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宿題ですよ、朔夜部長! ~怪物上司と腹ペコ秘書の社内事件記録~  作者: 上山流季
第一話「認めてください、朔夜部長!」
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8/11

1-7・どうでもいい愚痴が八割(カット済み)

 午後二時半。

「随分と楽しそうですね」

 そう言って、伯耆原(ほうきばら)女史は向かいのソファに無断で座った。

 先程のやりとりを聞かれてしまったらしい。

「いや、あの」

 咄嗟に言い訳しようと両手を浮かせた私を、朔夜(さくや)氏が片手で制する。

「鴻(おおとり)さんは書記をお願い。聞き取りは俺がやる」

 一瞬の逡巡。

「……承知しました」

 指示に従い、パソコンの前に座り直す。

 この部屋では朔夜氏こそルール。いくら気安い軽口を叩いても怒らない上司だが、業務に関しては別だ。仕事に手を抜く人間を、彼は決して信用しないだろう。

「約束どおり、来てもらって嬉しいです、伯耆原さん。何か飲みますか?」

「……では、コーヒーを。ブラックで構いません」

「わかりました」

 朔夜氏はそのまま席を立ち、紙コップに伯耆原女史のコーヒーを淹れ始める。

 朔夜氏が背中を向けた途端、伯耆原女史の表情が明らかに軟化した。赤い両頬に手を沿え、熱っぽく朔夜氏を見つめている。が、私の視線に気付くと、再び険しく睨みつけた。慌ててパソコンの影に身を竦(すく)める。

 コーヒーを持った朔夜氏が近付くと、伯耆原女史は「ありがとうございます」と手を伸ばした。が、朔夜氏は直接渡さずテーブルに置く。

「さて、伯耆原さん。率直に、薄野(すすきの)さんの評価を教えてください」

 朔夜氏がソファに腰掛ける。伯耆原女史は「ハァ……」と大袈裟にため息をついた。

「薄野さんには、正直、ほとほと困っています」

 そうして女史は、薄野さんがいかに社会人失格か、どんなミスをしたか、それをいかに苦々しく思っているかを語り出した。

 文字に起こしながら、あまりの下らなさ、どうでもよさに、だんだんとイライラしてくる。

 一番悔しかったのは、その語り口に『悪いのは薄野さん』『自分はむしろ被害者である』という意識が透けて見えることだった。

 一通り語り終えると、伯耆原女史は「まったく……わかってくださいますか?」とコーヒーを啜った。

「ははっ」

 不意に朔夜氏が笑った。

「よくわかりました。大変そうですね」

「本当に! 本当に……大変なんです、チーム・コメットは」

 伯耆原女史がチームの今後について憂うのをタイプしながら、朔夜氏を横目で見る。

 今の不意の笑い声……嘲笑、か?

「ときに、伯耆原さん」

 朔夜氏が話題の舵を切る。

「薄野さんに嫌がらせしてます?」

「は?」

「中傷文句を書いた紙を、彼女の机の上に置いたか聞いています」

「そんなこと……誰が? ワタシが?」

 伯耆原女史は笑い出した。

「そんなことしません! どうして、わざわざ! 薄野さんが、そう言ったんですか?」

「はい」

「だとしたら、虚言です! ワタシを困らせようとしているんです!」

「つまり、あなたは犯人ではない?」

「当然! 大体、中傷だなんて! ワタシはただ、薄野さんに直してほしい部分を指摘してるだけです! 中傷なんかじゃありません!」

 開き直りか? やりとりを打ち込みながら考える。

 それとも、今回の事件について、伯耆原女史はなにも知らない……?

「ありがとうございます。次の話題にいきましょう」

 詳しい追及はせず、朔夜氏は話題を切り替える。

「ほかのメンバーについても教えてください。まず、長尾(ながお)さんについて。どう思います?」

 伯耆原女史はため息をついた。

「長尾くんのことは、薄野さんに一任しています。その上で意見させてもらいますと、てんで駄目です」

「どうしてですか?」

「ずーっとスマホで遊んでるんですよ、あの人。薄野さんもちゃんと注意できてないみたいで。二人ともチーム・コメットのお荷物です」

「あなたからは注意しないんですか?」

「してます! でも、駄目。長尾くんについては、もう諦めてます」

 見限られている……。

 気持ちはわかる。が、長尾さんに関しては、先程希望が芽生えたところだ。今後の働きに期待したい。

「では、米川(よねかわ)さんについては?」

「彼はよくやってくれています! チーム・コメットの良心です!」

 これまでと一転、急に機嫌が良くなる伯耆原女史。

「仕事もできるし、気も利くし! なにより明るく、元気がいい! 米川くんがいるだけで場が華やぎます!」

「チームメンバーとも仲がいい?」

「そうですね、でも、一番打ち解けているのはワタシだと思います!」

「長尾さんとは?」

「まあ……そうですね。長尾くんにとって一番話せるチームメンバーは、米川くんでしょう。同性ですし」

 朔夜氏は少しだけ目を細めた。

「薄野さんとは?」

 伯耆原女史は、ため息とともに大きく肩を落とした。

「そうですね、まあ、米川くんからよく声をかけています。私の前では厳しい態度を取っているようですけれど、薄野さん、裏で色目でも使っているんじゃないかしら。そうとしか考えられない」

