第9話【上野ひとみ_とっても気持ちのいいマッサージ】①
今週は、ここ最近でも最もイケてない一週間だった。
金曜日の夜、私は、最終電車に揺られながら、そんなことを考えていた。
まず、始まりからして最悪だった。
まずは日曜日(私は日曜日を週の始まりだと考えるタイプの人間だ)この日は、久しぶりの休日だった。
それなのに、前日のお酒の影響で遅く起きた私は、仕事に行かなければと早とちりをした。
それだけならまだ良かったのだが、あろうことか自分が今どんな格好をしているかを確かめもせずに、ジャケットだけを羽織って会社に行こうとしてしまった。
私はお酒を飲んで帰宅するとほぼ間違いなくお風呂に入らない。
化粧も落とさない。
ベットまで辿り着けるかも怪しい。
皺がつくと後がめんどくさいジャケットとパンツだけはなんとかハンガーにかけて、下着姿で寝落ちするのがいつもの流れだった。
その日も当然、下着姿で眠りにつき、その姿で起きた。
いつもなら、どんなに寝ぼけてても、どんなに時間が無くても朝の身支度は確実に行うのに、その日だけはなぜか着替えなければならないということをすっかりと失念していた。
その結果どうなったかというと、下着にストッキングだけを履いたとんでもなく破廉恥な格好にジャケットを羽織っただけという、聞いたことも見たこともない格好で家を飛び出していた。
「私のバカ……」
吊り革に捕まりながら、思い出し落ち込みをするが、最悪なのはそこではない。
その格好で飛び出した私は、時間を節約するために階段に飛び出た。
八階建マンションの四階に住む私にとって、エレベーターを待つよりも階段を駆け降りた方が早い。
その日もいつものように階段に飛び出たのだが、足がもつれて転倒してしまった。
そして、あられもない姿のまま、階段の踊り場に倒れ込んだ。
偶然そこに居合わせた男子高校生を下敷きにして。
「本当にバカ……」
二度目のつぶやきは、電車の音にかき消されるが、自分の耳には響いている。
本当に、バカなことをしたなと自分でも思う。
第三者が見れば、痴女がいたいけな男子高校生を白昼堂々襲っているようにしか見えないような格好だ。
押し倒された男子高校生は、訳がわからないという顔をしていた。
当たり前だ。
私が彼の立場でも同じ顔をしただろう。
ちなみに、男の子の上に倒れたとき、私はまだ自分がどんな格好をしているか気づいていなかった。
テンパった私が、いろんな言い訳を口にしている中で、今日は会社に行く必要がないことが分かり安堵した直後、私は自分の格好に気づいた。
そこからは、頭の中が真っ白になった。
直後に、下の階から数人のおばさんが上がってくる声が聞こえてきた。
私にはそれが社会的な死を告げるカウントダウンに聞こえた。
転倒の衝撃か、はたまた自分の格好に驚いたせいか、腰が抜けてしまった私は、男子高校生の腰の上に座ったまま動けなくなっていた。
このままの姿を見られたら、警察に突き出され、会社は解雇、そうなれば、彼氏もおらず実家とも疎遠になった私がこのコンクリートジャングルで生きていくことなんてできない。
仕事を失った私は、家を失い、路頭に迷う。
大した取り柄のないアラサーの私に選べる選択肢はそう多くない。
その残された選択肢も、女性としての商品価値がなくなれば消えて無くなるだろう。
最終的には、街の片隅に打ち捨てられたみすぼらしい老婆として生涯を終えることに……
その時の私は、一瞬のうちに、路地裏でダンボールにくるまりゴミを漁る自分の姿まで想像していた。
そしてその想像は、あと数秒で現実になるところだった。
その最悪の未来を変えてくれたのは、私が下敷きにしていた男の子だった。
なんと彼は、腰を抜かしフリーズしていた私を持ち上げて、下から上がってくる住人から見えないところまで連れて行ってくれたのだ。
初めてされるお姫様抱っこ。
十代の華奢な、けど確かに男であることが分かる腕の感触。
洗濯された清潔なカッターシャツ。
心なしか、いい匂いもした気がする。
階段の転倒から始まり、男子高校生を押し倒し、さらに自らの破廉恥極まりない格好に気付き、下から上がってくる住人たちの声に恐怖し……
ここまでの出来事でいっぱいいっぱいだった私の脳は、そこに新たに加わったお姫様抱っこと若い男の子に触れられた刺激によって完全に処理限界を迎えた。
抱っこされたあと、何が起こったのか正確には理解できていないし覚えていない。
確かなことは、私が押し潰してしまった男子高校生の彼に抱えられたまま部屋まで運んでもらったことと、その彼に名前と部屋番号を聞いたことだった。
だが気が動転していた私は、聞いたはずの名前をしっかりと覚えられていなかった。
朧げながら頭の片隅に残っているのは、三階の部屋番号だったということと、山田という名字だけだった。




