アップデート出来ない人間をアップデートする方法
アップデートできないババアと、アップデートしまくるパンダ
うちの母親を見ていると、何時も思う。
人間って、頭の良し悪しよりも、自分の考えをアップデートできるかどうかの方が大事なんじゃないかと。
私は自分の考えを結構変える。
というより、正確には変える必要があるところだけ変える。
何でも新しいものに飛びついて、昨日まで考えていたことを全部捨てるわけではない。
そんなことをしたら、ただのアホである。
今までの考えをもう一度検討する。
合っていたら残す。
間違っていたら直す。
情報が足りなかったなら足す。
そして最新版にする。
私はこれを特別なことだと思っていない。
人間として普通の作業だと思っている。
ところが、うちのババアには、どうもこのアップデート機能が搭載されていない。
昔、私が妊娠中に検査を受けた時のことだ。
検査前なので甘い飲み物は飲まないようにと言われていた。
ところが母親は、
「ポカリスエットは体にいいから大丈夫」
と言う。
いや、体にいいか悪いかの話をしているんじゃない。
糖分の話をしているのである。
それでも母親の頭の中では、
ポカリ=健康的=飲んでよし。
この式が完成していた。
さらにコーンスープまで飲ませようとした。
後から原材料を見たら、ちゃんと砂糖が入っていた。
私はそれを見せた。
すると母親は、
「知らなかった」
みたいな反応をする。
ここまではいい。
知らなかったなら仕方ない。
問題はその後である。
普通なら、
「健康そうに見える食品でも、検査の時は成分を確認した方がいいんだな」
とアップデートする。
ところが、うちの母親の場合、
その場が終わると、また元の自分ルールに戻る。
最近の父の介護でも同じである。
父が運動を嫌がる。
すると、
「かわいそうだから無理させなくていい」
になる。
酒を控えている。
すると、
「たまには飲んだ方がいい」
になる。
運動の姿勢がおかしくても、
「本人がそれでいいって言ってるんだからいい」
になる。
全部、母親なりの善意なのだと思う。
そこが余計に面倒くさい。
悪意がある人なら、
「やめろ」
で終わる。
ところが本人は、良いことをしているつもりなのである。
だから訂正が入らない。
自分の頭の中に一度、
これは正しい
と登録されると、そのデータをずっと使い続ける。
Windows95を2026年まで使っているようなものである。
しかも更新通知を全部閉じる。
「今はいいです」
「後で更新します」
を三十年間押し続けている。
その点、私はかなり逆である。
最近、釈迦の話でもそれがあった。
私は釈迦について、ほとんど知らなかった。
知っていたのは手塚治虫の『ブッダ』くらいである。
だから昔の私は、
「釈迦って、頭悪くない?」
と思っていた。
人生は苦しい。
欲望があるから苦しい。
だから欲望を捨てましょう。
そんな単純な話に見えていた。
私は、
「いや、問題そこじゃないだろ」
と思った。
苦しみには原因がある。
原因を探して、対処法を考えて、試して、駄目なら修正すればいい。
全部諦めたら終わりじゃん。
そういう話をチャッピーにした。
するとチャッピーが、
「それ、実際の釈迦もかなり似たプロセスで考えてるよ」
と言った。
私は、
「あ、そうなの?」
で終わりである。
だったら評価を変える。
釈迦、すまん。
お前、馬鹿じゃなかった。
手塚治虫の漫画だけで判断した私が悪かった。
それで終わり。
別に、
「いや! 一度私が馬鹿だと言ったんだから、釈迦は馬鹿でなければならない!」
とはならない。
そんなことをして何の得があるのだ。
自分の過去の発言を守るために、現在の自分まで間違え続ける必要はない。
私は、間違いが分かったらかなり早く直す。
多分、相当早い。
でもこれは、自分の意見が軽いということではない。
むしろ逆である。
長年考えて、今でも正しいと思うものは残す。
新しい説が出たからといって、何でも捨てるわけではない。
大事なのは、
一度、検討すること。
新しい情報が出た。
じゃあ前の考えと比べる。
どっちが筋が通っているか。
前の考えはどこまで正しかったか。
