1-5・犯人はお局様?
経営企画部内はいくつかのチームに分かれている。薄野さんの所属するのは通称チーム・コメット。チームリーダーの米川さん、お局の伯耆原さん、中途採用の長尾さん、そして薄野さんの四人体制だそうだ。
「年度ごとにチーム編成が変わるんですが、今年はこの四人でプロジェクトにあたっています。今年度になるまで、嫌がらせなんかなかったんです。だから、犯人は同じチームの中にいる……」
朔夜氏がほっけを食べながら尋ねる。
「具体的に、どんな嫌がらせを受けているか聞いてもいい?」
「朝、出勤するとデスクに悪口の書かれた紙が置いてあったり……家に帰って鞄を見ると、中に同じような紙が入っていたり……。犯人は同じチームの人間なんだ。そう思うと……これまで頑張ってきた部署なのに、嫌になってきちゃって」
薄野さんが落ち着きなく前髪をかき上げる。
「中傷の内容自体は、大したことないんです。でも、またかって思ったり、なんで私ばっかりって思ったりするたび、なんか、疲れちゃって」
「このことを、俺たち以外の誰かに相談してみた?」
「チームリーダーの米川さんに。親身になって相談に乗ってはくれたんですけど……」
言葉を濁した薄野さんに「けど?」と朔夜氏が先を促す。
「……仕事終わり、駅まで送ろうかって、提案されて……いや、私が困っているのは帰り道じゃなくて、出勤時、あるいは退勤後に見つける中傷文書であって……ちょっと、ズレてるんですよね。ただ米川さんが私と一緒に帰りたいだけって気がして……。提案は断りました。相談してみて、ちょっと後悔してます」
朔夜氏が「なるほど」と頷く。
「ほかのチームメンバーは?」
薄野さんは大きくため息をついた。
「長尾さんは論外です。今年入ったばかりの中途採用。いたずらなんかしてる暇あったら、ちゃんと仕事してほしいです。……これはただの愚痴ですけど、彼、いつもスマホをいじってて……何度も注意しても、全然聞いてくれない。仕事ができる・できない以前の状態です」
「そう。じゃあ、もう一人は? 伯耆原さんだっけ?」
伯耆原さんの名前が出た途端、薄野さんは両手で顔を覆って俯いてしまった。
「……です」
「うん?」
「伯耆原さんが、犯人なんです」
直後、堰を切ったように薄野さんは抑えた声色で語り出した。
「そもそもチーム・コメット……彗星って意味なんですけど、名付け元は米川さんと伯耆原さんで……二人合わせると彗星だねって、年度初めにはもう決まってて。米川さんは、伯耆原さんのお気に入りなんです。だから、同じチームに所属する私が邪魔なんですよ」
チーム・コメットは米川&長尾の男性二人に、薄野&伯耆原の女性二人構成なのだそうだ。
「伯耆原さんによく言われます、仕事が遅い、早く報告して、書類に不備がある、チャラチャラした子どもみたいなボールペンを持ってこないで、職場なんだから無地のクリアファイルしかありえない、髪色が明るすぎる……」
呪詛のように紡がれる小言に、気分がどんよりしてくる。嫌がらせうんぬんより、お局様との相性のほうが問題という気がしてくる。
「しかも、その場面を米川さんに見られてたら最悪です。米川さん、必ず私を庇うように味方するんです! あろうことか、伯耆原さんに注意するんですよ!? 私がどんなに肩身が狭いか! そんなことしたら余計に伯耆原さんの機嫌を損ねるって、わからないんですかね!?」
ちらと朔夜氏を盗み見ると、氏は無感動にほうれん草をつまんでいた。拒絶は示さないが、共感も示さない。言わば絶対零度の第三者。
「とにかく、本当に、困ってて。……辞職まで考えてます、私。でも、朔夜部長は部外者だから……相談してみたら、第三者の中立な意見が聞けるんじゃないかって……思って」
朔夜氏は「なるほど、わかった」と言って味噌汁を飲んだ。
「君の言い分はわかった。けど、判断はまだ出せない。関係者全員から話を聞きたい」
「お、大事にはしないでください!」
焦った様子の薄野さんへ、朔夜氏はぴしゃりと言った。
「君の一方的な言い分だけを採用しての判断はできない。少なくとも、チームに所属する長尾さん、伯耆原さん、チームリーダーの米川さん、そして高角経営企画部長から話が聞きたい」
「部長にまで!?」
両手で口を覆う薄野さん。その顔は真っ青だ。
しかし朔夜氏はあくまでマイペースに問う。
「薄野さんは入社して何年目?」
「……三年目です」
半ば放心状態の薄野さんに、朔夜氏は頷いた。
「じゃあ、同期入社のよしみだ。悪いようにはしないよ」
それから私を見た。
「見て、薄野さん。鴻さんはもう食べ終わってる」
「ぎゃっ」
早食いを咎められた気がして、顔が一気に熱くなる。
言い訳させてほしい。私は今日、サブの『ひじき煮』を『冷ややっこ』にぶっかけて食べていた。実質、小鉢一つ分。否、ドリンクにも等しい。冷たいお豆腐に味の染みたひじき煮が絡み、この夏、最高の組み合わせの一つである。
ホイップ冠プリンも、事前に取っていたスプーンが一番大きなサイズだったこともあり、三~四口でぺろりだ。そもそも小ぶりサイズだったのだ! プリンが!
