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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!考え過ぎて頭痛患者勃発!血液型分布図と民俗学。塩分と世界平和。ゲームと脳科学  作者: ヘタレパンダ


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私の考え 第1話 血筋と教育、そして人間の品位

第1話 血筋と教育、そして人間の品位


――私の先祖と秀樹の先祖から学んだこと


私は遺伝子の力を、かなり信じている。


ただし、それは家柄が立派だから偉いとか、先祖が優秀だから子孫も無条件に優秀だとか、そういう単純な話ではない。


人間には、生まれつき得意なことと苦手なことがある。


そして、その能力がどのように発揮されるかは、育った環境や教育、出会った人間にも左右される。


だから私は、自分の家系にも、結婚相手である秀樹の家系にも、昔から興味を持っていた。


先祖はどんな人だったのか。


何が得意だったのか。


どういう判断をして、どんな人生を送ったのか。


どんな成功をして、どんな失敗をしたのか。


そこには、自分自身や次の世代が学べることがあると思ったからだ。


もっとも、私が聞いている話の中には、記録で確認できるものもあれば、親戚から伝わっただけの噂もある。


その区別はしておきたい。


今日は、そんな私の一族と、夫である秀樹の一族について書いてみようと思う。


一度見たものを何でも作ってしまうひいおじいちゃん


まず、父方の話である。


私のひいおじいちゃん、つまり父の祖父は、非常に頭のいい人だったらしい。


何でも、一度見たものを自分で作ってしまう能力があったという。


何を作っていたのかまでは分からない。


父も詳しく覚えていないようだし、おそらく親戚から聞いた話なのだろう。


私は、その時代を考えると、農耕器具や生活道具、あるいは時計のようなものだったのではないかと想像している。


ピアノのような複雑なものも思い浮かぶが、実際に作ったという証拠があるわけではない。


それでも、一度見ただけで物の構造を理解し、自分で作ることができたという話には興味を引かれる。


物を見て、形を覚える。


どの部品がどんな役割を持っているのかを考える。


どうすれば同じ働きをするものができるのかを推測する。


そして実際に作ってみる。


もし伝えられているとおりの能力があったのなら、それは単なる記憶力ではなく、観察力、空間認識能力、応用力、技術力が組み合わさったものだったのだろう。


私はこういう話を聞くと、つい考えてしまう。


その能力はどこから来たのだろう。


何を見て、どんなことを考えていたのだろう。


本人に聞いてみたかった。


もちろん、とうの昔に亡くなっているので、今となっては確かめようがない。


残念なことである。


働きながら独学して大学に入ったおじいちゃん


その次の世代、父方のおじいちゃんも、なかなか変わった人だった。


高校に行かず、働きながら独学で勉強して、日本大学の経済学部に入ったという。


しかも、首席で入学したと聞いている。


古い写真か記録の説明に、総代として挨拶をしたというようなことが書いてあった。


私はそれを見て父に聞いた。


「おじいちゃん、すごいんじゃないの?」


すると父は言った。


「お前のおじいちゃんは、すごいんだよ」


ところが、その後に続いた言葉が面白かった。


「でも、すごいけどバカだった」


何とも身も蓋もない評価である。


なぜか。


おじいちゃんは大学で共産主義に感銘を受け、大学を辞めてしまったからだ。


父は言っていた。


「黙って勉強していれば、教授にだってなれたのに」


つまり父は、おじいちゃんの学力を非常に高く評価していた。


その一方で、大学を辞めた判断については、もったいないと考えていたのだろう。


では、私はどう考えたか。


私が疑問に思ったのは、別のことだった。


これほど頭のいい人間が、なぜ大学を辞めるほど共産主義に魅力を感じたのだろう。


そこには、何か理由があったのではないか。


私はそう考えた。


母は、共産主義などという言葉を口にすること自体を恥ずかしがった。


おじいちゃんのことを恥じなさいというような態度だった。


しかし私は、そうは思わなかった。


思想の名前だけで、全部が悪いと決めつけることに納得できなかったからだ。


