15.狐の母親は優しそう
あの女性が去った後、俺はその場で落ち着きを取り戻す事に努めた。
赤の他人にここまで感情的になるのも珍しい。
しかしながら、彼女の語る日々はあまりにも許しがたいものであった。
それを諦めてしまっている彼女も含めて。
「何でもない事に少し熱くなりすぎたな」
『いえ。わたくしはシュン様らしいな、と思いました』
エルの画面を見る。
そこには元気出してとでも言いたげな間の抜けた顔文字があった。
『きっとシュン様は理不尽な運命や不条理な障害を良しとせず、
最後まで抗って戦って…そして得られる最高の結末を掴み取る。
そういう方なのだとわたくしは思います』
「そんな高尚な奴に見えるか?」
『はい。見えます』
そんな事はないぞ。
俺はただあまりにも酷い事に対して怒り、変えたいと感じるだけだ。
きっとそれは誰もが感じる事で、何ら特別な事じゃあない。
しかしエルが自分の意見を持ち、それを通そうとする姿勢は珍しい。
それだけに真っ向から否定するのも躊躇われる。
そうして俺が返しに困っていると、ふと扉の方向から足音が聞こえる。
レリィやイズモのものではない。それらより重量を感じる。
足音はこの物置の前で止まる。
仕事か何かでこの部屋に用のある人だろうか。
木箱の影に隠れるが、流石に完全に体を隠す事は難しい。
入られたら人間バレ待ったなしである。
「シュンという名の人間はいるか!」
名前を呼ばれた。どうやら二人から事情を聞いた人物らしい。
俺はその場を離れ、施錠されていない扉を開ける。
そこには、犬がいた。
「イワミ様がお待ちだ。ついてこい」
頭についた獣耳と尻尾が薄い茶色であり、とてもふさふさしている。
俺はあれに見覚えがある。柴犬だ。間違いない。
皮と金属…ではないな。なんだろう、骨か? 材料不明の鎧を装備している。
見た目の年齢は俺より5は上の女性で、既に成人しているように見える。
「予め言っておくが…。もし不審な真似をしたらお嬢様の友人であっても
容赦なく叩き切る。そのつもりでいろ」
彼女は厳しい口調で言うが、
柴犬独特の穏やかな目元のせいでどうも様にならない。
俺はここでやっと屋敷…イズモの家を観察することができた。
石と木を組み合わせてできた柱や壁はあまり見た事がない。
更に時折素材不明の壁や扉がありここが異世界という事を感じさせる。
そういえばあの物置にあった窓、あれもガラスではなかった。
何か糊を乾燥させたような独特の触り心地を感じた。
物珍しさに感心しながら歩いていると、使用人らしき女性二人がすれ違う。
「…本当に耳も尻尾もありませんわ!」
「…人間には何もついてないって本当だったのですね!」
そんな会話が聞こえてくる。
なるほど、この異世界では何か人外を示す特徴があるのが一般らしい。
どうでもいいんだが、もし俺が完璧なハゲで髪の毛が一本もなければ
人間は髪の毛がないものと認識されたのだろうか…
「あまりキョロキョロ見回すな。叩き切るぞ」
彼女は叩き切るが口癖なのだろうか。
俺は釣り上げたように姿勢を正し、前だけを見る。
しかし別にこの犬の女性に慄いたわけではない。
胸ポケットにあるスマホが『叩き切られるのはお前だがな』という
あまりにも不穏な言葉を吐いたせいだ。
こいつは俺のこととなるとすぐキレる性格なのかもしれない。
それから階段を上がりまた廊下を歩き、やっと女性が止まる。
どうやら目的の部屋についたらしい。
…この屋敷、流石に広すぎではないだろうか?
「イワミ様、入ります」
今まで見た中では一番上質な扉を開ける。
そこにはイズモとレリィと、始めて見る女性が座っていた。
「始めまして、シュン。私はイワミ・リガ・ズィーレット。
この屋敷を預かっている者です」
イズモをそのままラージサイズにしたような女性である。
しかし毛並はより艶やかであり色合いは落ち着いている。
「名で気づいたとは思うがの…。わらわの母じゃ」
イズモからの紹介が入る。まぁ、そうだろうな。
それよりあのイズモが縮こまっているように見える。
レリィに至ってはわかりやすく落ち込んでいた。
「まずは感謝を。…我が娘と、その友人を守って頂き有難う御座いました」
心の底からそう思っているのだろう、
その言葉には親としての子を心配する気持ちがあった。
「あなたには帰る場所がないという話を聞きました。
さぞご苦労なされたのでしょう、私としてはあなたを歓迎するつもりです。
…たとえ人間であっても」
やはり俺が人間である事が障害なのか。
それでも歓迎するというこのイワミという女性の器は計り知れない。
「えっと、有難う御座います。俺も、皆に認められるよう精いっぱい…」
あまりに厳粛な空気に俺の慣れない敬語がさく裂する。
それを終わらせたのは俺が何を言おうか忘れたのではなく、
イワミのその前に、という一言だった。
「あなたには二つ、知ってもらっておきたい事があります」
彼女の顔が少しだけ柔らかなものとなる。
俺のルーキー敬語は警戒を解かせる役には立ったらしい。
「一つは、何故私たちが人間を恐れているかという事。
そしてもう一つは…」
そう、それだよ。俺が気になっていた事は。
ずっと聞きづらかった事柄をいきなり明かしてくれる。
きっとこの人は物凄く要領がいいぞと勝手に思う。
「私たちが置かれている状況と、歴史についてです」
それも気になっていた。
なんせ俺の知っていた異世界のイメージとはあまりに異なるのだ。
きっとこの人は相手の心中を察する能力も高いぞと勝手に評価を上げる。
そして、イワミはゆっくりと語り始める。