言い訳を脳内で組み立てる私を横目に、朔夜氏は続ける。
「君も早く食べないと、休憩が終わっちゃうよ。要旨は理解した。あとは俺たちに任せて。現状よりはマシな着地ができると思う」
「ほ、本当ですか……?」
薄野さんが縋るように朔夜氏を見た。
「少なくとも、君の辞職はありえない。会社として損失が大きすぎる。それだけは絶対に避けなきゃね」
じわ、と。薄野さんの頬と鼻に赤みが差し、瞳が大きく揺れる。右手で目をこすると、薄野さんは、今日初めて控えめな笑顔を浮かべた。
「はい……ありがとうございます。よろしく、お願いします」
頭を下げた彼女は、その後、箸を手に取った。
薄野さんが梅肉挟みチキンカツを着実に食べ進めていくのを見ながら、私は朔夜氏に耳打ちする。
「朔夜部長、ナイス気遣い! 薄野さんの食欲復活、喜ばしいことです」
「うん」
言いながら、朔夜氏はスマホでKindleを開いた。
おい! 私と会話する気ゼロかい!
「と、特に、薄野さんの辞職を思いとどまらせたのは素晴らしいです。急に辞めると、転職活動とか大変ですからね。生活への不安もありますし」
会話アピールする私へ「うん」と生返事しながらKindleを読む朔夜氏。見た感じ、小説本だ。ビジネス書ではない。
「もしかして、その本が薄野さんのオススメですか?」
「そうだよ。君も読む?」
「どれどれ」
スマホを覗き込もうと椅子を寄せると、朔夜氏は「違う違う」と手で制した。
「君のスマホにギフトコードを送るから、自分のスマホで読んで」
「試し読み感覚で他人に本を贈ろうとしてる!?」
「そんなに高くないよ。一八〇〇円くらい」
「ステーキ重じゃねーか!」
ともあれ。
食堂での相談は終わり、食器を片付けて解散する運びとなった。
そのまま三人で経営企画部方面で歩き始める。
「……で? 朔夜部長? どうでした?」
そわそわしつつ切り出すと、朔夜氏は「うん?」と聞き返した。
「食堂ですよ、食堂。美味しかったでしょう?」
「ああ……うん」
「リアクション薄いですね。毎日食べたいほどではなかったですか?」
朔夜氏はちょっとだけ考えてから言った。
「いや、美味しかった。けど、毎日通うとなると、休憩時間をフルで使ってしまいそうだ」
「なにが問題なんですか?」
「食堂にいる間は、仕事ができない」
「休憩時間は休憩してもらえますか!?」
人間にとっての昼食の必要性についてプレゼンしてやろうかと思っていると、三歩後ろをついて歩く薄野さんが咳払いした。
「あの、誰から話を聞くおつもりなんですか?」
その質問に「高角部長から」と短く答える朔夜氏。
「あの、大きな問題になるでしょうか……?」
心配そうな薄野さんをちらりと見て、また前を向く。
「俺としても、大問題にする気はない。関係者全員が大事を望んでないなら、なんとかなるよ」
「じゃあ、問題は伯耆原さんですね……」
薄野さんが拳を強く握る。
朔夜氏はそんな悲壮を無視して、経営企画部へずんずん進んだ。
部長室には高角経営企画部長が座っていた。恰幅の良い六十代男性だ。黒髪を丁寧に整え、綺麗に髭を剃り、爽やかな青の半袖シャツにネクタイ。ちょうどお弁当を食べ終わったところらしい。愛妻弁当と見た。
「これはこれは! 朔夜部長!」
お弁当を包む途中だった高角部長が慌てて立ち上がる。朔夜氏は「ああ、座ったままで結構ですよ」と言ってから、我々平社員ズを振り返った。
「高角部長と二人で話したい。君たちは休憩に戻って。あるいは、仕事してて」
「はい……よろしくお願いします」
薄野さんが頭を下げるので、私も慌てて続く。
「では、失礼します」
退室したところで、薄野さんがため息をついた。
「……うまくいくでしょうか」
「まだわかりませんが、仕事は辞めなくてもいいって、朔夜部長が。そこは大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「私は、大丈夫なんでしょうけど……」
ここで、薄野さんは周囲を確認してから声を潜めた。
「伯耆原さんは、どうなるんでしょう……?」
うーん……。それは、私にもわからない……。
