第三章 ルルム(3)
ある時、とうとうルルムは父に、自分も人間の町へ連れていってほしいとせがむようになった。父は、人間が自分達レニ族をどのように思っているかを知っていたので、初めは優しくたしなめるように断ろうとした。だが、娘が何度も強く懇願したので、とうとう根負けをして、彼女を連れて商いへ出掛けることになった。
こうして、ルルムはついに村の外の世界を目にする機会を得たのだった。
いよいよその日が来て、彼女は父に連れだって意気揚々と家を後にした。山の麓へ続く長い山道を歩いている間も、ずっと彼女の胸は期待に高鳴っていた。気分はまるで冒険の本の主人公にでもなったかのようで、嬉しさで叫び出したい気持ちを抑えながら歩いた。
やがて父と娘の二人は、山の麓の町へたどり着いた。
初めて見る人間の町の景色に、ルルムは目を輝かせた。今まで本の挿絵でしか見たことがなかった人間たちが、自分の目の前を何人も往来している。町の建物も、レンガを使った立派な作りのものが多く、華やかで賑やかな場所だった。
その町は、さほど大きな町ではなかったかもしれない。ただ、街道の宿場町のような所だったので、割と人の往来は多かった。そんな町でも、故郷の小さな村の中の世界しか知らなかったルルムの目には、何もかもが刺激的に映ったのだった。
町の広場には、行商人によって開かれている露店商がいくつかあった。父は娘に、決して広場から離れないように言いつけると、他の商人の所に話をしに行ってしまった。
ルルムは、広場にある露店の間を、物珍しそうに見て回った。店主は、レニ族の少女の姿をみると迷惑そうな視線を向けたが、彼女はそれに気づくこともなく、あちこちを巡って楽しんでいた。
ルルムたちのいる広場は段丘のような場所の上にあり、一方の端は開けて眼下に景色を眺められるようになっている。広場を一通り見て回ったところで、ルルムは広場の端の方に立って、改めて町の様子を眺めてみた。
そこからは、段差の下に広がる町の様子が一望できた。
少し離れた場所には、簡素な木造の家屋や馬を休めるための駅舎などが建っている。その駅舎から、一頭の馬が顔を出して、飼い葉のようなものを食んでいた。もしかしたら、隣の建物は宿屋になっていて、旅人が自分の馬を預けて休んでいるのかもしれない。
どんな人が泊っているのだろうか。宝探しをして大陸中を旅している冒険家?どこかの国の騎士?ひょっとして、お忍びで諸国を巡っている王子様だったりして・・・。
ルルムの脳裏には、自然とそんな想像がふくらんでいった。
駅舎のすぐ裏手には小さな水路が流れていた。町の人達の生活水路のようだ。流れを目で追いかけてゆくと、彼女が立っている広場のすぐ下の方にまで続いてきているようだった。
水路の脇からは幅の狭い石段が伸びており、広場の端へ繋がっているのが見えた。
ルルムはふと、その石段を降りて水路の近くまで行ってみたい衝動に駆られた。父の言葉を思い出したが、石段を往復するだけならいいだろうと思い、小走りにそっちの方へ行ってみた。
狭い石段を、足元に注意を払いながら慎重に降りていき、ようやく水路の脇へ降り立つと、さらさらと水の流れる音が聴こえてきた。水路は浅く、底の様子がよく見えた。かがんで川底を覗き込んでみると、丸い小石の中に、割れたカップが柄を上に向けて沈んでいるのも見えた。誰かが捨てていったものだろうか。
じっと眺めていると、上流からやや大きめの葉っぱが一枚流れてきて、彼女の目の前を通りすぎた。葉っぱは透明な水の上をすべるように流れ、そのまま下流の橋の影へ吸い込まれ、見えなくなった。
しばらく水の流れを眺めた後、広場に戻ろうとルルムが立ち上がって振り向いたとき、彼女はにわかに見えない縄で縛り付けられたように、その場に凍りついた。
さっきまで無人であった水路の岸辺に、こちらをじっと睨み付けている二人の人間がいたのである。
二人とも、少年を少し過ぎたくらいの年頃の男たちだった。ややだらしのない服装をしており、片割れは浅い帽子を頭に乗せている。彼らはルルムより背が高く、険しい眼をして彼女を見下ろしていた。彼らはルルムが気がついたのを見て取ると、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
頭が、サーッと冷たくなるような感覚がした。胸の鼓動が早まり、手にじっとりと嫌な汗が滲んでくる。広場から離れてはいけない、と言った父の言葉を思い出し、今更ながら彼女は激しく後悔した。
「・・・お前、ここで何をしているんだ」
男の一人が、強い口調でルルムへ詰問した。ルルムは視線を合わせることができず、自分の足元を見つめていた。何か答えなくてはと気が焦るが、咽が張り付いてしまったように声が出てこなかった。その様子を見て、もう一人の方も怒気のこもった声で彼女へ言ってきた。
「お前らのような奴らが、勝手にこの辺を歩き回っていいと思っているのか。忌々しい悪魔の子どもめ。消え失せろ!」
ルルムにはその言葉の意味は分からなかったが、生まれて初めて浴びせられた敵意のこもった侮蔑の言葉は、彼女に言い様のない恐怖を植え付けるのに十分だった。
俯いたまま固まっているルルムの様子に、帽子の男は余計に苛立ったようで、彼女の肩を乱暴に掴んで、さらに何かを言おうとした。しかし、すぐに背後で別の男の声がして、彼は言葉を続けることができなかった。
「乱暴なことはおやめなさい」
その声を聞き、ルルムに掴みかかった男たちは動きを止め、後ろを振り返った。
彼らの背後には、白いローブを纏った人物が立っていた。背は彼らよりも高く、体格もしっかりしている。先程の低く落ち着いた声から、壮年の男と思われた。
「その手を離しなさい」
再びローブの男が言うと、迫力に圧倒されたように二人の男はルルムを残し、その場から立ち去っていった。
ローブを纏った男は、ゆっくりとルルムへ近づき、優しく声をかけた。
「安心しなさい。私は、君に何もしはしない。・・・君は、レニ族の商人の子どもかな?」
皺の多い顔に笑みを浮かべ、彼は彼女にそう問いかけた。ルルムは少し安堵し、彼の問いに頷いた。
「この町には、レニ族を快く思わない者も多い。気をつけるんだよ」
彼の言葉を聞きながら、ルルムの目は男の首にかけられている首飾りに吸い寄せられていた。
琥珀色の石の中央に、不思議な紋様が刻まれている。
ルルムの視線に気付き、男はそれを首から取って、彼女の掌にそっと握らせて言った。
「これは君にあげよう。君を守るお守りになる」
ルルムは、黙って頷いた。男は続けて言った。
「今日あったことは、誰にも内緒にしておくほうがいい。お父さんにもだ。きっと、とても心配してしまうだろうから」
ルルムは再び頷いた。そして、男と別れ石段を上り、広場へと戻っていった。
父は、急に姿が見えなくなった娘をとても心配していた。彼女が戻ると、どこへ行っていたのだ、何かあったのか、としきりに尋ねてきた。
ルルムは、水路であったことは何も言わなかった。ただ、言いつけを破って広場を離れたことは謝った。
娘が戻ってきたことに安堵し、父はそれ以上尋ねることは止め、彼女を連れて村へ帰ることにした。
村へ帰る間、ルルムは父の後について歩きながら、ポケットの中で首飾りを握りしめていた。




