういうことなのか。


そういう意味を、私は理解しているつもりである。


公式を暗記して試験を受けることと、数学的な考え方を現実の問題に応用することは、同じではない。


そして私は、学校で習った公式そのものよりも、その考え方を使って問題を解くことが好きだった。


文章による方程式


私が長年使ってきたのは、文章による方程式である。


数字や記号を紙に並べるのではなく、頭の中で文章を使って条件を組み立てる。


確率・統計。


比較分析。


応用思考。


これまでに学んだ歴史、経済、心理、医学、教育、社会制度などの情報を使い、問題に関係する条件を整理する。


何が原因なのか。


何が結果なのか。


どんな条件が共通しているのか。


何が違うのか。


条件を変えたら、どうなるのか。


そして、最も合理的な答えは何なのか。


それを考える。


もっとも、最初から簡単にできたわけではない。


長い時間をかけて、膨大な情報を集めてきた。


本を読み、漫画を読み、映画を見て、テレビを見て、人間の行動を観察してきた。


他人の人生の話も、たくさん聞いてきた。


その蓄積があるから、新しい問題が出てきても、既に知っている情報と比較できる。


だから答えを出すのが速い。


私自身の感覚では、数秒で出した答えでも、九割程度は当たっている。


もちろん、集められたデータに問題があれば、答えにも問題が生じる。


データが意図的に書き換えられていたり、必要な情報が計測されていなかったりすれば、正しい計算はできない。


現実をどのような条件で表すかも重要になる。


だからこそ、私は情報を集め、比較し、整合性を確認する。


私が言いたいのは、適当に思いつきを並べているわけではないということだ。


実際、確率・統計の研究者に説明したとき、似た研究をしていると理解を示してもらったことがある。


研究者の方が、もっと複雑な計算をしているという話も聞いた。


それでも、基本的な数学の考え方は、中学生でも学べる部分がある。


つまり、神秘的な能力ではない。


私は、数学的な考え方を使っているのである。


本当は誰にも教えたくなかった


さて、ここからが問題である。


私は、こうやって解いた問題の答えを、最初からインターネットに公開していたわけではない。


むしろ、誰にも教えなかった。


頭の中に蓄積していた。


なぜか。


小説のトリックに使うつもりだったからである。


私は子どもの頃から、小説を書いていた。


自分の考えた物語で、読者を驚かせたかった。


謎を仕掛ける。


読者に考えさせる。


そして最後に、とんでもない答えを出す。


「ええっ! そうだったのか!」


「なんでこんなことを思いつくんだ!」


そういう反応を楽しみにしていた。


私が目指していたのは、学者でも宗教家でもない。


小説家だったのである。


それも、できれば漫画化してもらいたかった。


映画化もしてほしかった。


私は『インディ・ジョーンズ』のような作品が大好きだった。


あのハラハラドキドキする冒険。


次に何が起こるかわからない興奮。


壮大な謎。


意外な展開。


ああいう作品を見て、自分も観客を楽しませる側になりたいと思った。


だから、映画の世界にも興味があった。


私が子どもの頃から楽しませてもらったものを、今度は自分が作って、ほかの人たちに味わってもらいたかった。


そして、当然ながら、お金も稼ぎたかった。


印税で生活する。


漫画化してもらう。


映画化してもらう。


自分が考えたトリックや物語を作品にして、観客を楽しませ、その対価を受け取る。


それが私の夢だった。


何か問題があるだろうか。


なんで超能力になっちゃうんだよ


ところが、私が考えた答えについて、妙な受け取られ方をしていると感じることがあった。


過去を見てきたんじゃないか。


特殊な能力があるんじゃないか。


神様か何かに教わっているんじゃないか。


冗談じゃない。


そんなわけがあるか。


私はタイムスリップしていない。


神様の声なんか聞いていない。


勉強して、情報を集めて、分析して、答えを出しているだけである。


その頃、私は大江健三郎さんの『二百年の子供』という小説を読んだ。


作品の中には、知的障害のある少年や、時間を超える旅が描かれていた。


私はそれを読んで、がっかりした。