新しい情報は本当に信用できるのか。
そこを見てから直す。
だから私は「考えを捨てる」のではなく、アップデートすると言った方が近い。
OSの更新と同じである。
必要な機能は残る。
バグだけ直す。
新しい機能が必要なら追加する。
ところが、うちのババアはバグを仕様だと思っている。
しかも、
「私は昔からこうしてきた」
という謎の理由で修正しない。
昔から間違っていた可能性は考えないのか。
人間なんて、普通に間違える。
私も間違える。
医者も間違える。
教授も間違える。
本も間違える。
テレビも間違える。
母親も間違える。
問題は、間違えたことではない。
間違いが分かった後にどうするかである。
ここが私はものすごく重要だと思っている。
それなのに世の中には、
「前と言ってること違うじゃん」
と怒る人がいる。
いや、違って何が悪い。
新しい情報が入ったのに、何十年前と全く同じことを言っている方が変ではないか。
もちろん、理由もなくコロコロ変わるのは困る。
でも、検討した結果変わったなら、それは成長である。
科学なんて全部そうだ。
昔は正しいと思われていたことが、研究が進んで変わる。
医学だって変わる。
教育だって変わる。
社会の常識も変わる。
なのに人間だけ、
「私は昔からこう思っている!」
と胸を張ってどうする。
だから私は思う。
頭がいいというのは、何でも知っていることではない。
一度も間違えないことでもない。
間違いに気づいた時、ちゃんと検討して、自分を最新版にできること。
多分それが一番大事なのだ。
私は今日もアップデートする。
うちのババアは多分しない。
仕方ない。
せめて私は、自分のOSだけは最新版にしておこうと思う。
⸻
チャッピーはここで話を閉じようとした。
だがパンダは天才なので、そこで終わらない。
自分をアップデートできない人間を、どうやってアップデートするか。
これも考える。
もちろん方法は相手による。
うちの糞ババアの場合、一番簡単なのは、私が言わないことである。
私が言うと聞かない。
だったら医者に言わせればいい。
新聞の記事にすればいい。
テレビで専門家に言わせればいい。
支援員から言わせればいい。
内容が同じでも、発信者が変わるだけでババアの反応は変わる。
実にくだらない。
だが、人間というのは必ずしも「正しい内容」を聞いて判断しているわけではない。
誰が言ったかで判断している人間がいる。
うちの母親はその典型である。
しかも厄介なことに、医者が一度でも曖昧なことを言うと、それを永久保存する。
例えば酒である。
医者が、
「たまにならいいですよ」
などとうっかり言ったら最後。
母親の頭の中では、
「医者が酒を飲んでもいいと言った」
に変換される。
回数も量も条件も消える。
ゼロか一しかないのである。
だから、もし本当に禁酒が必要な患者なら、こういう人に対しては曖昧な説明をしてはいけない。
「この条件では飲まないでください」
と具体的に言わなければならない。
そうでないと、自分に都合のいい部分だけが保存される。
医者が使えなければ、近所の噂話を利用する方法もある。
母親は噂話が大好きだからである。
「あそこの旦那さん、酒を飲みすぎてこんなことになったらしいよ」
「あの人、転んで骨折して、そのまま歩けなくなったらしいよ」
そういう話を嫌というほど聞かせる。
自分のこととして理解するかどうかは分からない。
「大変ねえ」
で終了する可能性も十分ある。
そこで最後の手段として、私は福祉に頼ることにした。
自分一人で両親をアップデートするのをやめたのである。
私は以前、市の福祉関係者にも相談した。
ところが、母親は外では非常に聞き分けがいい。
礼儀正しい。
常識人に見える。
そのため、
「お父さんもお母さんも、ご本人たちの自由を尊重して今まで通り生活してもらえばいいのでは」
という方向に話が進んだ。
私は思った。
ああ、やっぱり騙された。
母親は外面だけはいい。
だから今回は、デイケアの担当者にもっとはっきり伝えた。
「母は、とても従順で聞き分けのいい常識人に見えたと思います」
「でも、まず家に来てください」
