ルルゥ=ムゥトファクト③
「ぐぎがっ!」
まただ。ルルゥがこちらに手をかざした瞬間。抗えないほどの苦痛が頭部へと走る。
「ほんとに頑丈なんだね。もう、8回は殺してるよ。」
ルルゥが部屋に来たときから、アトレスは彼女を敵と認識して対応していた。
タボの遺体が発見された時、第一発見者のルルゥから、強い血の匂いがしたからだ。
背を向けたあとも当然、警戒はしていた。
しかし、アトレスはルルゥの初撃を見誤る。一切の挙動も無しに、いきなり頭部へのダメージがあったからだ。
先ほどから計8回。
手から産み出した水の波状攻撃と上手く組み合わせて、ルルゥはアトレスへ着実にダメージを蓄積させていた。
アトレスは思わず距離を取る。そう、距離だ。ある程度の距離を置いておけばあの痛みは来ない。
「はぁはぁ。ま…まさか嘘つかれてたとは気づかなかったな。手から水を出すキャリアって聞いてたはずだけど…はぁ。さっきから意味がわからない攻撃をされている。」
息も絶え絶えに、アトレスは会話で時間を稼ぐ。
「それはお互い様。アトレスも身体が頑丈なのは本当だったけど、そのスピード。絶対EとかF程度のキャリアじゃないでしょう。戦闘慣れもしてる。びっくりだよ。」
ルルゥ自身には距離を取るアトレスをとらえるスピードはない。
しかし、距離を詰めなくとも、ルルゥにはいくつかの攻撃手段がある。
「本当だったら。」
ルルゥの両手から大量の水が形成される。
「もっと楽に」
形成された水がぐるぐると回転し、刃の形状へと変化する。
「殺してあげられたのに!」
両手で形成された水は一気にアトレスへと向かって射出される。アトレスの身体能力をもってしても、かわすのがギリギリのスピード。紙一重でかわしたところに、アトレスの回避を先読みしていたルルゥが待ち構え、手をかざす。
「ぐぎぎいぃ!」
またあの耐えられない痛み。距離を離したいが先ほどの回避行動で体勢が悪い。このままではやられる方が、早い。
アトレスは渾身の力を振り絞って床を殴りつける。木でできた小屋の床が大きく破壊され、ぶわっと巻き上がる粉塵。ルルゥは巻き起こる粉塵や木材の破片が自らに降りかからないよう、新しく形成した水でガードしていた。
アトレスは思わぬ苦戦に焦燥していた。アトレスの正体がばれている以上、メーレンの方も戦闘が始まっているだろう。早く加勢にいかなければ、メーレンの命が危ない。そうなればアトレスの命も、いずれは首輪に奪われる。
さっさとトリガーを使用したいが、ルルゥの水による攻撃でポケットに入れていたタバコが濡れており、火がつかない。こいつ子供だと侮っていたが、思わぬ天敵だ。
トリガー無しで早急にルルゥを無力化して、メーレンのもとへと向かうことができるか?
近距離はヤツの間合い。まずルルゥのキャリアの詳細を把握する必要があるだろう。
水を操る能力。操ることができる距離は一定範囲に限定されるのはほぼ間違いない。目算でおおよそ2.5~3m程度。先ほど刃にして放った水も一応警戒しているが、着弾した後は今のところ水のままだ。
あの耐えられない苦痛。おそらく体内の水分を操られている。ノーリスクで?何か条件があるはずだ。思い当たるのは。
「唾液か。」
「え、もうわかったの。」
そういうとルルゥは口を開け、床に無数にできた水溜まりの一つに、唾液をひとつ垂らした。
ぽちゃん。という音ととともに、水たまりから大きな鎌のような刃が形成される。
「あの時のキス。とってもロマンチックだったでしょ。」
ルルゥは水で出来た鎌を手に取り、構える。
「アトレスは初めてだった?ごめんね、ファーストキス。」
初めからこの子には何かあるとは思っていたが、ここまでの強敵になるとは完全な想定外。油断していた。しかし、分かっていたことだ。キャリアとの戦闘では必ずしも素の戦闘力が強い方が勝つわけではない。
当然、アトレスにも奥の手はあるがここで使うわけにはいかない。
近づけないのであれば、やはりトリガーを何とかして使うほかないだろう。
ここには他の組員も同居している。タバコを吸っていたヤツはいたか。
3人の組員のうち2人は吸っていた気がする。あいつらの部屋は……確か、2階の右奥。隙を作り、あそこまで逃げ切る。
「ぼーっとしてるね。大丈夫?」
ルルゥが水の大鎌を振りかざす。4mはある巨大な鎌を難なく振り回し、狭い部屋の壁に大きな傷跡を作る。ルルゥの肉体は強化されていないために、鎌の振るスピードは遅く、アトレスは楽にかわす。だが、かわしたはずの鎌から弾丸のような飛沫が発射された。
「うっ」