「どうしてそう思うんですか?」

「仕事帰り、駅まで送ろうかと、米川さんが提案している場面を見てしまったんです。ワタシには、そんなこと言ってくれたこともないのに」

「薄野さんは、なんて?」

「断ってましたよ。まあ、ワタシの存在に気付いていたからでしょうけど。当然です! 職場の仲間と、プライベートでも仲良くするなんて。不純です」

 朔夜氏は「よくわかりました」と頷いた。

「今日はありがとうございました。もう戻ってもらって構いません」

 見送るためだろう、朔夜氏が立ち上がる。

「ええ? もうよろしいんですか?」

 名残惜しいのか、立ち上がる気配のない伯耆原女史。

「まだ、もっと話せます。それとも、ワタシから質問しても? 朔夜部長って、社内でもかなりミステリアスというか……」

「いえ、もう大丈夫です。戻ってもらって構いません」

 朔夜氏は出入り口まで歩いていって、扉を開けた。

 女史はあからさまにムッとした様子で

「そうですか。では、失礼します」

 と刺々しく言い、ソファから立った。

 部屋を出ていくすれ違いざま、朔夜氏が声をかける。

「コーヒー、どうでした?」

「ええ、美味しかったです」

「ちなみに、毒が入っているとは思いませんでしたか?」

「……ハ?」

 部屋を出てすぐ振り向いた女史の姿は、即座に遮られた。朔夜氏が扉を閉めたのだ。そして鍵をかける。

「ちょっ……ちょっと!? 朔夜部長!? どういうことです!?」

 扉のノブがガチャガチャ回され、強いノック音が響く。

 が、朔夜氏はすでにデスクへ舞い戻り、受話器を取って内線をかけていた。

「もしもし、警備室? 財務管理部の黒繰(くろくる)朔夜(さくや)です。部長室前で女性社員が暴れているようなんですが、ヘルプ頼めますか? ええ、いつもすみません」

 マジかコイツ。

 手短で慣れたやりとりのあと、受話器を置いた朔夜氏は私に微笑みかけた。

「確認だけど、鴻さん。警備の人に毒がどうのと訊かれたら、なんて答える?」

 無抵抗を示すため、両手を挙げて答える。

「私のコーヒーに入っていたことはありません、マイマスター」

「よろしい」

 やがて、警備の人間が来たのだろう。部長室前にはもとの静けさが戻った。

「手慣れていますね」

「実は、社内には俺の非公式ファンクラブがあるんだ。知ってた?」

「存じ上げています」

 私は得意げに笑うと、お菓子をひとつ手に取った。

「絶縁状を叩きつけてやりましたよ。写真も返還済みです。私が件のファンクラブと通じることは決してありません。ご安心を」

 朔夜氏はお菓子を頬張る私をじっと見つめた。

 やがて右手で口元を押さえ、俯き、肩を震わせ始める。

 おっと、流石に感動で泣いちゃったか~?

「どうです、五人目の秘書は? 頼もしいでしょう?」

 などと勝ち誇っていると、朔夜氏は「く、くく、ふふふ――」と声を漏らし始める。

 ……もしかして、笑ってる?

「鴻さん……買ってたんだ、俺の写真……」

 おおーーーっと!

 急激に顔が熱い! なんてことだ! 私は、弩級の失言を!

 朔夜氏は笑みを抑えきれないまま「鴻さん、実は、俺の顔好き?」と言って、手をどけて顔を見せてくる。初めて見る、心からの笑顔。楽しそうで、嬉しそうな、少年の如き無邪気な笑み。ただし、からかい百パーセント。

「う、うるせー! 朔夜氏の顔を嫌いな女は少数派じゃい!」

 この反論で耐え切れなくなったらしく、その場にうずくまってしまう。

 大きくはないが、抑えた、確かな笑い声が聞こえてくる。たまに咳き込んでもいる。

 我慢する必要はない。もう十分馬鹿にされているのだから、私の羞恥心など気にせず、大声で笑えばいいのだ。コンチクショウ。

 笑い声を我慢する朔夜氏を背景に、私は目の前のお菓子をヤケ食いした。テーブルはあっという間に更地と化した。

 結局、一つも食べなかったな、朔夜氏。

 なんて思っていると、復帰したらしい氏がこちらに戻って来る。

「あー、久しぶりにこんなに笑った」

 隣に座りながら、右手で目元を拭う。

「《《当たり》》だ、鴻さん。五人目にして、俺はようやく君という《《当たり》》を引いた」

「ふふん……恐縮です」

 私は再度、勝ち誇る。

 ついに朔夜氏に認められた、初めての秘書となったのだ。

 見てるか非公式ファンクラブ。与えられた仕事を真面目にこなしたほうが、朔夜氏からの好感度は高いぞ。

「可能な限りずっと秘書をしてほしい。引き抜きの話が来たら教えて。より好条件で君を引き留める」

 しかも、滅茶苦茶気に入られてる!?

