第10話【山田のモーニングコーヒー】②
花澤さんを乗せたワゴンが走り去ったあと、僕はしばらく駐車場に立ち尽くしていた。
『魔導書は人の心を変えてしまうの』
花澤さんの言葉が頭の中で反響する。
それと同時に、今まで無意識にシャットアウトしていた周囲の音が耳に届き始めた。
サイレンの音、大声で指示を飛ばす消防士、避難してきた人を誘導する警察や市役所職員、泣き叫ぶ子供、興奮している中学生、呆然と見つめる大人
ドラマか災害のドキュメンタリーでしか見たことがないような光景が目の前に広がっている。
これだけの事件を、魔導書を持つ一人の少女が引き起こしたと言う事実に背筋が冷える。
そして中身は違えど、魔導書と言う意味では同じカテゴリーになるものを僕自身が保有していると言う事実にも気が重くなる。
『魔導書は人の心を変えてしまうの』
花澤さんの言葉がまた反響する。
さっきは反射的に否定したが、これだけ頭の中で繰り返し再生されると言うことは、心の底から否定できていない証拠だ。
僕は、花澤さんの声を振り払うように頭を三度振ってから救護テントの方へ向かった。
魔導書について知りたいこと、考えたいことは沢山あったが、今は鷲宮先輩のことが大切だった。
救護テントでは、鷲宮先輩が僕の体操服姿で簡易ベットに横になっていた。
花澤さんがあらかじめ僕のことを伝えてくれていたらしく、そばにいた救急隊員が状態を詳しく教えてくれた。
鷲宮先輩は軽い熱中症で、命には別状がないが意識がないので念のため病院に搬送するそうだ。
家族に連絡が取れるかと聞かれたので、図書委員会の顧問の連絡先を伝えて、僕は、救急車に同乗することになった。
病院に着き、鷲宮先輩は点滴を受けている間も目を覚まさなかった。
顧問と両親には連絡がつき、顧問は一度病院に来て鷲宮先輩の容態を確認すると学校へ戻っていった。
図書委員会としてボランティアに参加していたところでの被災(厳密にはボランティア後のサウナにのだが、僕はうっかりそのことを顧問に伝え忘れてしまった。あーうっかりした)と言うことで、後処理が大変なのだそうだ。
両親は、電話で容態を確認しただけで顔を出さなかった。
しばらく鷲宮先輩のベットのそばで待っていると、後ろの方で看護師さん達の声が聞こえてきた。
はっきりとは聞こえなかったが、断片的な会話を繋ぎ合わせるとこう言うことを言っていた。
・両親は用事があって来れない。
・今晩は迎えに来れないので入院させて欲しい。
・入院する場合は入院着をレンタルする
・両親の意向を受けてまずは一晩入院することになった。
・火災現場からの服を着たままだと衛生的に良くないので、この点滴が終わっても意識が回復しなければ、看護師たちで着替えさせる
他にも部屋番号やいつから食事が必要などと言った細々した連絡をしていたが、聞き取れたのはこれだけだ。
僕は、この話を聞いて鷲宮先輩の両親に対して憤りを感じていた。
仕事ならまだしも、こんな状態の娘を差し置いて向かうべき用事とはなんなのだ。
入院に関しても、病院に丸投げという姿勢が好ましくない。
親が来ないから、看護師さんたちが鷲宮先輩を着替えさせる話になっている。
鷲宮先輩だって、お胸がないとはいえお年頃の女性だ。見ず知らずの他人に服を着替えさせられるなんて嫌に決まってる……
と、考えが着替えに関するところに行き着いて、僕は固まった。
……着替え?
着替えということは、今着ている僕のジャージを脱がすということか?
脱がすとどうなる?
ジャージの下は、ノーブラ・男性水着だ。
まずい!鷲宮先輩が男性水着でサウナに入る露出狂と間違われてしまう。
この考えに行きつき、僕は急に立ち上がった。
椅子の足が床に擦れて大きな音を立てる。
「お静かに」
後ろにいた看護師に嗜められる。
僕は、謝りながら頭をフル回転させる。
点滴は後10分ほどでなくなりそうだ。
と言うことは、10分以内に水着問題をどうにかしなければならない。
一旦ジャージと水着を脱がせた後にもう一度ジャージを履きなおさせればいいのだが、鷲宮先輩が寝ているベットの周辺は休日外来の人やそれに対応する医療従事者の行き来が激しく、こっそり着替えさせる事なんて到底不可能だ。
【取るに足らない存在になる魔法】を使えば良さそうだが、これも難しい。
まず、鷲宮先輩にはかけられない。
鷲宮先輩は急患ということもあり、多くの人がチラチラと気にかけながら作業をしている。
誰からも注目されていないタイミングを見計らうのがとても難しい。
よしんば、それが成功したとしても、さっきまでそこにいたはずの鷲宮先輩が急に認識できなくなれば、病院は大騒ぎになるだろう。
では、僕だけにかけたらどうなるか?
僕の存在は認識されないが、その場合は誰かに勝手に服を脱がされて下半身裸になる鷲宮先輩が大公開される。
そんなダメなパターンを考えている隙にもう2分経ってしまった。
あと8分。
残された時間はわずかだった。
僕は、鷲宮先輩の尊厳を守るために一縷の望みをかけて『少し叡智な魔法の使い方』を開いた。




