第一章 マリア(1)
春の爽やかな風を帆に受けて、リフローネ達を乗せた商船は、青い大海原を滑るように進んでいった。右手には、色鮮やかなアッサドの街並みが、段々と遠ざかり小さくなってゆくのが見えている。
「わぁ、すごい!港がもうあんなに小さくなっちゃった!」
マルコはすっかりはしゃいで、左右の尖った耳をぴょこぴょこ動かしながら、甲板の上を行ったり来たりしている。
「少しは落ち着いたらどうだ。あまりはしゃぐと、甲板で転ぶぞ」
ナジャが、呆れた顔でたしなめるが、マルコは「はーい」と返事をしただけで、反対側の舷側へと小走りに行ってしまった。
そんなマルコの様子を見て、リフローネはくすりと微笑んだ。
無理もないだろう。マルコは、船に乗るのは初めてだと言っていた。彼には、風を受けて大きく膨らんだ船の帆も、舳先の向こうに広がる水平線も、吹き寄せる潮風の匂いも、船の横を並んで飛んでいくカモメの群れも、何もかもが新鮮に見えているに違いない。
それにリフローネも、自身の胸が高鳴るのを感じていた。まだ見ぬ異国の地・エルドラドに思いをはせ、期待に胸が膨らむのであった。
彼女は、海に向かったまま両手を自分の胸に置き、静かに目を閉じた。
「女神ノアよ、どうか私たちをお守りください」
リフローネが祈りを終えて目を開くと、いつの間にかマルコが隣に来ていて、まじまじと彼女の顔を見上げていた。
「あら、どうしたの、マルコ?私に何か用かしら」
「あ、ごめんなさい。その・・・リフローネ様は、今、女神様に祈っていたの?」
邪魔をしてしまったと思ったのか、マルコは少し申し訳なさそうな表情をした。
「大丈夫よ。ええ、そう。ハーラントでは、旅の無事を願うときや、心配なとき、悩んだとき、助けがほしいときなどに、女神様に祈るの」
「へえ、そうなんだ」
リフローネの言葉を聞いて、マルコは安心したようだった。
「あの、おいらハーラントの女神様のことを知りたいんだ。いつもリフローネ様が祈っているから。どんな神様か気になって」
無邪気なマルコの様子を見て、リフローネは再び微笑んだ。
「ええ、もちろんいいですよ。女神ノアは、その昔、まだゲーティア大陸の中央が険しい山しかなかった頃に、天空から降りて来て、山の間を開いて湖をお作りになったと言われているの。マルコも見た、あの大きな湖のことです。女神の湖は、ハーラントの大地に豊かな恵みを与え、たくさんの命が生まれた。その後、女神様は何処へかへ去っていったと言われています。でも、今でもきっとどこかで私たちのことを見守って下さっている。だから、ハーラントの人たちは皆女神様に感謝しながら暮らしているのですよ」
「わあ、何だか神秘的だね」
マルコは目を輝かせながら聞いていた。
「マルコには、祈る神様はいないのですか?」
「レニ族にも神様はいるよ。でも、あんまり祈ったりはしないな。その代わり、年に一度のお祭りで、たくさんのお供え物と一緒に感謝を捧げるんだ。すごく盛大に祝うんだよ。その日は村中が・・・」
そこまで話して、マルコは急に顔を曇らせた。リフローネは彼の様子に気づいて、はっとなった。
「ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまいましたね」
マルコの過去については、これまで聞いたことがなかった。しかし、彼が故郷の村から離れ、セルヤムの孤児たちの集団にいたのは、きっと何らかの事情があるに違いなかった。
「ううん、大丈夫。王女様にも、おいらのことを話しておきたいんだ」
「いいの?」
「うん」
再び笑顔を見せ、マルコは言った。
彼は、とても強い心を持っている。リフローネは思った。
セルヤムで初めて会った時にも、過酷な境遇にも関わらず気丈に振る舞っていた。今も、過去と向き合い、前を向こうとしている。
だから、リフローネも彼の話をしっかりと受け止めようと思った。
リフローネの真剣な眼差しを受けて、マルコは話し始めた。




