EP 4
「お、覚えとけよ……! こんな得体の知れない泥に頼るなど、帝国の法が許さんからな!」
トライクに跳ね飛ばされた魔導騎士が、泥まみれの顔で這いずりながら捨て台詞を吐く。
情けない。
これが世界を支配する帝国のエリートの姿か。
「金吾くん、大丈夫……? これ、本当に取り返しのつかないことになっちゃったんじゃ……」
キャルルさんが不安げに俺の袖を引く。
だが、俺は確信していた。
この「爆音」と「火」は、すでに広範囲に響き渡っている。
そして、その刺激に引き寄せられる『怪物』が必ず現れることを。
その時だった。
ザッ、と空気が凍りついた。
「――喧しいですね。静寂を愛する者の前で、見苦しい叫びを上げないでいただけますか」
低い、だが心臓の裏側を直接撫でるような残響を伴う声。
広場の入り口に、一人の男が立っていた。
完璧にプレスされた黒いタキシード。
白手袋。
整えられた銀髪の間から覗くのは、鋭い人狼族の耳。
だが、その瞳に宿る光は、獣の凶暴さよりも、底知れない『虚無』に近い。
「あ、あんたは……『静寂の死神』ヴァルグ!?」
魔導騎士が、ガチガチと歯を鳴らして後ずさる。
人狼族最強の闘気を持ちながら、仕える主を次々と「退屈だから」という理由で破滅させてきた、放浪の天才執事。
「私はただ、散歩をしていただけですよ。……ですが」
ヴァルグが、ゆっくりと鼻を動かした。
その視線が、ルルカのトライクから棚引く、うっすらとした青白い排気ガスへと向けられる。
「この匂い……。魔法の甘ったるい残り香でも、獣の血生臭さでもない。……鼻腔を突き刺すような、無機質で、暴力的で、かつ知的な香り」
彼は、俺の目の前まで一瞬で移動した。
目にも止まらぬ速さ。……闘気による超高速移動だ。
「おい、離れろ!」
ルルカがスパナを構えるが、ヴァルグは一瞥もくれない。
彼は、俺の手に残った『ガソリンの残り香』を、深く、深く吸い込んだ。
「……ッ、素晴らしい」
ヴァルグの口角が、初めて釣り上がった。
鋭い牙が覗く。
「この世界の理には存在しない香りだ。……お前、この泥で何をするつもりだ」
俺は逃げなかった。
営業職時代、気難しい大企業の社長と対峙した時のように、不敵に笑って返した。
「世界を黒く塗り替える。……魔法なんていう、コストの高い『奇跡』を過去の遺物にして、誰もが俺の作った『力』を買わなきゃ生きていけない時代を作るんだよ」
「……ククッ、ハハハハハ!!」
ヴァルグが声を上げて笑った。
その圧倒的な闘気が爆発し、周囲の木々が激しく揺れる。
腰を抜かしていた魔導騎士は、そのプレッシャーだけで失神した。
「面白い。……あまりに刺激的だ。神の作った予定調和の喜劇に飽きていたが、まさかこんな辺境で『異世界の猛毒』に出会うとは」
ヴァルグは、その場で流れるような動作で膝を突いた。
右手を胸に当て、深く頭を下げる。
「宮河金吾様。……あなたの野望、その最前列で拝聴させていただいてもよろしいか? このヴァルグ、あなたの描く『黒い未来』の香りに、魂を奪われました」
「……俺に仕えるってのか? 俺はただのハズレスキル持ちだぞ」
「スキルなどという言葉で片付けられるものではない。あなたは『概念』そのものを持ち込んだ。……退屈を殺してくれる主人を、私はずっと探していたのです」
俺は、精製したばかりのガソリンが入った瓶を、彼に差し出した。
「いいだろう。……だが、俺の仕事は忙しいぞ。まずは、その転がってる騎士様を片付けてくれ。それと――」
俺は村の広場の地下、今もなお噴き出し続ける黒い原油を指差した。
「明日から、ここに『精製所』を作る。……邪魔する奴は、一匹残らず排除してくれ」
「御意、我が主」
ヴァルグが立ち上がる。
その瞬間、彼の闘気が『殺気』へと変わった。
逃げ出そうとしていたゴルド商会の馬車が、その気配だけで凍りつく。
キャルルさんは、呆然としながら呟いた。
「……最強の村長に、天才技師、そして死神の執事。……この村、本当にどうなっちゃうの?」
俺はキャルルさんに、ポケットから取り出したルナミス帝国製の安っぽい飴玉を渡した。
「心配いりません。……明日から、飴玉一個の値段で、世界中がポポロ村に膝を突くようになりますから」
夜の闇の中。
石油の香りと、エンジンの余熱。
そして、最強の駒を手に入れた俺の笑い声だけが、静かに響いていた。