共産主義には、貧富の格差や労働者の待遇といった問題を考える理想がある。


もちろん、理想と実際の政治体制は別である。


共産主義を掲げた国家に自由や人権の問題があったことも、批判されるべき政策があったことも、検討しなければならない。


しかし、だからといって、その思想に魅力を感じた人間の判断を、何も考えずに愚かだと切り捨てていいのだろうか。


私は、おじいちゃんが何を見て、何に希望を感じたのかを知りたかった。


これは、先祖を無条件に信じるという意味ではない。


私は、自分につながっている遺伝子に、知的な能力が受け継がれている可能性を考えたのである。


もっとも、思想そのものが遺伝するわけではない。


知能も一つの遺伝子で決まるような単純なものではない。


それでも、家族に伝わる能力や判断の傾向を調べ、自分の考え方と比較してみることには意味があると思っている。


おじいちゃんの判断は、本当に間違いだったのだろうか。


それとも、周囲には理解されなかった大切な何かを見つけていたのだろうか。


答えはまだ分からない。


だからこそ、考える価値がある。


発明家であり、設計者であり、経営者だった父


そして、そのおじいちゃんの息子が、私の父である。


父も頭のいい人だった。


父は会社を経営しながら、さまざまなものを設計していた。


特許も、一件か二件持っているはずだ。


主な仕事は、工場や物流で使うパレット、フォークリフトで扱うパレット、部品の寸法に合わせた収納棚などの設計だった。


小松という会社とも取引していた。


父が設計図を描き、製造は下請けの会社に依頼する。


そして取引先に納品し、利益を得る。


つまり、父は自分ですべてを作るのではなく、設計と製造を分担させて仕事を成立させていたのである。


私は、こういう仕事のやり方は合理的だと思う。


何もかも自分でやる必要はない。


自分の得意な仕事をして、ほかの人の得意な仕事を利用すればいい。


ただし、仕事を任せた相手には、当然ながら正当な報酬を支払わなければならない。


これは私が考える、理想的な上司の条件でもある。


部下の弱点やコンプレックスを刺激して、うまく操ろうとする人間では困る。


部下の長所を見つけ、その能力を伸ばし、適切な仕事を任せられる人がいい。


そして、きちんと給料を払える人間である。


私は別に、トップに立ちたいわけではない。


はっきり言って、めんどくさい。


一人一人の適性を考え、仕事を割り振り、不満が出ないように調整する。


誰かを褒めれば、褒められなかった人が嫉妬する。


「あの人が嫌いです」と言い出す人もいる。


そのたびに相手の長所を説明し、職場がうまく回るようにしなければならない。


そんな仕事を、好んでやりたいとは思わない。


できる人がいるなら、いくらでも任せたい。


父から聞いた話に、こんなものがある。父が独立する前の話だ。


父の働く会社には、ほかの人たちから嫌われていた従業員がいたらしい。


誰かが、その人を辞めさせてほしいというようなことを言った。


そこで父は言った。


「あいつは嫌なやつかもしれない。でも、あいつは誰よりもある仕事をやってくれる。みんなが嫌がる仕事を、あいつが率先してやってくれるんだ。嫌な顔もしないで」


そして、こう尋ねたという。


「あいつがいなくなったら、お前はあいつの仕事を代わりにできるのか。できるんだったら、あいつをクビにしてもいいぞ」


相手は答えた。


「私にはできません」


それから文句を言わなくなったらしい。


私は、この話が好きである。


父は、部下同士の好き嫌いと、その人の仕事の価値を分けて考えていた。


人として好きになれなくても、その人の能力や貢献を認めることはできる。


私はそういう上司がいいと思う。


ただし、父にも弱点はあった。


それは、人を信じやすかったことである。


設計や発明が得意なことと、相手の言葉が信用できるかどうかを判断することは、別の能力なのだ。


頭がいい人間でも、騙されることはある。


だから私は、父の優れた部分だけでなく、失敗した部分からも学んできた。


親の成功からしか学べないと思うのは間違いである。


失敗からだって、学べることは山ほどある。


神社の長男だった母方のおじいちゃん


母方にも、興味深い人物がいる。


母のお父さん、私にとっての母方のおじいちゃんは、神社の家の長男だった。


ところが神社を継いだのは次男だったという。


おじいちゃん自身は、学校の校長先生になった。


