第三章 ルルム(4)
好奇心旺盛な少女の初めての冒険は、結局は些細な事件であったのかもしれない。だが彼女にとって、それは少なからず衝撃であった。村に戻っても、彼女の脳裏には暫くあの日の出来事が残っていた。しかしそれも、月日を経るに従って徐々に薄れていった。ただ、ローブの男に貰った不思議な首飾りだけは、彼女のお気に入りの本棚の隅にそっと隠して、時折父の目を盗んでは眺めていた。
それからさらに一月か二月が過ぎた頃、そんなこともルルムはすっかり忘れてしまった。
しかしその頃から、彼女は毎夜、ひどい悪夢にうなされるようになった。
夢の中でルルムは、何かから必死に逃げていた。それが何かは分からない。何故だか分からないが、決して振り返ってはいけないような気がして、その姿を見てはいなかった。彼女には、それがひどく恐ろしいもののように思われた。夢の中で、彼女はずっと逃げ続けた。しかしそれはどこまでも彼女を追いかけ、暗闇の中へ引きずり込もうとしていた。ついには逃げきれずに追いつかれ、もうだめだと絶望するところで、決まって目を覚ますのであった。
その夢を見るようになってから、身体中が異常に気だるくなり、食事も満足に咽を通らなくなった。
日に日にやつれてゆく娘の姿を見て、父はすっかり狼狽した。何かの病だろうかと思い村の薬師にも見せたが、正体が分からず、薬師も困惑するばかりだった。
一体、何か得体の知れない疫病でも持ち込んだのではないか。
村人の間ではそんな噂が広まり、徐々にルルム達親子を敬遠するようになっていった。
そうしている間にも、ルルムは日に日に弱っていき、とうとう起き上がることもできなくなってしまった。それでも、悪夢は彼女を苦しめ続けた。
そんな日が何日も続き、ルルムの意識はいよいよ怪しくなり、呼びかけにも応じられなくなってしまった。ルルムの父は、一日中娘の傍で看病を続けた。部屋に射し込む夕日が照らすルルムの顔は、すっかり色を失い、今にも息絶えそうであった。どうすることもできない悔しさで、父の胸は塞がった。
日がすっかり暮れて部屋が暗くなっても、父は娘の傍を離れなかった。色を失った我が子の顔を、ずっと見つめていた。
その時父は、あることに気づいた。
部屋の中が、かすかに明るくなっていたのである。何処からか、燈色の光が漏れているようだ。不思議に思い部屋の中を注意深く見渡すと、やがて光は本棚の本の裏から漏れ出でていることを突き止めた。
父は、娘が大切にしているおとぎ話の本を棚から数冊抜き取り、その奥にしまわれていたものを取り出した。
それは、いつかルルムが不思議な男から貰った、あの首飾りだった。
今その石に刻まれた紋様は不気味に光輝き、部屋を照らし出していた。禍々しい邪気を放ち、脈動し、生気を吸い込み、死を招き入れるかのように、琥珀色の光が渦を巻き、明滅していた。
即座に父は、それが恐ろしい呪具であることを察し、力いっぱいに床に叩きつけた。
石は粉々に砕け散り、光は止んだ。
(誰がこのような物を・・・?)
疑問が頭に浮かんだが、今は娘が心配だった。
「ルルム!」
父は、力を込めて娘を呼んだ。
だが、遅かった。ルルムは、たった今息を引き取った後だった。父は激しく嘆き悲しんだ。
「ルルム・・・!ああ、ルルム!どうして・・・」
父の涙が、冷たくなった娘の頬を濡らした。
この時、父は還らぬ人となった娘のため、ある決心をした。
レニ族だけが使うことのできる秘術によって、娘を蘇らせること。
『命を繋ぐ』秘術。
かつて父が自身の口から、娘に教えたことだった。
これは、自分の命を他者へ譲り渡す術である。術者は、死者を蘇らせる代わりに、自らの命を失うのだ。
だが、父に迷いはなかった。
父は、自身の右手を娘の亡骸の胸におくと、そっと目を閉じた。そして、強く、強く念じたのだった。