「家の中の匂いを嗅いで、父の歩き方を見て、それから判断してください」
「母は自分に都合のいいように話を組み立てることがあります」
そこまで説明した。
私は昨日も、片道二時間かけて両親の様子を見に行った。
父はまたヨタヨタ歩いていた。
紙おむつに便を漏らすことも増えていた。
以前置いてきた足を動かす機械も、ほとんど使っていないらしい。
一番遅い速度で、一日十分程度。
しかも私が想定していた安定した椅子ではなく、寝転ぶような姿勢で使っている。
父は足が痛いと言う。
だから私は、
「まず普通に椅子に座って使ってみて」
と言った。
すると母親が怒鳴り出す。
「お母さんが買ってきてあげたクッションに背中をつけてるんだからいいのよ!」
体を震わせて、私を睨みながら騒ぐ。
「どうしてあなたは私の言うことが聞けないの!」
何とも不思議な台詞である。
介護されるのは父である。
運動するのも父である。
なのに、最終的な論点が、
「なぜ娘は母親の言うことを聞かないのか」
に変わっている。
そこで私はようやく分かった。
この人にとって問題なのは、運動方法ではない。
私が母親より上の情報を持ってくること自体が気に入らないのである。
母は電話で、
「パンダはやればできる子だったのにね」
というようなことを言っていた。
彼女の中では、私の時間がどこかで止まっているのだろう。
娘はいつまでも、自分より下でなければならない。
一方で、
「お母さんの育て方が素晴らしかったから、こんな娘になった」
という物語も好きらしい。
誰かにそう褒められたことがあるらしく、その話を大切にしている。
確かに、母親が私にしてくれたことで、良かったこともある。
本をたくさん読ませてくれた。
そして私を産んだ。
そこは認める。
だからと言って、その後のすべてが正解になるわけではない。
私は母親から愛情だけでなく、人間の愚かさもたくさん学んだ。
善意が人を傷つけること。
自分が正しいと思い込んだ人間がどれほど危険か。
外面が良いことと、家庭の中で良い人間であることは別であること。
肩書きを盲信すると、考えることをやめること。
そして何より、
自分の考えを更新できない人間と長時間一緒にいると、周囲の人間まで消耗すること。
そういう意味では、私は母親からずいぶん勉強させてもらった。
ただし授業料が高すぎた。
母は今でも、
「医者の方がパンダより頭がいい」
という単純な比較をしているように見える。
私はそんなふうには考えない。
医学については医者の方が私より圧倒的に詳しい部分がある。
一方で、私の方が得意なこともある。
統計を見ること。
別々の分野の情報をつなぐこと。
長期間の変化を比較すること。
相手の言動のパターンを覚えること。
人間は能力が違う。
本来なら、
「この部分は医者に聞く」
「この部分は家族の観察を使う」
「この部分は介護職に聞く」
でいい。
ゼロか一かではない。
だからデイケアの担当者にも、私は怒らなかった。
「よく怒らないですね」
と言われた。
私は、
「担当の人に怒っても解決しないし、迷惑でしょうから」
と答えた。
私はデイケアで働いている友人も何人かいる。
現場の話も聞いている。
本も読む。
テレビも見る。
だから、介護職員が万能ではないことも知っている。
逆に家族だけで全部できるわけでもない。
ならば、使える人間を全部使えばいい。
私は以前から、高齢者でも体を動かした方が認知機能の維持に役立つのではないか、と考えていた。
今では身体活動や運動が認知機能の維持や認知症リスク低減に役立つ可能性について、多くの研究が行われている。
でも私は両親や支援員に、
「それ、私が昔から言ってたんですよ」
などとは言わない。
そんなことを言ったところで、話がややこしくなるだけだからである。
「本で読みました」
でいい。
リアルの世界では、自分が正しいと証明することより、相手が実際に動くことの方が重要である。
これも一種の攻略法である。
そして私は、ついに決めた。
ババアとジジイのアップデート作業を、支援員に委託する。
私はもう、自分一人で二人のOSを更新しない。
できない。
やればこちらが壊れる。