二人で突っ立っていると、やがて部内入口から女性社員の一団が入って来た。
先頭に立つのは三十代後半と思しき化粧濃い目の女性社員。黒髪をきっちりお団子にまとめた、白い半袖シャツに灰色スカートのオフィス・カジュアル・スタイル。細い指が、銀縁眼鏡を持ち上げる。
「アラ! 薄野さん。と~……?」
ジロジロと不躾なまでに眺められる私。
「……財務管理部、鴻です」
名乗りながら頭を下げると、女性は「経営企画部、伯耆原です」と端的に返した。
「ほら、アナタたち! もう休憩は終わりますよ! 仕事に戻って!」
伯耆原女史は、後ろに引き連れていた女性の軍団に声をかけた。女性たちは蜘蛛の子を散らすようにバラけ、席についていく。
伯耆原女史が盛大にため息をついた。
「ウーン、薄野さん、やっぱり髪の毛の色が明るいわ。職場なのに。目立っちゃうわよ」
「だから、私、地毛が茶髪なんです! 何度もご説明してますけど……!」
「隣のお友達も? アナタは染めてるわよね?」
ぎくりと肩が跳ねる。私は、ほんのり栗色に染めている。黒髪だとどうしても垢ぬけない。極端に派手な髪色でなければ就業規則上は問題ないはず。というか、入社してこれまで、髪色の指摘なんかされたことがない。
「わ、私は……染めてます」
蚊の鳴くような声で答えると、伯耆原女史は「ホラ!」と鬼の首を獲ったように宣言した。
「アナタ、薄野さんにどこで髪を染めてるか教えて差し上げて? そこで黒く染めたほうがいいわ。見た目がチャラチャラしてるもの」
言いがかりだ。
しかし、薄野さんは「そんな……」と言って俯いてしまう。
このままでは駄目だ!
私は、一歩前に出た。
「お言葉ですが、伯耆原さん」
「なにかしら?」
「見た目がチャラついていたら、仕事に差し障りがありますか?」
「ちょっと! 鴻さん……!」
止めようとする薄野さんを片腕で制しながら、私は続ける。
「我々は仕事をするために職場にいる。仕事に影響がなければ、どんな髪色だろうと問題ない。違いますか?」
「アラ! じゃあアナタ、仕事さえできればどんなチャラついた見た目でも問題ないって言うの?」
「そのとおりです」
「マァ! 今の発言、アナタの上司に聞かせてあげたいわ! 一体、どんな顔をするかしら!」
そのとき、部長室の扉が開いた。
社内で一番チャラついた――と言うと語弊があるが、もっとも見目麗しく、業務に支障をきたすレベルの絶世の色男――朔夜氏が現れる。
「キャッ!? 朔夜部長!? なんで!?」
一段と高い声を上げながら伯耆原女史が両手で顔を包む。一瞬で『女子』になってしまった。
「ああ……もしかして、伯耆原さん? ちょうどよかった」
朔夜氏は微笑んで、伯耆原女史へ歩み寄った。気圧されて、女史は後ずさる。が、逃がす気はないようで、朔夜氏が女史の肩に手を置いた。
「このあと、財務管理部の部長室に来てください。ぜひ、お話が聞きたいな」
「ハ……ハイ……」
完全に紅潮し委縮した伯耆原女史を通り過ぎ、そのまま部署を出ていく朔夜氏。
「あっ! で、では、薄野さん! またあとで!」
別れの挨拶だけ残し、慌ててあとを追う。
小走りに隣に追い付くと、朔夜氏が話し始めた。
「高角部長と話がついた。このあと、関係者をウチまで寄越してもらうことになってる。一人ずつ話を聞いていこう」
「え!? あの!? 仕事は!?」
「今回の問題、解決が速いほど経営企画部としてもメリットになる。通常業務より問題解決のほうが優先。その点は高角部長も同意してくれた」
「いや、我々の仕事は!?」
朔夜氏はびっくりしたように私を見た。
「いや、財務管理はいま閑散期でしょ」
唖然。
午前はあんなに熱心に……急を要しない仕事してたくせに……。
「君には書記を頼みたい。聞き取り内容は議事録としてまとめて。あくまで非公式の書類だけど、高角部長には報告書を提出したい」
「はあ……承知しました」
「報告書は俺が書く。君はあくまで議事録担当。今日中に用意してね」
時刻は昼一時。
私はこの時、ようやく気付いた。
朔夜氏は薄野さんの問題を解決するために今日を捧げるつもりなのだ、と。
……そんな(人助けをするような)キャラでしたっけ、朔夜部長?




