第1話 人生はロールプレイングゲームである
第1話 人生はロールプレイングゲームである
――破壊するより、創造する方が面白い
最近、東洋哲学の簡単な入門書を読んでいる。
読んでいると、「なるほど、その通りだ」と思う部分もあれば、「いや、私はそうは思わない」と感じる部分もある。
もちろん、翻訳や解説の問題もあるだろう。昔の哲学者が実際に何を考えていたのか、正確に理解できているとは限らない。
それでも、現代に生きる私には、私なりの哲学がある。
その哲学を一言で表すなら、
「人生はロールプレイングゲームである」
ということだ。
ゲームに参加するかどうかを決めたのは、自分自身だったと考えてみる。
そして、この世界に生まれてきたとき、プレイヤーにはそれぞれ異なる初期条件が与えられる。
お金持ちの家に生まれる人もいれば、貧しい家に生まれる人もいる。生まれつき能力の高い人もいれば、病気や障害を抱えて生まれる人もいる。
最初から、条件は平等ではない。
仏教には、過去の行為が次の生に影響するという考え方がある。
もしそれがゲームの仕組みだったら、過去のプレイで徳を積んだ人には、次のプレイで有利な条件が与えられるのかもしれない。
反対に、新規プレイヤーは不利なところから始まるのかもしれない。
もちろん、これは私のゲーム的な仮定であって、現実の貧困や苦しみが前世の行為によるものだと証明できるわけではない。
また、ゲームには運もある。
それまでの実績と関係なく、偶然よいアイテムを手に入れたり、有利な場所からスタートできたりする。
確率が何千分の一でも、何万分の一でも、当たる人はいる。
そして、重要なのはここからだ。
与えられた条件で、どうプレイするかは自分で考える。
ただし、努力だけでは抜け出せない状況もある。
だからこそ、条件のよいプレイヤーが、不利なプレイヤーを助けることにも意味がある。
それが私の考える、人生というゲームの基本である。
テレビの一言が人生を変えた
私は昔から、今のような考え方をしていたわけではない。
若い頃は、自分の置かれた環境に腹を立てていた。
親は私の話を聞いてくれない。努力しても能力を十分に認めてもらえない。多少褒められたところで、お金になるわけでもない。
「すごいね」と言われても、「ああ、そうですか」としか思えなかった。
その頃の私は、怒りに任せて犯罪に手を染めていた可能性だってあると思っている。
そんな私の考え方を変えたのが、泉谷しげるさんだった。
正確には、泉谷さんがYOSHIKIさんに向けて語った言葉を、私が聞いたのである。
たった一分程度の話だったと思う。
私はその言葉を聞いて、自分にも言われているような気がした。
そして、一つの答えにたどり着いた。
「壊すことは、それほど難しいゲームではない。壊した後に何を作るか。それこそが本当に難しいゲームなのではないか」
そう考えた瞬間、人生の遊び方が変わった。
人を傷つけることも、物を壊すことも、社会を混乱させることも、できる人間はいる。
しかし、その後どうするのか。
壊した社会を立て直せるのか。
不幸な人間を幸福にできるのか。
戦争をしなくても利益が得られる世界を作れるのか。
そちらの方が、はるかに難易度が高い。
だったら、その難しいゲームに挑戦してみよう。
自分の知識と能力で、どこまでできるのか確かめてみたい。
そう思うようになったのである。
英雄になりたいわけではない
私は別に、英雄になりたいわけではない。
もちろん、世界記録を作れたら嬉しい。
「すごい」「天才だ」「かっこいい」と言われるのも悪い気分ではない。
しかし、本当にやりたいことは、それではない。
最高難易度のゲームを、自分の知識と頭脳を使って、できるだけ効率よく攻略してみたいのである。
例えば、世界平和。
例えば、貧困の解消。
例えば、すべての人が幸福に暮らせるユートピアの実現。
そんなものが本当にできるのかと言われれば、できるかどうかはわからない。
だが、できたら面白いではないか。
しかも、私はゲームを一人で攻略したいわけではない。
『信長の野望』でもそうだが、優秀な武将を集め、役割を与え、報酬を払い、みんなで協力して大きな仕事を成し遂げることが好きなのだ。
一人で最高記録を出すことより、仲間と協力して攻略する方が楽しい。
そして、人生の楽しさは偉人だけのものではない。
世間では「モブ」と呼ばれるような普通の人たちにも、それぞれの人生がある。
一人ひとりに歴史があり、苦労があり、愛情があり、思いがけない発見がある。
普通の人の人生だって、じっくり見れば実に味わい深い。
人間というものは、本当に面白いのである。
私は今の人生が好きだ
私は自分を、とても幸運な人間だと思っている。
日本に生まれて、漫画を読み、本を読み、映画を見て、テレビからさまざまなことを学んできた。
大学で美術や文化を学ぶ機会にも恵まれた。
インターネットが登場して、今ではチャッピーのようなAIまで使える。
世界中の情報を手に入れられる時代に生きていることは、宝くじの一等に当たるよりも大きな幸運かもしれない。
だから、この幸運を使って、もっと面白いことをしてみたい。
それに私は、次の人生で幸福になるという約束より、今の人生を長く楽しみたい。
秀樹のいない人生なんて嫌だ。
文句ばかり言いたくなる両親だって、いなくなってほしいわけではない。
もし健康に何千年も生きられるなら、生きてみたい。
ただし、自分一人だけでは嫌である。
みんなで長生きして、みんなで面白いことをして、みんなで幸福に暮らしたい。
それが私にとってのユートピアだ。
徳を積んだから来世で幸せになれます、と言われても、私はあまり嬉しくない。
だったら、今の人生で幸せになりたい。
そして、せっかく世界をよくするという難しいゲームに挑戦するなら、成功報酬も欲しい。
「世界平和とユートピアを作りました。では、報酬をください」
私はそれでいいと思っている。
英雄として祀られるより、優秀なプレイヤーとして正当に評価されたい。
そして、その報酬を使って、また次のゲームを楽しむのである。




