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side標的 先に蕩けていたのは誰だったのか

 今夜の目的は俺の暗殺ではなく誘惑。

 そんな積極的な意思で満載だったくせに、スライムを倒してからは見事に真逆の方向への積極性へと変わった。皮肉にも俺が望んでいた離婚が成立しそうだった。


 このまま部屋から出て行かせてしまえば、彼女はこの屋敷から……俺の傍からも去るだろう。

 嫌だった。

 咄嗟に引き止めて簡単には逃げられないように長椅子に押し倒すなど、これまでの俺なら到底有り得ないことまでしてしまうくらいに、とにかく別れが受け入れ難かったんだ。


 俺が理想なくせに、あっさり諦めようとするのが気に食わない。

 俺以外の男なんて探させない。


 俺の気持ちを一方的に分析して間違った結論の上から勝手に話を進めるな。この鈍感妻め。

 挙げ句は据え膳を食わないと勿体ないからとまで言われる始末だ。ハハッ結婚直後の俺ならこの状況下ではまさにそう考え手を出したに違いない。彼女の俺への認識はあながち間違ってはいない。

 ……しかし今はそう思われているのがとても不服だ。


 俺が別れたいと思っていると、何の疑問もなくそう思われているのにも腹が立ってきた。段々と憎らしくもなってきて、どこか意地悪な気持ちも含んで挑発するみたい最終的にはベッドに組み敷いた。


 彼女はそれでもキョトンとしていたが、全くどこまで鈍感なんだ。もしや恋愛音痴なんだろうか……。

 幸い、ダイレクトに意思表示したらようやく悟って激しく動揺した。


 ただちょっと腹に据えかねるのは、誘惑しようとやってきたくせに動揺し過ぎって点だ。

 よもや、本当にキスだけで済ますつもりでもあるまいに。


『ここここれはそういうことよね? いやでも本当にいいの!? あたしはキスで十分だと思ってたけど、彼は甘く熱く激しく愛し合いたいの!?』

「…………」

『これは棚ぼたよね。意図していなかったとは言え、彼がその気ならありがたく頂きますしても文句は言われないのよね? 怒ったりされないのよね? んま~あ~、あたしの煮えたぎる情熱にもう勘弁って泣くかもしれないけど?』

「…………」

『ええとでもあたしはウェルカムだけど彼は後悔しないの? ああもう近くで見ても素敵! 好き好き好き好きカッコイイ~~ッ、その手であたしを夢の中でまで愛撫して~っ!』


 よし、躊躇いは捨てるか。なるようにしかならん。

 暗殺者だろうと気にしない、万一殺意が復活したらその時はその時だ。とは言えそうなる前に俺が彼女を落として首ったけにさせてやる。


 顔を寄せ、そっと口付けた。


 拒まれなかったのが勢いになりより深く口付けた。今は彼女の全てを俺のものにしてしまいたいと焦げ付くように求める自分がいる。実は前からそんな欲望があったのは否定しない。


 認めたくはないが認めるよ、俺はこの妻が欲しいと。


 あの愚かな国王はこれを見越していたのだろうか? いやそれはないな。そこまで賢くない。人選は彼がしたのではないはずだ。しかしながら彼女を選んだ者は見事だよ。

 まさにその相手の術中に嵌まったようなものだ。


 きっと一度でも抱けば後戻りはできない。

 彼女を初めて見た瞬間に、俺は本能的にわかっていたんだと思う。だから尤もな理由を盾に自らを欺瞞して避け続けた。

 吸い付くような柔肌は手放せない快楽を与えてくれるのだろう。唇で、指先で触れる度に痺れて震えるような華奢な体が愛おしいと同時に、衝動を加速させる。


 自らの熱と思考に夢中になっていて、彼女の思考から意識が逸れていたのは否めない。

 気付けば、まだこれからなのに彼女は頬を上気させながらも薄らと涙を浮かべていた。

 なっ……泣いて!?


『――怖いっ』

「!?」


 一瞬、思考が止まった。


『好き。それは間違いないわ。キスだって嬉しい。でもあたしの半分はこの先の知らない感覚に間違いなく期待しているのに、もう半分は――まだ怖い。だって初めてだもの。恥ずかしいのに嫌じゃないけど嬉しいのに怖い。でもそんなこと言えない。雰囲気ぶち壊して嫌われたくない。まだ全然蜘蛛の糸くらいは細いけど、とうとう気持ちが繋がったんだもの。怖いけどきっと大丈夫。絶対怖くなくなるわっ』


 自覚なく微かに震えながらそんな強がりを自分へと言い聞かせる、美しい若妻。

 頭が冷え、己のしたたかな所有欲に自己嫌悪が湧く。


 暗殺者なんだし、嫌ならその暗殺スキルで回避できるだろうにそうしないでいる。

 馬鹿なのか、と皮肉りたくなった。馬鹿だな、と安心させるように抱きしめたくも。歯痒くも愛しい。

 ……ああこれはきっともう一生敵わない。


「旦那、様……?」


 俺が手を止めたのを怪訝に思ったんだろう。彼女は潤んだ赤い顔で見上げてくる。

 並の忍耐しかない男なら色々と我慢するのが大変な艶と湿った色気の駄々漏れな様を、彼女は自覚していないだろう。


 ああくそっ、怖いとか思われたならこれ以上無理だ。


 俺だって要らないところで怖がらせて嫌われたくはない。


 殺したくなるほどにとことん惚れてもらいたい。運良くもこの容姿の点で大きな加点は得ているんだ。


 焦らず徐々に徐々に確実に詰めて行こう。急がば回れの好例だなこれは。

 この俺にも嫌われたくないと思う一面があったとはな。自分新発見だ。


 ただ少し、今ばかりはこの読心能力がなければ良かったのにと思った。

 言葉もなく彼女の上からどくと、やや乱した彼女の衣服を整えてやってすぐ横にごろ寝する。


「え、と、旦那様……?」

「こういうことはもっと互いを知ってからの方がいい。まあキスはその第一歩だ。だから今夜はこのままここで寝ろ」

「え……はい」 

「それと、離婚はなしだ。俺たちはちゃんと夫婦する予定なんだから。……今まで冷たくして悪かった」

「あ……いっいえ、そこはもう気にしないことにします」


 彼女は感動と安堵に頬を緩める。その内面での妄想爆裂は多大な精神ダメージを俺に与えてはいたがな……。

 現実の俺で満足しろ、と想いを込めてもう一度キスしたら、不意打ちだったせいかとても目を丸くしていた。彼女からすると俺のキャラじゃないらしいが知るか。


「もう寝ろ」

「あ、はい。お休みなさい」

「お休み」


 それだけ言ってさっさと背を向ける。照れ臭かった。俺のベッドなんだから余所に行く必要もないはずだ。そもそも正式な夫婦なのだし同衾しても問題はないからな。

 彼女の寝顔くらいは見てやろうと、不埒なものも少しだけあった。


 素直に彼女の傍にいたかった。


 この夜、結局俺は手を出さなかったが寝不足にはなった。

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