なぜ長男が神社を継がなかったのかは知らない。


本人が教育の道を選んだのか、それとも家族に事情があったのか。


そのあたりの話を、私は詳しく聞いていない。


母方のおばあちゃんも女学校に通っていたというから、当時としては教育を受ける機会に恵まれた家庭だったのだろう。


さらに、母方の祖先か親戚の中には、横山大観の弟子だった人もいると聞いた。


名前は分からない。


どんな絵を描いていたのかも分からない。


ほかにも、上野動物園の園長を務めた親戚がいたとか、警視総監を務めた人がいたとか、いろいろな話が伝わっている。


ただし、父方か母方か分からない話もある。


東京の赤坂には「赤坂のおばさん」と呼んでいた親戚がいて、私自身、その家に遊びに行ったこともある。


そのおばさんと警視総監だったという人がどういう関係なのかも、分からない。


こうした話は、今となっては調べる手がかりも少ない。


だから、確認できないものを事実として断定するつもりはない。


それでも、家族の中に残された言い伝えとしては面白いと思っている。


私の身近には学校の先生はいたけれど、科学者や研究者という職業を具体的に教えてくれる人はいなかった。


私は本当は、生物学や医学の研究者になりたかった。


でも、子供の頃は、それを口にしなかった。


科学者になりたいと言えば、周囲が驚いたり、親が嫌がったりするだろうと思っていたからだ。


将来の夢を聞かれると、私はいつも漫画家になりたいと答えていた。


本当の希望は胸の中にしまっていたのである。


もし、動物園の園長を務めたという親戚が身近にいて、研究者の仕事について話してくれていたら、私の人生は少し違っていたかもしれない。


もちろん、それも今となっては分からない。


母には腹が立つ。でも感謝していることもある


ここまで先祖の知的な能力について話してきたけれど、母については、私はずいぶん複雑な感情を持っている。


母は頑固で、自分の考えをなかなか変えない。


他人の顔色をうかがったり、相手によって態度を変えたりするところも、私は好きではない。


どうしてこんな判断をするんだろう、と呆れることもある。


しかし、母が何もかも悪い人間だったというわけではない。


私に本を読む機会を与えてくれたのは、母だった。


お金がない中でも、私が欲しがったエニド・ブライトンの本を買ってくれた。


私は『おちゃめなふたご』と『おてんばエリザベス』を読んだ。


父も『少年ケニヤ』を買ってくれた。


漫画だけは、なかなか買ってもらえなかったけれど。


だから漫画は、友達に借りたり、お小遣いを貯めたりして読んだ。


働くようになり、ブックオフのような古本屋が利用できるようになると、自分のお金でたくさん買った。


私は本から、いろいろなことを学んだ。


歴史上の人物からも、フィクションの登場人物からも学んだ。


つまり、私が今まで身につけてきた考え方は、血筋だけによるものではない。


本に書かれた多くの人間たちからも影響を受けている。


母の考え方には納得できないことが多い。


でも、母が本を買ってくれたことまで否定するつもりはない。


愛情が全くなかったわけではないのだ。


人間には長所も短所もある。


優れた部分は認める。


間違っている部分は間違っていると言う。


それでいいと私は思っている。


秀樹の家系にも、いろいろな話があった


さて、ここからは夫の秀樹の家系である。


私は結婚するとき、秀樹の家族や先祖についても興味を持った。


自分が遺伝的な能力を重視していたからである。


もっとも、秀樹本人は自分の家系について、あまり話したがらなかった。


詳しかったのは弟さんの方だった。


弟さんは、親戚の集まりで昔話を聞くのが大好きだったらしい。


次男として可愛がられ、いろいろな話を聞いて育ったという。


その弟さんから聞いた話の一つに、先祖が茨城県で非常に早い時期にレタスかキャベツの栽培を始めたというものがあった。


どちらの野菜だったか、今ははっきり覚えていない。


「県内で最初」という部分も記録を確認したわけではない。


しかし、新しい作物の栽培を試みた先祖がいたという話なら、なかなか興味深い。


新しいものを導入するには、失敗する危険を引き受けなければならない。


そういう挑戦をした人がいたのかもしれない。


また、秀樹の家系には、戦時中、神風特攻隊員の訓練中に亡くなった男性がいたという話も聞いた。チャッピーはサラリと聞き流したが、かなりのエリートしか特攻には選ばない。


