第四章 贖罪(2)
集会がお開きとなった頃には、朝靄はすっかり晴れ、高く上った陽の光によって冷涼な空気も暖められていた。集まった人々はそれぞれの家へと戻るため、あるいはその日の仕事を始めるために、丘を下っていった。
マラーヤータはルルムに、少し休むと言って、木陰の石に腰を下ろし目を閉じた。ルルムは彼の邪魔にならないよう、少し離れた木陰に腰掛けた。
彼女はそこで、今日あったことを思い出し、手元の板切れに書き付けていった。そして改めて、今日の出来事を考えてみた。
マラーヤータやネロ達は、あの哀れな親子に確かに同情していたようだった。だが、単に哀れというだけで赦すのではなく、罪を償う機会を与えることとした。
罪人は理由なしに赦されるべきではない。罪は、消えることはない。相応の償いがなされぬ限りは。マラーヤータの言葉が、ルルムの胸に重くのしかかる。
だが、そもそも、「罪」とは、誰が定めるのか。その気持ちは、どこから生まれてくるのだろうか。多くの人の生き方を変えてしまうのはなぜなのか。
ルルムはいつの間にか書く手を止めて、考え込んでいた。そんな彼女に、声をかける者があった。
「ルルム」
ネロだった。
見上げると、彼は自分から声をかけたのに、少し困ったような顔をした。話したいことがあるのだが、何と切り出したらよいかわからない———そんな表情だった。
「すまない。少し話してもよいだろうか」
結局、そんなふうに率直に尋ねるところが彼らしさなのだった。
ルルムが小さくうなずいたのを見て、ネロは彼女の隣から半歩ほど離れた場所に腰を下ろした。
「元気そうで、安心した」
ネロの顔は、今日の空のように穏やかで、優しげだった。これ程和らいだ彼の表情を見たのは初めてかもしれない。
「今までずっと気にかかっていた。ここへ来ることになった、『あの時』のことを。あの時私は、とにかく無我夢中だった。君を、助けたかったのだと思う。だが実際は、君を否応なく巻き込んでしまったのではないか。君は、『あの時』の自分が恐ろしくて、従っていたのではないか、と」
ルルムは、何と答えたら良いか考えあぐね、黙っていた。
領主の家を逃げ出してきたあの日、彼を恐ろしく感じたことは本当だ。だが、彼が自分を守ろうとして行動を起こしたのだということも解っていた。
マラーヤータに尋ねられた時に、「天の民」についてゆくことを選んだのは、彼女自身の意思だった。それだけは確かなことだった。
ネロはさらに続けた。
「私は、生まれてからこの歳まで、自分の意思を持たず、ただ何かに従うだけだった。暴虐の主にも、無慈悲な運命にも、ただ耐えて従うだけだった。『あの時』まで、何かに逆らおうとすることさえ、考えようともしなかった。そして、いざ私を繋いでいたものたちから解き放たれたとき、この世界の大きさを知って―――途方に暮れたんだ。これから、私は何にすがったら良いのだろうかと」
言葉を切って横を向くと、ルルムと目が合った。彼女はじっとネロの言葉に聞き入っている。
微かに微笑んでネロは続けた。
「私は、この上なく幸運だった。マラーヤータに出会うことができたのだから。本当に、そう思う。あの方は私に、『あなたの主は、あなた自身である。あなたの命は、あなたのために使いなさい』と仰った。そこでやっと気が付いたんだ。何かに従うのも、拒むのも、決めるのは私自身なのだと」
風が、小鳥の鳴き声を運んできた。ネロは顔を上げ、空を見上げた。
「マラーヤータの傍で書記に励んでいる君を見て、感嘆したよ。君はちゃんと自分の道を見つけている。自らの意思で、大事な役目を全うしようとしている」
そこで彼は、視線を地面に落とした。
「私も、皆の役に立ちたい。マラーヤータの教えは、『天の意思』は、私の希望の全てとなった。この命は、皆のために使いたい。もちろん、私自身の望みで」
ルルムは、ずっとネロの横顔を見つめていた。見つめながら、胸のうちに何故だか懐かしさが込み上げてくるようだった。
彼の、穏やかで、優しげで、決意を含んだ横顔は、どこか父と似ているような気がした。
それは暖かいような、切ないような、不思議な感覚だった。




