第9話【上野ひとみ_とっても気持ちのいいマッサージ】③
「どうぞ」
山田くんは、そう言って私の前に紅茶のいい香りがするティーカップをダイニングテーブルに置いた。
山田くんとは、私が今週の初めに下着姿で押し倒した男子高校生だ。
ここだけ話すと犯罪的に聞こえるが、これはあくまでも事故だった。
私はその事を本人に伝え謝罪するために菓子折りを買って準備をしていた。
だがら、山田くんに会えた事自体は喜ばしいことではある。あるのだが……。
鍵を忘れてマンション入れないところを助けられて、その上お茶までご馳走になるなんていう恥の上塗り、迷惑な重ね着は想定外だ!
二日お風呂に入っていないアラサーのOLが、男子高校生の家に上がり込むなんて、これも何かの犯罪に抵触してはいまいか?
というか、そもそも、いくら山田くん本人からの誘いであってもホイホイと部屋に入るんじゃない私!
「社交辞令で言ったのに、このおばさんほんとについてきたよ」って山田くんに思われている可能性だってある。
いや、山田くんはそんなこと言いそうなキャラではないし、先週助けてくれた時も今紅茶を用意してくれている時も、私を警戒するようなそぶりや、逆に私をいやらしい目で見るようなことはない。(山田くんのように可愛らしい顔立ちの男の子が私のことを性的な目で見ることなんてないだろうが)
「カバン、会社で見つかってよかったですね」
私が頭の中で悶々と纏まらない考えを兼ねていると、自分の分のティーカップを手に持った山田くんがキッチンから戻ってきた。
私の前に置かれたものよりも少し薄い気がする。
「でも、困りましたね。急にこんな大雨になって」
山田くんが外を見て言う。
街の灯りも消えかけた深夜の空から滝のような大雨が降り、窓に雨粒が打ち付けられている。
今話題の集中豪雨というものらしい。
ピークはこれからで、ピークを過ぎても明け方まで降り続くそうだ。
エントランスで山田くんと偶然遭遇した直後に降り始めたこの雨のせいで、漫喫やカプセルホテルに避難できなくなった私を山田くんが拾ってくれて現在に至る。
「お仕事終わりでお疲れですよね?
何もないですがゆっくりしていってくださいね」
山田くんは、終始優しく話しかけてくれる。
エントランスで邂逅した際、一目見て私のことを認識していたので、日曜の痴女が私だということは分かっている筈だ。
だが、あの日のことは何も聞いてこない。
気を遣って聞かないでいてくれるのだろう。
その優しさが逆に居心地を悪くさせる。
本当は日を改めるつもりだったが、こうなってしまっては仕方がない。
私は朝から立ち上がり、頭を下げた。
ずっと黙っていた私が急に動き出したので、山田くんが驚いた気配が伝わる。
「あ、あの先日はお見苦しい姿をお見せして、本当にごめんなさい。
そのあとも、ピンチを救っていただいてありがとうございます。
本当はもっと早くお詫びに伺わなければならないところ、こんなに遅くなってしまい、ごめんなさい」
ちゃんと頭の中で組み立てる前に言葉にしたので、うまく謝れたかわからないが私の気持ちは伝わった筈だ。
私は、紙袋から菓子折りを取り出す。
「これ、つまらないものですがお詫びの印として受け取ってください。
あの、あんな姿を晒しておいて信じてもらえないかもしれませんが、私は誓って下着姿を見せびらかして興奮するような変態ではありません。
あれは、一種の事故のようなもので……もう二度とあのようなことがないように気をつけます」
「頭を上げてください。
それにこんなものまでいただいたら逆に申し訳ないですよ」
山田くんに促され顔を上げる。
「僕の方こそ、心配してたんです。
あの後外せない用事があったので、ご自宅に届けてすぐに別れてしまったので。
もしかしたら、体調が悪くて一人じゃどうしようもない事態に陥っていないか、とか。
今日、元気……なお姿を見れて安心しました」
元気、と言ったところで山田くんの言葉が少し詰まった。その目が私のボサボサの髪の毛や、くまのある目、やれたスーツを一周するのを、私は見逃さなかった。
「ごめんなさい。ちょっと仕事が立て込んでいて。
あの、臭いますよね」
「そんな!全然。
ただ少し疲れてそうには見えますね」
山田くんは優しい。
こんなに迷惑かけっぱなしの私を気遣う言葉選びをしてくれる。
「お仕事だけじゃなくて、日曜日のことでも悩まれてたんですね。
それなら、変な誤解もしてないですし、僕に怪我もなかったのでほんとに気にしないでください」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
私は、山田くんの言葉を聞いて、また腰が抜けたようにへなへなと椅子に座った。
今週の懸案事項が一つ片づき、力が抜けたのだ。
力が抜けたと同時に、仕事モードだった心の緊張の糸がぷっつりと切れてしまい、疲れがどっと押し寄せできたのだ。
「大丈夫ですか?相当お疲れみたいですね」
山田くんが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫です。これだけいただいたらお暇しますね」
「そんな、こんな大雨の中どこに行くっていうですか?当てはあるんですか?」
雨はいよいよ勢いを増している。
ピークはもうすぐだろう、
「あてはないですが、ご両親もお休みのところだと思うので、長居はできないです」
そう言って紅茶を一つ口口に含んだ私は、山田くんの次の一言でそれを全て吐き出すことになった。
「あ、それなら大丈夫ですよ。
今夜は親いないので」
部屋に入ってきてここまで、姿は見えなかったご両親だが、午前0時を回っていることもあり寝室で休んでいるものだと思っていた。
それが、不在だと?
それは大問題だ。
一人で留守番している男子高校生宅に押し入ったアラサーのOL。
これも何かの犯罪になるのではないだろうか?
「あー服濡れちゃいましたね。
お風呂入って行かれますか?」
頭の中で自分の罪状を考えている私に、山田くんは緊張感のない声でそう尋ねてきた。