自分のことを、こんなふうに解釈されているのではないかと感じたからだ。


もちろん、作者が実際に私をモデルにしたのかどうか、私には確認できていない。


それでも、作品を読んだときの失望は覚えている。


「ああ、こういうふうにしか理解されないのか」


そう思ったのである。


私は昔から、右と左を間違えたり、地名や物の名前を取り違えたりすることがあった。


ポンペイとボンベイのような名前を混同することもあった。


そのため、知的能力について誤解されたこともあった。


しかし、日常的な名前を取り違えることと、複雑な問題を分析する能力は別の話ではないだろうか。


私は、自分がどうやって答えを出しているのか、説明する必要があると考えるようになった。


そして、考えた末に、計算方法を文章で公開するようになったのである。


小説の種明かしを延々と書いている


さて、ここで私が何を失ったか、考えてほしい。


私はそれまで、自分が見つけた答えを小説のトリックとして使おうとしていた。


そのために長年、情報を集めていた。


ところが今、そのトリックの種明かしを、インターネットで延々と公開しているのである。


本来なら小説の中で明かそうとしていた答えを、先に説明してしまっている。


これでは、将来小説を書いたとき、読者が驚かなくなるかもしれないではないか。


確かに、考え方を公開すれば、それを学んで応用できる人が増えるかもしれない。


私はそれ自体を悪いことだとは思わない。


むしろ、優秀な人間が増えれば嬉しい。


自分と同じように考えられる仲間が増えれば、一人で問題を解く必要もなくなる。


孤独だって減るかもしれない。


しかし、それとこれとは別問題である。


もともと私が小説を書いて金を稼ぐために蓄えてきたアイデアだということを、忘れないでほしい。


それを無償で公開することが、当然の義務であるかのように扱われたら、私は腹が立つ。


それは当たり前ではないだろうか。


スピルバーグに同じことを言ってみろ


例えば、スティーヴン・スピルバーグ監督に、こんなことを言ったらどうなるだろう。


「あなたの発想力は素晴らしい」


「そのアイデアは世界の役に立つ」


「だから、映画にする前に全部公開してください」


「世界の人々を救うために、無償で教えてください」


「これからは映画監督ではなく、思想家や宗教家になってください」


「報酬は達成感で十分でしょう?」


本人が実際に何と答えるかは知らない。


だが、私だったら、


「はぁ? ふざけんな、このクソが!」


と言うだろう。


映画監督になりたかった人間に、映画を作るなと言う。


小説家になりたかった人間に、トリックを先に公開しろと言う。


しかも、それを無償の善意でやれと言う。


いったい何を考えているのだろうか。


本人が何をしたかったのか、まったく考えていないではないか。


私は、他人の役に立つことが嫌なのではない。


人類の幸福に貢献できるなら、それは素晴らしいことだと思う。


しかし、そこに私自身の幸福が含まれていなかったら、おかしいだろう。


何度でも言う。


私は聖人になりたいわけではない。


クリエイターになりたかったのである。


私のアイデアは無料の公共物なのか


世の中には、人助けをした人間に、無償の善意を求める人がいる。


私は、その考え方に疑問を持っている。


人々を助けるために、長年勉強してきた人がいる。


多くの時間を使って研究してきた人がいる。


家族との時間を削って、問題を解決しようとした人がいる。


その人に対して、


「人の役に立ったんだから、それで満足でしょう」


「徳を積めましたね」


「達成感が報酬です」


と言う。


冗談じゃない。


だったら、お前が同じことをやってみろ。


何十年も勉強して、問題を解いて、成果を出してみろ。


それで自分は無報酬でも満足できるのか。


私は、できない。


私には生活がある。


家族もいる。


やりたいことも、買いたいものもある。


もっと勉強したいし、もっと面白い作品も作りたい。


そのためには、お金が必要なのである。


もちろん、世の中に役立つ情報を共有することには価値がある。


ただし、知識を共有したことと、それを考えた本人が報酬を得ることは、矛盾しない。


私は、両立させればいいと思っている。


私が欲しいのは、信者ではなく仲間である


私は、自分の考え方を理解できる人間を増やしたい。