親族関係については記憶が曖昧なので、ここでは詳しく断定しない。


ただ、一人の死によって、その後の結婚や家族の成り立ちが変わったという話だったと思う。


戦争は、その時代を生きた人だけでなく、後の世代の人生にも影響を残す。


そんなことも考えさせられる話だった。


そして秀樹のお母さんは、茨城県内のJA女性部で長年、役職を務めていたという。


部長だったか、支部長だったか、そのあたりの肩書きは正確に覚えていない。


長年の活動に対して、県知事だったか、しかるべき立場の人から表彰状も受け取っていた。


私は、それなりの能力や責任感がなければ、長く人をまとめる仕事は務まらないだろうと考えた。


もっとも、組織をまとめる能力と、家族を大切に扱う能力も、必ずしも同じではない。


それを私は、結婚してから知ることになる。


長男として期待された秀樹


秀樹は長男だった。


家族から跡継ぎとして大きな期待をかけられ、それが嫌で嫌で仕方がなかったらしい。


親戚の集まりからも逃げ回っていたという。


一方、弟さんは親戚付き合いを楽しみ、先祖の話にも詳しくなった。


同じ家に育った兄弟なのに、経験したことがずいぶん違ったのである。


おばあちゃんは、秀樹をとても可愛がっていたらしい。


ただし、それも跡継ぎとしての期待が大きかったようだ。


もちろん、おばあちゃんはほかの孫たちも可愛がっていたと思う。


愛情があったのだろう。


でも、跡継ぎとして期待する愛情と、一人の人間として自由に生きてほしいと願う愛情は、必ずしも同じではない。


秀樹はよく言っていた。


「自分は長男なんだから、我慢しなきゃいけない」


私は、その言葉を何度も聞いてきた。


ただし、秀樹がいつも我慢しているわけではない。


結構わがままも言う。


実際、農作業の多くは弟さんが引き受けている。


秀樹は帳簿や確定申告を担当しているようなので、全く仕事をしていないわけではない。


でも、弟さんのお嫁さんからは、こんなことを言われたことがある。


「たまにはお兄さんもやってくださいって、言ってくださいよ」


つまり、少なくともお嫁さんは、弟さんの負担が大きいと感じていたのだろう。


秀樹は、弟は好きで農作業をしていると思っているようだった。


しかし、私は思う。


好きでやっていることと、いくらでも仕事を押しつけていいことは違う。


弟さんが本当は跡継ぎになりたかったのかどうかも、私には分からない。


実際、弟さんは結婚するとき、お嫁さんの姓になった。


それでも、家の農作業を担っている。


家族の中で誰が偉いかではなく、誰が何をしているのか。


そういうことこそ、きちんと評価しなければならないと思う。


秀樹のお金だから、一番高いベビーカーを買おう


秀樹が家族からどんな扱いを受けてきたかについて、忘れられない話がある。


秀樹がまだ独身だった頃、お姉さんが妊娠した。


そこで秀樹は、生まれてくる赤ちゃんのためにベビーカーを買ってあげようとしたらしい。


つくばのトイザらスまで、車で連れていったという。


ここまでは、何の問題もない。


弟が姉の出産を祝って、ベビーカーを贈る。


いい話ではないか。


ところが、お店に着いてからの話が違った。


お姉さんとお母さんが、一番高いベビーカーを買おうと言い出したらしい。


しかも、


「秀樹のお金だから、別にいいよね。一番高いのを買っちゃおう」


というようなことを話していたという。


私はその話を聞いて、驚いた。


一番高いベビーカーを買うこと自体が悪いわけではない。


例えば、安全性を調べた。


押しやすさを比べた。


赤ちゃんの乗り心地を確認した。


その結果、一番高い商品が欲しくなった。


それなら理解できる。


でも、そうではない。


一番高いから買おう、というのである。


しかも、自分のお金ではなく、秀樹のお金だからいいという。


私は、こういう考え方が嫌いだ。


人が一生懸命働いて稼いだお金を、どうしてそんなふうに扱えるのだろう。


それも、赤の他人ではない。


実の母親と姉である。


