1-2・休日を取り戻せ
朔夜氏の秘書になって二週間が過ぎようとしていた。
初日に押し付けられた五センチの書類を三日で頭に叩き込み、スケジュールの閲覧権限を拝領し、アポイント管理の一部を担い、来客対応を任された。不在時の連絡係も任されているが、今のところ、朔夜氏は連絡すれば早朝だろうが深夜だろうが仕事に応じた。これでは不在時対応というより、留守電メッセージである。
っていうか朔夜氏、土日休みという概念はご存知? なぜ私は爽やかな休日の朝にメール対応を? 働き方改革は?
ともあれ、追い出される気配はまだない。
というか――秘書が追い出される理由のひとつは、どうやら非公式ファンクラブにありそうなのだ。
秘書生活、第一週・金曜日。
仕事の帰り道、私は複数のファンクラブ会員に凸された。
朔夜氏に関する『ありとあらゆる情報』を横流しするよう、金銭取引を持ちかけられたのだ。
もちろん断った。金額の問題ではない。もっと根本的な、基本的人権や個人情報保護の問題である。
そうしたら怒鳴られた。これまでの秘書はみんな受けたぞ、と。
だからじゃないのか。強く呆れると同時に、腑に落ちる思いだった。
自分に関する『ありとあらゆる情報』を横流しする秘書相手に、信用も何もない。
だから朔夜氏は秘書をとっかえひっかえしなければならなかったのだ。
私は会員たちに言った。協力はできない。
以前購入した写真一枚も返却した。
会員たちは『朔夜氏を独占している』と私を非難した。
断じて違う。氏はアイドルでもなんでもない。顔がべらぼうに良いだけの一般人だ。そのプライベートは守られて然るべきだ。
大舌戦の末、私は非公式ファンクラブと絶縁するに至った。
翌、第二週・月曜日。出勤した私は、いの一番に『部長室内に私用のデスクを作ってほしい』と打診した。
部長室の外は危険だ。いつファンクラブ会員から襲撃されるとも限らない。私の身を守ることは、すなわち朔夜氏の身を守ること。我々は言わば二人三脚なのだ。
ついでに、部長室内にコーヒーマシンを置いてもらうこととなった。清掃と補充は私の仕事だ。
ついでについでに、お菓子スタンドも……とごねると「俺はいらない」と言ってケチろうとしてきたので「私は食べますけど!」と反論すると、無事置いてもらえることとなった。仕事にお菓子は必須アイテム! 置いてあれば朔夜氏も食べたくなりますよ、きっと!
今日は第二週・金曜日。大きな事件もなく、すべては順調だ。
現在時刻、午前十時。朔夜氏のスケジュールをチェックしながら、郷里の母親を思い出す個包装お菓子を手に取る。子供の頃食べたそれと比べて、明らかに小さくなっている。悲しい。物価高のせいだ。
「鴻さん、ちょっといい?」
郷里母菓子を食べようとした動きを止め、上司を見やる。
朔夜氏はこちらを見てすらなく、パソコンの画面を睨んでいた。
「このデータってどこがソース? ちょっと元データの確認がしたくて」
私は慌ててお菓子を置き、パソコンの画面を切り替える。
「これは……経営企画部ですね。原本の確認がしたい場合、直接経営企画部に向かうのが早いと思います」
「ありがとう。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
最初は驚いたのだが、どうやら朔夜氏は『可能な限りなんでも自分でやりたい』タイプだ。コーヒーも自分で淹れたものしか飲まないし、資料の確認も(私と分業することはあるが)可能な限り自力でやろうとする。
デスクから立ち上がり、ノートパソコンの蓋を閉じ、ハンガーにかけていたジャケットを羽織ってボタンを閉じる。
「眼鏡眼鏡」
「おっと」
私の指摘に気付き、ブルーライトカットの仕事眼鏡を外してテーブルに置く。代わりにタブレット端末と手帳、筆記用具を持って、部長室を横切っていく。
「留守番お願い」
「あのー」
忙しく出て行こうとする朔夜氏へ、私は片手を挙げて意見した。
「それってどのくらい急ぎの仕事です?」
「別に急がないよ。気になったから調べに行くだけ」
そうだろうな。
私は頷いて「よければ座ってください」と向かいのふかふか高級ソファをさした。
現在の私のデスクは例のソファとローテーブルに、ノートパソコン用のスタンドを組み合わせ、高さを調節する形で賄われている。あくまで簡易的なものだが、とりあえず今月中はこのスタイルでいこうと思っている。ゆくゆくは新しいデスクを搬入してもらうつもりだ。
呼び止められた朔夜氏は、不思議そうな顔をしつつ大人しくソファに腰掛ける。本当に急がない仕事なのだ。
「朔夜部長。素人質問で恐縮ですが、我が財務管理部の繁忙期っていつになります?」
「六~七月。決算や株主総会があるから。次に、十二~一月。年末調整があるから」
「そして月ごとで言うと月初と月末が忙しい」
「帳簿の作成や集計、入金管理があるからね」
「では、逆に閑散期はいつ頃になりますか?」
「繁忙期の翌月、八月や二月は比較的ヒマだね。それから、十一月も」
私は大きく頷いて尋ねた。
「いまは何月ですか?」
「八月だけど」
「なぜ、そんなに忙しそうなんです?」
朔夜氏は二、三度、大きな目を瞬いた。
