side標的 距離は進まぬ千鳥足の如く
慣れないことをして無駄に怪我をするなと伝えたかったんだ。だが言い方が悪かったと悟ったのは、彼女の思考が伝わってきてからだった。不愉快にさせて、いや、心を傷付けてしまった。
彼女から顔も見たくないなどと思われたのは初めてだった。
そのせいか変に焦りを感じた。
我に返った時には手を伸ばしていたんだ。
柔らかな毛先が指先を掠めていったのを、どこか残念さと安堵とで見送った。無意識に自分が彼女を引き止めようとしたなど、認めたくなかった。知られたくもなかった。
その直後、彼女の心の下卑た笑い声が聞こえて、未遂で本当の本当に良かった……っ、と肩で深く息をついたが。
全く以てどうかしている。傷付けたかもしれないと思い一瞬でも言い訳したくなったなど。
まあいい。とりあえず湯浴みは絶対に一人でする。暗殺者以前にあのような稀な破廉恥女に背中を任せるなど、人生を捨てるも同じだ。俺の何かがごっそり減る。
そんなわけで、煩悩に満ち溢れた彼女か背中を流す云々と言ってきたなら即座に追い返すよう屋敷の者には堅く命じておいて、ゆっくりと垢を落とした。暗殺者の身体能力を使い力業で入って来なくて幸いだった。
どうやら彼女は俺に暗殺者なのを絶対に隠しておきたいようだからな。標的本人に知られてしまえば警戒されて暗殺計画に支障が出かねないんだし、当然と言えば当然か。例えば露見して標的はあなたではありませんのでご安心をと言われても、心から信じられる男は如何程か。
俺が真実を知っていると告げたらどんな顔をするだろうな。試してみたい気もするが、今はその時ではない。
後日についても、仮に魔物が入ろうとしたとしても放っておいていいが、何があっても彼女だけは通すなと厳命しておいたのは正解だった。
俺の入浴タイムは護られた。
血刺繍のタオルは何となく捨てると呪われそうな気がして、洗って取ってもおいた。彼女は俺が捨てると確信していたようだが、まあ半分は捨てようかとも考えたのは否定しないが、資源を無駄にしたくないのもあって捨てなかった。
別に俺のために努力してくれたからだとか、そういうのではない。タオル一枚からだって貴重なうちの財産だからだ。
故に時々使っているが、そういう日に限って彼女は顔を出さない。残念がるべきなのか安堵するべきなのか、自分でもよくわからないでいる。
この日の鍛錬でも使用して、こんな日にはやっぱり彼女は来なかったが、我知らず俺は緩んだ眼差しで幾つか変な所にある四苦八苦の跡たる小花の刺繍を眺めた。