しかし、それは私を崇拝する人間を増やしたいという意味ではない。


信者なんかいらない。


私は宗教家になるつもりはない。


欲しいのは、一緒に考えられる仲間である。


私が解いた問題を、別の人間がもっと効率よく解いてくれてもいい。


私が気づかなかった条件を発見してくれてもいい。


それどころか、私より優秀な人間が現れたら、嬉しい。


だって、その方が楽ができるではないか。


一人で考えるより、何人もの優秀な人間が協力して問題を解いた方が、ずっと効率的である。


しかも、みんなで楽しく仕事ができる。


ただし、働いた人間には報酬を払う。


これは絶対に必要だと私は考えている。


誰か一人を犠牲にして、ほかの人間が得をする仕組みでは、私の考える理想のゲームにならないからだ。


私はラッキーガールだった


私は、自分が恵まれていたと思っている。


日本に生まれ、本や漫画を読み、映画を見て、テレビから大量の情報を得られた。


インターネットが発達した時代にも生きている。


今ではAIまで登場した。


昔の人間が何十年もかけて調べていたことを、短い時間で調べられる場合もある。


私が今の時代に生まれたことは、幸運だったと思う。


私は、ただのゲームクリエイターなのかもしれない。


世界というゲームを観察して、攻略方法を考え、もっと面白くできないかと考えている。


そして、その攻略方法を公開すれば、ほかの人間も利用できる。


ただし、それが本当に役立つ方法なのかどうかは、実際に使って結果を確かめる必要がある。


それは当然だ。


私は、自分が出した答えを、実際のデータと照らし合わせて確認すること自体も楽しんでいる。


歴史上の偉人が自分と似た結論を出していたと知れば、感動する。


しかし、驚きはしない。


同じような問題を合理的に考えれば、似た数理構造に到達する可能性はあるからだ。


その人がどうやって答えを出したのかを知ることの方が、私には面白い。


そして、それを学んだ人たちが、さらに新しい答えを発見する。


そんな世界になったら、どれほど楽しいだろう。


最後に、もう一度言っておく


私は、世界をよりよくすることに興味がある。


人々が幸福になる方法を考えることも好きだ。


自分の知識をほかの人たちが学んで、もっと優秀になることも歓迎する。


でも、それは、私が自分の夢を諦めなければならないという意味ではない。


私は小説を書きたかった。


映画を作ってもらいたかった。


観客をハラハラドキドキさせたかった。


読者に「面白い!」と言ってもらいたかった。


そして、印税で楽しく生活したかった。


それが私の夢であり、目標だった。


私は、自分の知識を生かして人の役に立ちたいと思っている。


しかし、そのために自分の幸福や収入を犠牲にするつもりはない。


私が今日まで蓄えてきたアイデアは、長年の学習と観察の積み重ねである。


そして、それをどう使うかは、私自身が決めたい。


だから、成果を出しても無報酬でいいだろうなどと言われたら、私はこう答える。


「ふざけんな、クソがー!!」


私は善人として祀られたいわけではない。


宗教家として崇拝されたいわけでもない。


ただ、自分が作りたい作品を作って、みんなを楽しませて、正当な報酬を受け取りたいのである。


そして、稼いだお金で、また次の面白いことに挑戦したい。


それのどこが悪い。


人生はロールプレイングゲームだ。


どうせプレイするなら、面白くプレイしたい。


仲間も増やしたい。


難しい問題も解いてみたい。


世界をもっと住みやすくしたい。


そして、ゲームを攻略したなら、報酬も欲しい。


私が言いたいのは、それだけである。

私は昔スピルバーグの家を紹介する映像を見た。彼の家にはゲームセンターがあった。大きな家、映画館、ゲームセンター。それを見たとき本当にうらやましかったし、いつか自分がそういう暮らしをできるように努力しようと思った。思っただけではなく、実際努力した私の努力は毎日の積み重ねで。1日たりともサボっていない。


大谷翔平と大して変わらない。彼がメジャーリーガーになって、伝説のような記録を立てたとしたら当然である。もともと能力のある人間が最も効率の良い方法で努力したのだから、認められて当たり前だ。成果を出せて当たり前だ。

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