「鴻さん。もしかして、閑散期は仕事をサボってもいいと思ってる?」
「いいえ! 決して! そんなことは! でも、私が見ている限り、朔夜部長はずーっと! 比喩でなくずっと! 忙しそうにしています! 土日休みという概念をお忘れになっているみたいに!」
「役員待遇に土日休みなんてないよ、鴻さん」
「それはおかしい! 休めるときには休むべきです! その確認?とやらも、別に今日! しなくていい仕事なんじゃないですか!?」
朔夜氏は一度タブレットに目を落としてから「まあ」と控えめに肯定した。
「よくないですよ! たまには休まないと! 休日、お洒落なカフェでお茶したり、新しく出来たと思しき見慣れぬカレー屋に入って、デカすぎナンをランチに食べたり! そういう休日が人間には必要なんです! 朔夜部長、先週の土日はどのように過ごしましたか!?」
「業務フローの整理、セミナーへの参加、それから他社との情報交換会に出席してたよ」
「かーッ! 週七で仕事してるんですか!? 駄目です駄目駄目!」
この二週間で学んだことだが、この上司、けっこう好き勝手言っても全然怒らない。むしろ、どこまで言えば怒るのか進行形で検証中であった。
「休日は! 仕事をしない! これに尽きます!」
「役員待遇に休日はない。というか、必要ないよ、鴻さん」
あまりの衝撃発言に、一瞬、息が止まった。
「俺の今の地位はね、鴻さん。前任の碧海玄廊氏を追い落とした結果手に入れたものなんだ」
「……存じ上げています」
「その際、俺は自分を玄廊氏より黒繰グループに貢献できる人間だと言って売り込んだ」
「……いや、でも」
「『でも』じゃない。俺は玄廊氏より有用で、有能で、使える人間であり続けなくちゃいけない。そしてその価値を証明し続けている間だけ、今の地位が与えられる」
わかるかな? と、朔夜氏は子どもに言い聞かせるように小首をかしげた。
「君がどういう意図を持って俺に休息を勧めているのかはわからないけれど、とても、承服できない。もしかして俺を失脚させようとしてる? 誰か悪い大人から、お金とか、宝飾品とか、不動産とかもらった?」
「いやいやいや! 違います! それは断じて違いますけれども!」
首を亜音速で横に振る。ど、動悸が……呼吸が乱れる。休日に休息を取ることを勧めただけで、こんな突飛な結論に着地するのか? 黒繰グループの権力闘争って、大変なんだ。頭が下がる。しかし断じて、朔夜氏の失脚を願っての進言ではない。
「私は朔夜部長が心配で! 休日も仕事するなんて、なんていうか、疲れちゃいますよ! 長期的に見て、休息を取らないことは仕事のパフォーマンスにも影響するかと!」
「最初からそう言ってもらえていたら、さっきの誤解はなかったね。でも、体調管理やセルフモニタリングも俺の業務の内だから、ちゃんとやってるつもりだよ」
「いや、でも……」
「もし君が俺と同じ生活をしたら、疲れちゃうかもね。でも、俺は君より有用で、有能で、使える人間だから、まだ大丈夫だよ」
「ぐぬ!」
どんなときでも皮肉を忘れない上司って、無敵!?
褒めてないですよ~。
「もういい?」
朔夜氏が右手首に巻いた腕時計を確認する。
なにか言い返せないかと頭を回す。
「で、では……最後にもうひとつだけ」
刑事ドラマにおける凄腕変人探偵みたいなセリフが出てしまった。
朔夜氏が顔を上げて私を見る。
「仕事をするのは大変結構……ですが! 遊びは必要かと」
「というと?」
「朔夜部長、経営企画部に行ったら、元データの場所を尋ねて、閲覧&確認して、直帰するつもりでしょう?」
「そうだね」
「ここに! あなたの『遊びの無さ』が露呈しています!」
朔夜氏は感慨もなく「はあ」と気の抜けた相槌を打った。
「いいですか、朔夜部長。仕事とは、数字を追っているだけではできません」
「できるけど」
「できないのです! なぜなら、数字を入力するのは人間だから!」
私は朔夜氏に人差し指を突き付けた。
「私から宿題です、朔夜部長。経営企画部に到着したら、三人以上の人間と会話をしてください。そして、そのうちの一人から休日の趣味を聞き出してください」
ぱちくりと、目を開いて瞬きする朔夜氏。
「それ、俺にメリットある?」
「もちろん! メリットしかありません! 次回、経営企画部を訪れたとき! 朔夜部長と趣味の話をした一人は必ず! あなたに対して堅実で誠実な仕事をします! 世間話をした二人も! 挨拶くらいはしてくれるでしょう!」
数秒、室内に沈黙が満ちた。朔夜氏は綺麗な無表情でじっと私を見つめていたし、私はというと、力説した格好のまま固まっていた。流石に、怒られるかもしれない。沈黙が続くほど、緊張と鼓動が高まるのを感じていた。
「なるほど」
やがて、朔夜氏は言った。
「話は終わった?」
「い、イエス、サー」
「じゃあ、いってくるね。留守番お願い」
言うが早いが、ソファから立ち上がった朔夜氏は、部長室から出て行った。
取り残された私が一人。気まずさを誤魔化すように咳払いしてから、机に置きっぱなしになっていたお菓子を手に取る。
「がんばれ、私、負けないぞ~」
自分で自分を鼓舞すると、甘い燃料を口に放り込んだ。




