第9話【上野ひとみ_とっても気持ちのいいマッサージ】②
そんな最悪の日曜日から始まったこの一週間は、そのスタートが尾を引いたのか全体を通して最悪のものとなった。
まず月曜日に、現在進行している案件の進行を著しく阻害する問題が起きた。
クライアントもウチも悪くは無く、社会的な要因による災害のようなその問題は今日の夕方になってようやく解決の目処が立ったのだが、メンバー全員が寝る時間を削って対応に当たっていた。
火曜は月曜の問題の対応の続き。
少し改善が見られた水曜日、私の先輩に当たる主任がデスマーチの煽りを受けて体調を崩す。
メンバーの全員が「よりによって今か……」と思ったが、主任の働きは誰もが知るところであったので口に出す人はいなかった。
主力級のメンバーの脱落で、木曜と金曜はさらに苛烈さを極めた。
私も今週はほぼ家に帰れておらず、最後にお風呂に入ったのは、水曜の夜中……日付的には木曜の早朝なことだ。
ほぼ二日お風呂に入っていない体は自分でも少し匂う気がする。
最終電車のそこそこ混み合う車内でも、私の周りだけ少し空間が空いている……気がする。
私は、吊革を掴んでいない方の手を見る。
閉店間際の駅ビルの百貨店に滑り込んで買った名物の焼き菓子が、紙袋に入っている。
迷惑をかけたお詫びに、あの男子高校生に渡そうと思って買ったものだ。
本当は当日、遅くとも翌日のうちに渡したかったのだが、日曜日は自らの行動のあまりの愚かさに羞恥心が爆発していたのと腰が抜けていた影響で動けるようになるのに時間がかかってしまったせいで一日中家の中で過ごしてしまった。
月曜の朝、出勤する時にこのままではいかんと思い、その日の夜にはお詫びに伺おうと思っていたのだが、案件の爆発によりそれも叶わなかった。
そうこうしているうちに今に至るというわけだ。
時間が開けば開くほど、あの高校生と顔を合わせるのが恥ずかしい。
けど、同じマンションに住んでいる以上、このままなあなあにするわけにもいかない。
あらためて、あの日なぜあんな格好をしていたのか弁明し、私が痴女ではないことを証明しなければならない。
いや、酒に酔い寝ぼけたまま部屋を飛び出したという本当の理由を話したところで、引かれるだけだろうけど。
けれど、私には彼を襲うつもりはなかった、ということだけはひっきりと伝える必要があると考えていた。
これは、私の名誉のためではない。
あの男の子の為だ。
あの後、私は彼の身に降りかかった出来事を自分に置き換えて考えてみた。
女子高校生時代の私が、自宅マンションの階段で、下着姿にジャケットを羽織っただけのおじさん(私はまだ25歳なのでおばさんという年齢ではないのだけれど、高校生から見れば十分におばさんである可能性が高く、また、彼の負ったであろう心の傷の深さを不当に低く見積もるのも良くないので、想像の中ではおじさんに置き換えているが、これは決して私がおばさんを自認しているわけでは…(早口(以下略)))に下敷きにされたら、と想像してみた。
そのおじさんに悪気がなかったとしても、トラウマを負った私はもう二度と階段を使えないだろうし、毎朝フラッシュバックしてしまうかれない。
単純にミラーリングできる話でも無いのかもしれないが、それでも私は彼に誠心誠意の謝罪と謝意を伝えなければならない。
そして、謝意を伝える際は、私は普段はしっかりとした社会人であり、恐れなくてもいいと伝わるように、ちゃんとした格好で会いにいく必要がある。
私は、電車の窓に映る自分の姿を見る。
「これじゃあ全然ダメだ」
思わず声が漏れてしまった。
しばらくトリートメントができていないボサボサの髪に、ブルーライトメガネをかけても疲れ目が酷く大きなクマのある目、画面に向かい続けたせいで猫背の姿勢で固まりつつある首と肩、二日間着続けたせいでヨレヨレのジャケット。
どれ一つとっても、まともな社会人には見えない。
もう夜も遅いので、流石に今日お詫びに伺うような無作法なことはしない(そもそも部屋番号が分かっていない)が、明日の午前中には部屋を探してお詫びに行くつもりだ。
今日の夜、少しでもコンディションを整えなければ。
そう思いながら電車を降りた私は、コンビニで夕食と晩酌用の缶酎ハイを買って家路についた。
今週の1番の懸案事項であった男子高校生へのお詫びがようやく達成できそうな見通しがたったことで、私の足取りは軽かった。
だから私は忘れていたのだ。
今週の私は絶不調。
それは、今日も変わらないという事を……
紙袋とコンビニで買ったお弁当が入ったビニール袋を手にマンションのエントランスまで帰ってきた私は、そのタイミングで違和感に気づく。
私は、今仕事帰りだ。
仕事にはノートパソコンや手帳の入ったカバンを持っていく。
家の鍵や財布といった貴重品そこに入れている。
だから当然、仕事帰りの今もそのカバンを持っているはずなのだが、私が持っているのは紙袋とビニール袋のみ。
あとは、買い物をするのに使ったスマートフォンが一台。
……。
「カバン忘れた!!!」
私は深夜のエントランスということも忘れて叫んでいた。
「あの、どうされましたか?」
私の絶叫に驚いたのか、後ろから歩いてきていた住人が声をかけてきた。
振り返るとそこには、いかにも寝巻き姿でコンビニにちょっとした買い物をしてきた帰りです、という格好をした男子高校生が立っていた。
「「あ」」
私とその男子高校生は、同時に声を上げた。
なぜなら、お互いに約一週間前にみた顔だったからだ。




