第五章 キフカスの悲劇(2)
帝国軍の将兵たちは衝撃を受けていた。
彼らの目の前に現れたのは、もはや寄せ集めと侮ることのできない、れっきとした軍であった。歩兵は全員革や金属で設えた胴当てに身を包み、長槍をこちらに向けて構えている。歩兵の後ろには弓を携えた弓兵の姿も見える。密集陣形の周囲は騎馬兵が走り、しきりに指示を与えていた。
将兵たちがたじろいでいる中で、総司令官のハルディアだけは、いつもの如くぞっとするほど美しく冷徹な無表情のまま敵陣を見据えていた。
こういう時の指揮官に対しては、帝国の将兵ですら声をかけることが憚られる。
だが、そんな空気にまったく臆することなく、飄々とした調子で話しかける者がいた。
「ほう、これは中々手強そうですな」
頭から白いローブをすっぽりと被った壮年の男が、後ろの方からゆったりとした歩調で歩み出てきた。
その男は、軍の中では些か不似合いな装いをしていた。いくさ場であるにも関わらず、防具の類いを一切身につけてはいなかった。防具にとどまらず、武器の類いでさえ、短剣の一振も携えてはいないのである。
男の身なりは、見るからに、呪術士のそれであった。
(アウラ教団の者か。何故、この軍に・・・?)
副指揮官のメティウスは、怪訝な表情で男の姿を見つめながら思った。
アウラ教団とは、古くから独特の信仰を奉じている、謎の多い集団である。
彼らが信奉している神とは、かつて世界を破滅に導こうとしたと言われる、災厄の悪魔・アウラのことである。伝承では、十二神の子孫をはじめとする多くの勇者達によって、この大陸のどこかへ封印されたとされている。彼らの目的は、そのアウラを復活することであるという。従って、当然のことながら、彼らは多くの人々から異端と見なされていた。
かなり古くからその存在は知られてはいたものの、歴史上のほとんどは目立たぬよう身を隠していた。しかし近年は、どういう手法を用いてか皇帝に取り入って、帝国の各所に姿を現すようになっていた。
ハルディアが横目で睨むと、男は微かに肩をすくめる動きを見せたが、あまり気にすることなく話し続けた。
「あれこそが、信仰の力というものか。信仰とは、かくも偉大なるかな。それ一つで、卑小な奴隷を勇敢な戦士へと変えてしまう。凡庸な人間の内に、神を宿す。それまで愚昧であった人間にすら、神秘の叡智を与え、不可能すら可能にしてしまう」
男は、少し楽しげに見える。
「奴らに、何か魔術的な力が宿っているとでも?」
多少険のある声で放たれたハルディアの問いに、ローブの男は僅かに肩を震わせ笑ったようだった。
「さあ、それは何とも・・・。あるいは、本当に神秘の力を得ているのかも知れませぬ。興味深いことに、彼奴らの指導者は、『天』より知恵を授かっておるそうな。あるいは、その者こそが我らの探し求める『器』ではないかと、少し期待をしておるのですよ」
「器・・・『災厄の悪魔』の、か?」
男はゆっくりとかぶりを振ってそれに答える。
「悪魔などではありませぬ。アウラ様は全てを超越した究極の神。愚かな人間のみを滅ぼし、正しい信仰の持ち主のみを生かすのです。アウラ様の復活は、人類の崇高な使命に他ならぬのです」
「我らにしてみれば、貴様らも信用の置けぬ邪教の徒にすぎん」
ハルディアは相変わらず無表情のまま、冷たく言い放つ。
「我々は、あのような不敬な輩とは違いますよ。我らは少なくとも、帝国の、皇帝陛下のお心に背くことなどはありませぬ。我らの信仰をお認めいただき、保護して下さった御恩は、決して忘れはしませぬ。我らはどこまでも忠義を尽くします」
ローブの男のしわがれた声を、ハルディアは黙ったまま聞き流している。
「相変わらず白々しい。そなたらが帝国の外でも怪しげな動きをしていることを知らぬと思っているのか?」
指揮官はにべもなく突き放す。しかし男は苦笑するような表情を浮かべただけで、まったく腹の内を見せる様子はない。
「ではここで、我らが忠誠を示しましょう。それこそが、大司祭様がこのナブロを戦場まで遣わした理由なのですから」
男はローブの下で、不気味にその眼を光らせた。




