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ノアの終焉  作者: 齋藤昴
第2部
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第二章 チュニスの屈辱(3)

 チュニス陥落の知らせは、帝都に大きな驚きをもたらした。

 皇帝カルタスはこれに対応するため、ハーラント遠征中のハルディアを直ちに帝都へ呼び戻さなくてはならなくなった。

 大陸歴973年の年明けは、まだ少なからず帝都の市民の間に動揺が残る中で訪れることとなったが、少なくとも表面上は穏やかに新年を迎えていた。

 柔らかな陽射しが降り注ぎ、1月としては暖かなある日に、皇帝の宮殿に二人の男たちが訪ねてきた。

 しかつめらしい顔をした壮年の体格のいい男は、元老院議長を勤めるギュスタヴである。もう一人の痩せ型で落ちくぼんだ眼窩から鋭い眼光を覗かせている男は、書記長のサルファだった。

 二人は、宮殿の中庭に面した一室へ通された。部屋の中には寝椅子が三脚置かれ、背の低い卓を囲むように並べられていた。その一つに、皇帝は体を預け寛いでいるところだった。

「ギュスタヴ、君たちが尋ねてくるとは珍しいな。旧交を温めに来たのなら嬉しいのだが」

 南国風の植栽で彩られた中庭の方を見ながら、皇帝は来訪者に声をかけた。

「それもやぶさかではないがな。今日は大事な話をしに来た」

 皇帝はギュスタヴの返答を聞き、二人に対し仕草で空いている寝椅子を促した。ギュスタヴとサルファは、それぞれに腰掛け、皇帝に向き直った。

 カルタスは、相変わらず涼しい顔で中庭を見ている。

 ギュスタヴは探るような眼で皇帝の方を見ていたが、意を決して切り出した。

「察しがついているだろうが、今の元老院についての話だ。先のハーラント西征、それにチュニスの一件で、議員の一部からは皇帝の判断に疑問の声が上がり始めている」

 ギュスタヴはそこで言葉を切り、皇帝の顔をじっと見つめた。カルタスは、うっすらと笑みを浮かべたまま、中庭の方に視線を向けているだけだ。

 返答がないところを見て、ギュスタヴはさらに続けた。

「皇帝カルタス、我々は君の味方だ。君と私は、古くからの親友だろう?この国難と言える今こそ、君の力になりたいのだ。今日は、ある提案を用意してきた。元老院をまとめ上げ、国内を安定させるための方策だ」

 少し間を置いて、カルタスは答えた。

「続けてくれ」

 侍女の一人がやってきて、三人の前に葡萄酒の杯を並べていった。カルタスは相変わらず中庭の方を向いたまま、その一つを手に取った。

 ギュスタヴは一度深く息を吸い込んで、言葉を継いだ。

「ここにいるサルファと三人で、皇帝の役割を分担する。三頭政治を始めるのだ。我々も加わり、共に政を進めてゆく体制を作ることで、君に異を唱える議員も納得させることができる。政治の動揺を抑え、国を安定させるにはこれしかないと思うが、どうだろうか」

 そこで再び、間が訪れた。中庭で鳥がさえずる声が聞こえてくる。

「・・・そうか」

 カルタスは表情を変えぬまま、ゆっくりと右手の杯を目の前に掲げた。彼の落ち着きようを見るに、ギュスタヴの話とやらには、最初からおおよそ察しがついていたようである。窓から差し込む光が葡萄酒に反射し、天井に当たってゆらゆらと動いた。

「いいだろう。神々の子らに栄光あれ、だ」

 そう言うと、皇帝は杯の中身を一息に飲み干した。

 それを見て、ギュスタヴの表情も安堵で緩んだ。そして彼も卓の杯を手に取り、それをあおった。

 直後、ギュスタヴは突然眼を見開き、恐ろしい形相で苦しみ始めた。

 サルファが驚いて立ち上がる。その瞬間、彼の足が卓にぶつかり、残った杯が倒れ、こぼれた葡萄酒が床に広がった。

「カルタス、貴様・・・、毒を・・・!」

 咽に手を当てながら真っ赤な顔をして、ギュスタヴが皇帝を睨み付けた。皇帝は静かに寝椅子から立ち上がり、彼を見下ろすように立った。

「お前たちが小細工をしていたことは知っている。元老院に不和をもたらし、それを口実に皇帝の権力を簒奪しようと企んでいることも」

 いつの間にか、部屋の入り口にはハルディアが立って、冷徹な眼でこちらを見つめていた。サルファは青白い顔をして、奥歯をがちがちと鳴らして震え始めた。

 皇帝は視線をサルファへ移し、背筋の凍るような低い声で言った。

「二度と裏切らぬと忠誠を誓うなら、床を舐めずとも赦してやる」

 サルファはもう、恐怖で頭が真っ白となっていた。「切れ者」と称された彼の眼光は、今やすっかり影を潜めてしまった。もう彼には、皇帝の足元にひれ伏し、命乞いをするより他に道はなかった。

 この年、帝都ではこの事件をきっかけに皇帝による粛清の嵐が吹き荒れた。その手法は苛烈を極め、わずか数週間足らずのうちに元老院議員の中で皇帝に反対するものは一人もいなくなったのである。

 この時皇帝カルタスは、真に神に等しい存在となったのであった。

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