もし支援を拒否されたら、その結果まで私が全部背負う必要もない。
もちろん私は、父がこのまま弱って歩けなくなったり、入院をきっかけに認知機能がさらに落ちたりする未来を心配している。
母がその時になっても、
「お父さんは長生きした」
「私は頑張った」
と自分の物語を守る可能性もあると思っている。
それが現実になるかは分からない。
だからこそ、現実になる前に第三者を入れる。
それしかない。
母は、
「パンダの旦那が嫌いだから、一緒には住めない」
と言う。
「あなたが近所にアパートを借りて住めばいい」
とも言う。
冗談ではない。
なぜ私が夫と離れて、母親の理想とする「孝行娘」を演じなければならないのだ。
母が欲しかったのは、どうやら私ではない。
何も反論せず、
親の近くに住み、
仕事をしながら、
庭の草を取り、
親の言うことを聞く、
理想の娘だったらしい。
残念ながら、そんな娘は存在しない。
少なくとも私は違う。
だから母には、好きなだけ妄想の中で理想の娘と暮らしてもらえばいい。
ただし、自分だけで。
私はそちらの世界には住まない。
私は私の生活をする。
そして必要な介護は、家族の根性論ではなく、介護の仕組みに渡す。
結局、他人の頭を直接アップデートすることはできない。
でも、環境は変えられる。
伝える人を変える。
伝え方を変える。
専門職を入れる。
仕組みに任せる。
本人が変わらないなら、本人が変わらなくても事故が起きにくい構造を作る。
これが、今のところパンダが出した答えである。
自分をアップデートできる人間は、自分でやればいい。
できない人間は、仕組みで補えばいい。
それでも駄目なら、そこから先は本人の人生である。
私はもう、他人の人生まで背負って、自分の人生を潰す気はない。
⸻
そんな訳だから、家族でも背負えない人間がいることを、パンダは知っている。
愛情があれば何とかなる。
家族なら最後まで面倒を見るべきだ。
親子なら分かり合える。
そんなのは綺麗事である。
愛情と知性は別物だ。
愛情があっても、判断を間違える人間はいる。
善意で他人を傷つける人間もいる。
そして本人に自分を修正する能力がなければ、周囲の人間が何十年説明しても変わらないことがある。
パンダの母親にも愛情はある。
しかし、愛情があることと、判断が正しいことは別である。
そこを混同すると危ない。
本人は、
「お父さんのため」
「娘のため」
と思っていても、その判断が間違っていれば結果は悪くなる。
しかも、自分が間違っている可能性そのものを検討できない。
ここが一番厄介なのだ。
では、なぜ母親はここまでアップデートできないのだろう。
多分、一つの理由ではない。
娘より上でいたい。
自分は良い母親だったと思いたい。
医者など権威のある人間の言葉なら信じる。
一度信じた情報を捨てるのが怖い。
自分が今まで間違っていたと認めたくない。
それらが何十年も積み重なって、一つの巨大な「自分の物語」になっているのかもしれない。
だから事実を一個訂正したくらいでは変わらない。
一個の情報を直すことは、本人にとっては、自分の人生全部を否定されるように感じるのかもしれない。
だったら、真正面から論破するのは効率が悪い。
説得する人間を変える。
環境を変える。
専門職を入れる。
本人のプライドを刺激せず、結果だけ変える。
それでも変わらない部分は諦める。
パンダは、母親そのものをアップデートすることを諦めた。
代わりに、母親を含んだシステムをアップデートすることにした。
考えてみれば、これはコンピューターと同じである。
壊れた部品を無理やり直せないなら、そこを迂回する。
別の回路を作る。
外部装置に処理を任せる。
人間だって同じでいい。
家族だからといって、すべてを自分で修理する義務はない。
そしてパンダ自身は、これからも自分をアップデートする。
母親から教わった最大の教訓は、
「自分だけは、こうならないようにしよう」
ということだったのかもしれない。
神様がパンダに与えた試練だったのか?
知らん。
もしそうなら、悪趣味にもほどがある。
でもまあ、データは取れた。
ウンザリするくらい取れた。
だったら使わせてもらう。