しかも、後になってその話を私に聞かせたときも、笑い話だった。


「秀樹のお金だから好きに使っちゃいましょうって、みんなで笑ってたのよ」


というような話だった。


私は、そんなことを嫁に聞かせて、何も感じないのだろうかと思った。


とうとう私は、秀樹のお父さんに聞いてしまった。


「本当に秀樹って、お父さんとお母さんの子供なんですか。養子じゃないんですか?」


お父さんは、かなり怒っていた。


まあ、そんなことを聞かれれば怒るだろう。


しかし、それほどまでに私は、秀樹への扱いが理解できなかったのである。


ところが面白いことに、秀樹自身は怒っていなかった。


普通に笑っていた。


「仕方ないな」


という感じだった。


秀樹にとっては、自分にそれだけの財力があること、家族から必要とされていることを確認できる出来事だったらしい。


なるほど。


同じ出来事を経験しても、受け取り方は人によって違う。


秀樹にとっては、自分の力を誇れることだったのかもしれない。


でも、私が秀樹の立場だったら、傷つく。


この人たちは、私の労働やお金を大切にしてくれないのだろうか。


その疑問が先に来ると思う。


高いものを買えることと、人を大切にすることは別なのだ。


村で一番高い鯉のぼり


そして、さらに忘れられないのが、鯉のぼりの話である。


息子が生まれたとき、義理の家族は、村で一番高い鯉のぼりの支柱を立てようとした。


実際に、非常に高いポールを立てた。


そして、それに見合う鯉のぼりを用意してほしいと言われた。


理由は何か。


自慢したいから、である。


鯉のぼりのお金を出したのは、私の両親だった。


確か、45万円ほどしたと聞いている。


決して安い金額ではない。


私は、そんな大きな鯉のぼりでなくてもよかった。


五月になったら、軒下に小さな鯉のぼりを飾る。


風が吹いたら、ひらひら泳ぐ。


子供たちと一緒にそれを眺める。


それだけで十分満足だった。


私は、鯉のぼりの大きさを自慢したかったわけではない。


子供の成長を祝いたかったのである。


もちろん、大きな鯉のぼりの前で撮った写真は残っている。


息子はその写真を喜んでいるし、大事にもしている。


だから、大きな鯉のぼりが全く無意味だったとは言わない。


それでも、私は思う。


なぜ、村で一番高いことが必要だったのだろう。


そもそも鯉のぼりは、誰のために買ったのだろう。


私は最初から、五月人形、つまり武者人形のようなものにしてはどうかと提案していた。


それなら飾りやすいし、長く大切にできると思ったからだ。


しかし、その提案は聞いてもらえなかった。


どうしても、大きな鯉のぼりでなければならなかったらしい。


そして、その後どうなったか。


鯉のぼりが空を泳いだのは、最初の一年だけだった。


次の年からは、もう飾ろうともしない。


私は一生懸命お願いして、何度か揚げてもらった。


でも、やがて全く揚げなくなってしまった。


長い年月がたち、ポールも腐って撤去された。


ひいおじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、秀樹のお父さんも亡くなった。


今、残っているのはドラム缶だけである。


そのドラム缶の中に、鯉のぼりがしまわれたままになっている。


私は、それを考えると悲しくなる。


鯉のぼりは、死んだのと同じだ。


もう空を泳ぐこともできない。


子供の成長を願って買ったはずなのに。


大人たちが自慢するために、45万円もかけて買った鯉のぼり。


でも、自慢が終わったら、もう必要なくなってしまった。


もし最初から小さな鯉のぼりを買っていたら、毎年、五月になるたびに飾っていたかもしれない。


子供たちも、それを楽しみにしていたかもしれない。


私は、そちらの方がずっと豊かだったと思う。


七段飾りのお雛様が欲しい理由


お雛様についても、似たようなことがあった。


七段飾りのお雛様が欲しいと言われたのである。


でも、当時の私たちはアパート暮らしだった。


七段飾りを置く場所などない。