 誇らしさよりも気恥ずかしさが勝ってしまい、急に落ち着きを失くしてしまう。

 へへ……と笑って、鼻の下をこする。おいおい朔夜氏……おいおい……へへへ……。

「ねえ、鴻さん」

 朔夜氏が、私に向け身を乗り出した。驚いて身を引く。朔夜氏の右腕がソファの背もたれを掴み、なおも近付く。ソファのひじ掛けに手をつく。朔夜氏が、私の瞳を覗き込む。距離が近い。逃げ切れないほどに。

 なにかがおかしい。

「君にお願いがある」

 心臓が警鐘を鳴らす。トキメキではない。これは――

 朔夜氏が微笑む。

「絶対に俺を裏切らないで。もし裏切れば君を地獄の果てまで追い詰めて破滅させる。わかった?」

 美しい、絶対零度の微笑み。

 声が出ない。鼓動がうるさい。トキメキでは断じてない。

 これは、恐怖。

 もし裏切ったら、この男は必ず私を破滅させる。手段は選ばない。

 もう、逃げられない。

 なんとか、首を縦に振る。首の骨が錆びついてしまったみたいに、ぎこちなく頷く。

「ありがとう。末永くよろしくね」

 氷で作られたような冷たい感謝だった。

 話が終わったのか、朔夜氏は身を引いて立ち上がった。そのまま背を向け、デスクへと向かう。

 後ろに倒れ過ぎた身体を起こす。ソファに手をつき、胸を押さえて鼓動を落ち着けようとする。浅い呼吸を、無理矢理鎮める。

 しまった。これは、相当まずい。私は間違えたのだ。

 この男に認められてはいけなかった。気に入られては。もう。

 落ち着け! 駄目だ、呑まれるな!

 私の仕事は彼のご機嫌取りではない。もちろん、仕事はちゃんとする。堅実で誠実な仕事だ。しかし、過度に媚びへつらう必要はない。最初からそう思ってここに来たではないか! 脅されたとして、恐れたからとて、自分の信念を曲げたくない。

 私は、仕事をするためここにいる。

「もしもし、高角部長。準備はできたでしょうか?」

 朔夜氏の話し声が遠く聞こえた。それだけで、反射的に肩が跳ねた。

「では、そろそろ呼び出したいのですが……ええ、すぐ済みます。よろしくお願いします」

 受話器が置かれる。朔夜氏が戻ってくる。

「どうしたの?」

 ソファに崩れる私へ、不思議そうに尋ねてくる。

 深呼吸。吸って、吐いて。

 顔を上げる。

「……あなたのご機嫌取りは、私の仕事ではありません」

 宣言する。

 朔夜氏は微笑む。

「それでいいよ。ただ、俺を裏切るような真似はしないで。常に俺を助けて。失望させないで。この仕事を辞めないで」

「お言葉ですが」

 無理矢理にでも言葉をねじ込む。

「恐怖による支配は、コスパが悪いです」

 きょとん、と朔夜氏。

「圧力には屈しません。恐怖政治を続けるおつもりなら、私は、職を辞します」

 恐ろしいまでの、静寂。

 朔夜氏がゆっくりと瞬きする。二度、三度。

「怖かった? 俺が?」

 確認するような声色だった。

 私は頷く。

「そう……」

 彼は寂しそうに目を半分伏せた。

「ごめんね。今度からは気を付ける」

 だから辞めないで。そう言っている気がした。

 息を長く吐き、自力で身体を起こす。

「反省してるなら、もういいです」

「君には本当に期待してるんだ」

 朔夜氏は静かなトーンで言った。

「でも、その期待が重かったんだよね、きっと」

 一往復分の深呼吸をしてから、きっぱりと告げた。

「あなたのさっきの言動は期待じゃない。圧力です」

 朔夜氏は黙った。

 口元に手をやり、なにか考える。

 やがて言った。

「その二つは、どう違うの?」

 目の前が《《ぐわん》》と揺れた。

 思わず、また胸を掴む。息が詰まって肺が痛んだ。

 同じなのだ。期待と圧力は。朔夜氏にとって。

 悔しい。

 直感的にそう感じた。が、すぐに違うと気付く。

 途端、私を見下ろす朔夜氏の心配そうな表情が目に映った。

 私は――悲しいのか。

 朔夜氏の優しさ、素直さ、真面目さは恐らく生来のものだろう。

 だからこそ、後付けの怪物性がこんなに苦しい。

 そのとき、誰かが扉をノックした。

「おっと、来たみたいだ」

 朔夜氏が扉に歩み寄り、鍵を開ける。

「失礼します」

 入ってきたのは意外な人物――すでに面談は終わったと思い込んでいた――薄野さんだった。

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