EP 5
「……金吾くん。これ、本当に大丈夫なの?」
ポポロ村の広場。
村長キャルルさんが、不安げな表情で俺の横に立っていた。
彼女の手には、最近彼女が読み耽っているバイブルの一つ――『沈黙の春』が握られている。
「この黒い泥が、土を殺し、鳥たちの声を奪ってしまうんじゃないかって……心配なの」
彼女の危惧は正しい。
原油をそのまま垂れ流せば、この村の豊かな自然は数年で死ぬだろう。
だが、俺のスキルは『分子構造編集』だ。
「安心してください、村長。俺が作るのは、毒じゃありません。……ポポロ村の『希望』です」
俺は、精製所のプロトタイプとして組み上げた、ルルカ特製の『常圧蒸留塔』のバルブを開いた。
地下から汲み上げられた原油が、魔法で熱せられた塔の中で成分ごとに分かれていく。
アスファルト、重油、軽油、そして――灯油。
「ルルカ、準備はいいか?」
「バッチリだよ、金吾! ドワーフの鋳造技術をなめないでよね!」
ルルカが差し出したのは、ガラスと真鍮で作られた、美しい曲線を持つランプ。
芯には、トライバードの羽を特殊加工した耐熱芯。
そこに、俺が精製した透明な『ケロシン』を注ぎ込む。
カチッ。
小さな火が灯った瞬間。
広場を埋め尽くしていた村人たちから、どよめきが上がった。
「な、なんだ……この白さは……!?」
魔導ランプのような、どこか冷たい魔力の光ではない。
太陽の欠片を閉じ込めたような、強烈で、それでいて温かい白光。
「皆さん、聞いてくれ!」
俺は、集まった500人の村人たちに向かって声を張り上げた。
「今まで、夜の明かりは金持ちだけのものだった。魔石を買えない俺たちは、暗闇の中で怯えるしかなかった。……だが、今日から違う!」
俺は、用意していた数百個の即席ランプを一斉に点灯させた。
「この『黒い黄金』から生まれた火は、魔石の十分の一の値段で、その三倍明るい! これを、ポポロ村の全世帯に無償で配る!」
「「「おおおおおおおおおお!!」」」
爆発するような歓声。
暗闇に包まれていたポポロ村が、一瞬にして昼間のような輝きを取り戻す。
村人たちがランプを手に取り、踊り、笑い、互いの顔をまぶしそうに見つめ合う。
その光景を見て、キャルルさんが目を細めた。
「……綺麗。……ねえ、金吾くん。この火は、鳥たちの声を奪わない?」
「ええ。燃焼後の排ガスも、俺のスキルで浄化済みです。……村長、俺がやりたいのは破壊じゃなくて、新しい『調和』なんですよ」
俺がそう言うと、キャルルさんは少し安心したように笑い、飴玉を俺の口に放り込んだ。
人参味。……甘い。
だが、この「光の洪水」に冷や水を浴びせる影があった。
「――ほう。魔力を使わず、これほどの照度を確保するとは」
いつの間にか背後に立っていたのは、人狼族の執事ヴァルグ。
彼は、手にした『君主論』を閉じ、冷徹な瞳で光り輝く村を見下ろしていた。
「主人。この光は、遠くルナミス帝国の駐留所からも見えるでしょう。……明日の朝には、商人の群れと、欲に駆られた軍勢が、人参の匂いを嗅ぎつけた獣のように押し寄せてきますよ」
「わかってるさ、ヴァルグ。……だからこそ、この『光』を売るんだ。敵に回すには惜しいと思わせるほど、圧倒的な便利さをな」
俺は、精製所のタンクに溜まった『軽油』を指差した。
「次は、こいつだ。……ルルカ、エンジンの大型化に取り掛かるぞ。ポポロ村に『不夜城』と『鋼鉄の馬』を作るんだ」
「合点承知の助だよ!」
ルルカが威勢よくスパナを掲げる。
だが、その時。
村の入り口から、一台の伝令馬車が猛スピードで駆け込んできた。
馬車の側面には、王家の紋章。
「レオンハート獣人王国より、ポポロ村村長キャルル殿へ! アーサー王が、貴殿と……その『黒い火』の主を、王宮へ招喚したいとの仰せである!」
広場の喧騒が、一瞬で凍りついた。
ついに、本物の『王』が動き出した。
俺の、石油王への道が、国家という巨大な壁に突き当たった瞬間だった。