だから私は、小さなお雛様にしようと考えた。


ところが、散々文句を言われた。


七段飾りじゃないと困るという。


なぜ困るのか。


これも、自慢したいからだった。


私は、そこがどうしても理解できなかった。


お雛様は、子供の成長や幸せを願って飾るものではないのだろうか。


小さくても、きれいなお雛様ならいいではないか。


毎年飾って、子供が喜んでくれれば、それで十分ではないか。


大きいものが欲しいという気持ちは、別に悪くない。


高級品が好きでも構わない。


でも、子供のための行事なのに、いつの間にか大人の見栄が主役になっている。


私は、そのことに腹が立ったのである。


子供は親戚の勲章ではない


私は、こういう考え方が子供たちにも影響してしまったのではないかと感じることがある。


息子が、こんなことを言ったからだ。


「ママは、自慢したいから僕を大学に入れようとしてるんでしょ」


私は驚いた。


どうして、そんな考え方になるのだろう。


誰かから聞いたのかもしれない。


それとも、親戚たちの言動を見て、自分でそう考えたのかもしれない。


そこは分からない。


だから、誰かが吹き込んだと断定するつもりはない。


ただ、身近な大人たちが何かにつけて自慢を重視していれば、子供がそういう価値観を覚えてしまう可能性はあると思う。


秀樹の親戚たちは、子供たちが小さい頃には、さぞ立派なお孫さんになるんでしょうね、と期待していた。


ところが、進路や人生が期待どおりにならなかったときには、笑いものにするような態度もあった。


私は、そういうところが嫌いである。


子供がいい大学に入れなかったら、何がおかしいのだろう。


進路に迷っていたら、何がそんなに面白いのだろう。


自分の親戚の子供が困っているのなら、何か力になれることはないかと考える方が自然ではないだろうか。


少なくとも、私の実家の親戚には、そういう考え方の人が多かった。


困っている人がいたら、できるだけ力を貸そうとする。


私は、その方が好きである。


もちろん、助けることを他人に強制するつもりはない。


でも、他人の不幸を酒のつまみにして笑うことは、私には理解できない。


それこそ、人間としての品位の問題ではないだろうか。


私は学歴が低い人を見下したいのではない。


どれだけ知識があっても、他人の不幸を喜んでいるなら、その知識を何のために使っているのだろうと思うのだ。


私は、他人の子供であっても、困っていたら何とか立ち直れるように助けたいと考える。


もちろん、私一人にできることには限界がある。


それでも、相手の弱点を笑って終わりにするより、どうすれば良くなるかを考えたい。


遺伝子は可能性であって、免罪符ではない


私は、自分の先祖の話を聞いて、自分にも知的な能力が受け継がれているのではないかと考えてきた。


身体能力については、正直なところ、それほど自信がない。


身長も低いし、体力もあまりない。


でも、考えることは得意だと思っている。


だから、私は遺伝子の影響を重視する。


ただし、今回の話を書いていて改めて思う。


能力が高いことと、人間として立派であることは同じではない。


父は発明や設計が得意だったけれど、人を信じやすいところがあった。


おじいちゃんは優秀な学生だったけれど、大学を辞めた。


その判断が正しかったかどうかは、今も分からない。


母には頑固で理解しにくいところがあるけれど、私に本を買ってくれた。


秀樹のお母さんは、JAの活動で長く責任ある仕事をしていたという。


でも、家族のお金の扱い方について、私は納得できないことがあった。


秀樹自身も、家族から重い期待を背負わされた一方で、その期待を自分の存在価値として受け止めていた部分がある。


どの人間にも、長所と短所がある。


知的な能力には遺伝の影響がある。


性格や気質にも、遺伝が関係する部分はあるだろう。


でも、実際の判断や行動は、育った環境や経験によっても変わる。


だから、血筋だけで人間の善悪や品位を決めつけることはできない。


そして、先祖が優秀だったからといって、私は何もしなくていいわけでもない。