肩と脇腹、右足太ももの3点に着弾する。攻撃力はさほどないものの、肉体をキャリアで守られているアトレスにダメージを負わせるほどの威力。そう何発も食らっていられない。
アトレスは床に散らばっている、出来るだけ濡れていない木片を広い。構える。
いつの日かメーレンのアパートで見せた、銅貨を弾き飛ばした構えだ。
「ルルゥ!ちょっとだけ聞いてくれ!」
アトレスは大きな声でルルゥに呼びかける。
ピタリと攻撃をやめる、ルルゥ。
「どうしたの?時間稼ぎ?時間に追われているのはお互い様だと思ってたけど。」
話を聞く体勢にはなったが、いぶかしげに警戒するルルゥ。
「君の弟の話や、家族の話は本当だったの?」
「それを知ってどうするのよ。」
「君と僕のどちらかが死ぬとしても、それは聞いておきたい。」
「……本当よ。」
それを聞き、アトレスは怒りの感情をあらわにした。
「じゃあなぜ奴らに従っている?家族の仇に従ってまで、罪なき人の命を奪ってまでも、自分の命が惜しいのか?」
いつもの子供っぽい口調が変わるアトレス。
何も知らない子どもの上から目線が、大人が子どもを叱責するような声音が、ルルゥの神経を逆なでした。
「……うるさい!うるさい!うるさい!もういいでしょう!そこまであなたに教える義理は、ない!」
激高したルルゥは全身から大量の水を出す。
ルルゥは早く死にたいと思っていた。
家族もいない。ここで出来た家族ごっこの弟や妹たちは、貴族に売られるか、自分の手で始末するか、いずれにしてもいなくなる。
始めはただ怖かった。家族が目の前で死んでしまって、あんなふうに自分も殺されてしまうのかという恐怖があった。
無理やりここへ連れてこられた日の夜。家族を襲った男たちの一人が、私を犯そうとした。その時、私のキャリアの本当の力が分かった。唾液ひとつで人を簡単に殺せてしまう恐ろしい力だということを。
バラバラになった男の残骸。それを見て、レイブンは喜んだ。私を他の奴隷とは違う待遇でもてなした。そうして、わが身可愛さに何度も人を殺しているうちに、分からなくなった。ただ、早く楽になりたい。それだけしか考えることが出来なくなっていた。
放出した水を全て刃に変えて、射出の形に整える。けど、逃げ道を一つだけ残す。そこにアトレスが逃げ込んできたら、今度は全力で彼の体内にある水分を操作する。肉体強化のキャリアでも、私の全力で脳の水分を操作されたら決して耐えられない。
さよなら。アトレス。
「バイバイ。」
ルルゥは無数の水の刃を放った。
はずだった。
<<ぐわん>>
目の前が、暗い?ゆっくりスローモーションになっている。
これは水じゃない。暖かい。血?私の血だ。攻撃された!?
視界がぼやける、身体が動かない、
「ゲハッ!」
ルルゥが大量の血を吐血する。彼女は体内に多くの水をトリガーとしてストックするため、通常の人間よりも肉体の水分量が多い。小柄な体形からは想像できない量の血液を吐いた。
「クソガキがぁ……手間取らせやがって。」
アトレスの右腕がすっぽりと、ルルゥのみぞおちにめり込んでいる。
ルルゥは失いかけた意識の中で考える。
刹那の逡巡。確かにアトレスは何かを言っていた。
何を言っていた?思い出せ。
私が水の刃を形成している中、なぜか木片を構えたアトレス。
その手を天井に向けて彼は言った。
「この部屋の上に、何があるか覚えているか?」
彼はそのまま、私が水の刃を放つより少し前。構えた木片を天井に向けて撃った。
凄まじい轟音とともに1階の天井が破壊される。
バラバラと落ちてくる2階の家具のガレキ。
そのガレキの中から、小さな箱を、彼は手に取っていた。
ここまで思い出し、再度、ルルゥの意識がもうろうとする。
昔、お父さんが吸っていたタバコのにおいがした。あれ、嫌いだったな。
しかも吸った後ですぐに私に抱きついてくるんだもん。臭くって、汚くて、大嫌いだ。
お母さんもよく怒ってた。身体に悪いからやめてって、私も怒ったっけ。
でも、小さい頃は私もよく叱られてたな。バカな弟に呆れて、「あんたみたいなバカ、大嫌い」って言っちゃった時は、めちゃくちゃに怒られたっけ。普段、優しいお父さんだったけど、怒ったらすごく怖かった。
「聞け、クソガキ。お前はまだ殺さねぇ。自分の罪を償ってから、死ね。」
ようやく思い出した。私がやるべきこと。そうしたいと思っていたこと。最後まで守ってくれた家族の顔がだんだん思い出せなくなっていた私が、まずはじめにしなければならないこと。
きちんと謝りたい。すべてに。
ようやく、言える。
「ごめんなさい。」
消え入る声で確かにそう言って、ルルゥの意識は深く眠りについた。