むしろ、受け継いだかもしれない能力を、どう使うかが重要なのだ。


私は、人の弱点を利用して操るより、長所を見つけて伸ばしたい。


他人を蹴落として上に立つより、得意な人に仕事を任せたい。


人の成功を自分の手柄にするより、実際に頑張った人を評価したい。


人の不幸を笑うより、その人が立ち直る方法を考えたい。


それは、先祖から学んだこともあれば、本から学んだこともある。


そして、家族の失敗から学んだこともある。


失敗だって、無駄にする必要はないのだ。


私は一族の最高傑作かもしれない


こうして振り返ると、私は一族の最高傑作だったのかもしれない、なんて思うこともある。


もちろん、誰が一番優秀かを客観的に比べられるわけではない。


それに、先祖の知識や能力をそのまま受け継いだという証拠があるわけでもない。


でも、私は先祖たちの成功だけでなく、失敗からも学ぼうとしてきた。


さらに、先祖以外の人間からも学んできた。


歴史の登場人物。


科学者。


哲学者。


文学者。


フィクションの登場人物。


そして、身近にいた教師や友人たち。


血のつながりがなくても、人間はほかの人間から学ぶことができる。


むしろ、そこに教育の素晴らしさがある。


一人の人生で経験できることには限界がある。


でも、本を読めば、何百年も前に生きていた人の考え方を知ることができる。


その人がなぜ失敗したのか、なぜ成功したのかを考えることができる。


自分が同じ失敗を繰り返さないようにすることもできる。


だから私は思う。


先祖から受け継ぐべきものは、家名や肩書きだけではない。考え方を発展させるための材料なのだ。


ただし、知識を得たからといって、それだけで人生が豊かになるわけではない。


その知識をどう使うのか。


誰のために使うのか。


そして、自分自身の生活をどう支えていくのか。


そこまで考えなければならない。


私は人のために働くことが嫌いなわけではない。


問題を解くことも好きである。


でも、好きだからといって、無料で働き続けなければならないわけではない。


能力を正当に評価し、仕事に対して報酬を払う。


そんな当たり前のことができる社会であってほしい。


私が先祖や家族から学んだことを、次の世代にも渡したいと思うのは、そのためでもある。


子供たちには、立派な家柄を自慢する人生より、自分の能力を生かせる人生を送ってほしい。


人の不幸を笑う人間より、困っている人に手を差し伸べられる人間になってほしい。


そして何より、他人の期待を満たすためだけでなく、自分自身の人生を生きてほしい。


村で一番高い鯉のぼりなんか、必要なかった。


小さくたって、毎年ちゃんと空を泳いでいれば、それでよかったのである。


人間だって同じだ。


他人に自慢できるほど立派に見えることよりも、その人が自分の人生をちゃんと生きられることの方が大切なのではないだろうか。


私は、そう思っている。


⸻



今回の話には、家族から聞いた伝聞が多く含まれている。


先祖の経歴や親族関係については、記録が残っていない部分も多いので、事実関係が違っている可能性もある。


ただ、私がこの話から何を考え、何を学んだのかについては、できるだけ正直に書いた。


そして、誤解されたくないことが一つある。


私は、秀樹の家族が全員悪い人間だったと言いたいわけではない。


それぞれに良い部分もあっただろう。


ただ、他人の労働やお金をどう扱うか、子供の成功や失敗をどう受け止めるかという点について、私は納得できないことが多かった。


だからこそ、そこからも学びたい。


良い部分は認める。


悪い部分は改善する。


先祖の名前を自慢するより、その方がよほど建設的だと思う。


そして、ドラム缶の中で眠っている鯉のぼりのことは、今でも忘れられない。


あれは、何のために買ったものだったのだろう。


もう一度、空を泳がせてやりたかった。


それだけは、今でも少し残念である。

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