日記
クロエに目で合図を送る。彼女はそれに親指を立てて応える。片目閉じるとかで応えろ。
「ねぇねぇ、リリィたん、どんなお茶を淹れてるのー?」
「フハハ!もっと近う寄っても良いのだぞ!あっ、ちょっと待ってその速さで来るのは想定外!」
曲芸の如く、くるくると踊り舞うように回りながら紅茶を淹れるリリィにクロエが近づく。
「危ない!」
よろめくリリィをクロエが支えると、手元から離れたお茶が盛大にクロエにかかる。
「あわわ、ごめんなさい!すぐにお風呂へお連れします!エリアン様、これ前やった時怒られたのに今回は行けると思ってごめんなさいいいい」
クロエを脇に抱えてリリィは嵐のように去っていってしまった。結果的に彼女を部屋から出すきっかけになったとはいえ、前やって怒られたことをするなよ。
「文字通り脇に抱えて出ていかれてしまわれました…」
「大の大人があんなふうに抱えられて連れて行かれるの初めて見たわ…そんなことよりも…!」
私はさっきハンクが置いた本を開き、中を見る。日付は確かに今から800年ほど前だ。内容は一部が虫食いになっていて読めそうにない。何より見たことない文字も含まれている。
「やっぱりクロエが持ってきた情報は正しいのか…?」
「オイ、ラニ。何やってんだよ」
「クロエから聞いたんだよ。リリィが生まれたのは800年以上前で、エリアンもその当時の人間かもしれねえんだ。その日記なんて調べておくに越したことはないだろ」
頁をめくっても読める字が少な過ぎる。くそっ、もっとマルクに教えてもらっとくべきだった。
「ラニ、貸してくれ。僕が読むよ」
隣から眉間に皺を寄せたマルクが申し出た。頁を一旦戻してから、すらすらとめくり読み進める。その間、妙に部屋が静かに感じられた。静寂が刻々と過ぎていき、マルクの顔に浮かぶのは驚愕と混乱の色だ。
本をぱたんと閉じて、マルクは顔を上げる。
「何が書いてあったんだ?」
「…正直、僕の予想を遥かに超えていたよ。文字が古すぎて読めない部分もあるけど、この日記の内容が真実だとするのなら…世界の常識が揺るぎかねない」
「は?」
何を言ってるのか理解ができない。世界の常識が揺るぎかねないって何だ。一体どんなことが書いてあったんだ。
「なぁ、お前さんさえよければ教えてくれへんか?オイラも知りたいわ」
「わ、私も知りたいです!五大貴族成立以前の話が気になるという気持ちもありますが、リリィたん様に寄り添える情報があるのならそれが欲しいです!」
マルクは首を横に振ろうとしたが、ため息を吐いて、少しずつ語り始めた。
「掻い摘んだ内容だけど…この日記の主であるエリアン卿は、さっきの肖像画のカリーナさんを含めた仲間たちと共に魔王と戦ったことがある。その上でカリーナさんを犠牲にして、魔王に勝利したと書かれている…。」
カリーナとは結ばれることなく死んでいたのか。拗らせる気持ちもわかる気がする。いや、そんなことよりだ
「……おい待て、魔王が討伐されたのはそれから300年ぐらい後のことなんだから、エリアン達が魔王に勝利したってのは矛盾するだろ…!」
マルクは右手を前に出してそう言う私を制止する。
「最後まで聞いてくれ。まずエリアン卿は魔法学者のようだ。どうやら彼は研究の末に、魔王を完全に討伐するには、七つの遺物の力が必要になるということを突き止めたみたいだ。遺物のことは魔王に勝利した後に発覚したみたいだから、つまるところ、魔王に勝利したが、当初は遺物のことを知らなかったから完全に討伐出来ていたとは言えないという趣旨のことが書かれている。これについては恐らく五大貴族も同様だと思う、五大貴族が遺物を使って倒していたなら文献に記されているはずだからね。少なくとも僕は遺物の話なんて読んだことも聞いたこともないけれど…。
それに、ここ数年の魔族の動きが活発なんだ。マリアもそれで僕の家に避難してきた…」
「それってつまり…」
嫌な予感とサリエルの顔が脳裏に過ぎる。
「魔王が復活した可能性があるってことか…」
「うん…ズバリ言うとそうなる…いや、正しくは、五大貴族の代を合わせて少なくとも2度目の復活ということになるかな……。」
冗談じゃない。魔王が復活?なんでこんな時に。子供の時に聞かされた話だと、魔族との戦争で人類の半分以上が死んだ。今も絶滅せずに残っているのは五大貴族の祖先である勇者たちがいたからだ。揺らぐのか?この事実が。私達、いや、この世界の人間にとってはそれが正しいはずだ。ただ、エリアンの書斎の資料や本の量、何より800年という時間からしてイタズラにしては出来すぎている…。
「なあマルク、他に何か書いてないのか?強力な魔法とか、生き残るための対処法とか!」
彼の胸ぐらを掴んで揺さぶる。わかってる。こんなことしてもマルクにはどうすることも出来ないと。
「落ち着いてくれ、ラニ。日記の最後の頁を読む。重要だから、みんなにも聞いてほしい。
神世753年5月8日
私は最近、自分の死期が近いことを悟っている。よって、遺物、すなわち魔王を倒すための鍵となるものについて書き記しておく。
私は鍵、要は遺物を知ってから、かつての仲間ともう一度世界を旅し、いくつかの鍵を手に入れ、魔王の手の届かない場所へ隠蔽した。全七錠のうち、第一錠「流転」、第三錠「虚構」、第四錠「淵影」、第六錠「裂傷」
以上が我々の集めた全て鍵である。第二錠、第五錠、第七錠は世界のどこを探しても見当たらなかった。
しかし時代は変わる。私達が見つけられなかったものが、未来では見つかっていることを祈るばかりである。
いつか私達にとって運命の歯車を動かす者が来た時のため、全てを我が愛しきリリィに託しておくことにする。
エリアン・ブレンドスティー
…以上だ」
マルクは言い終わると、腰に携えた剣に触れる。ハンクに直してもらったあの剣だ。
「僕はこの剣が鍵なんじゃないかって思ってる。根拠はないけど、そんな気がするんだ」
「確かに……自由に伸び縮みしていましたし、他にも妙な力がありました。ただ私たちはまだ鍵というものについて知らなさ過ぎます……鍵とはまだ断定出来ないですね……」
「イサベルの言うことも最もや。ただ、もしそれがほんまに鍵なんやったらオイラは世界を救うための一端を担うことになったっちゅー訳やな」
もし仮にその剣が鍵だとして、なぜ鍵を魔族が持っていたんだろうか…いや、あまり考えるのをやめよう。イサベルの言うようにマルクの剣が鍵である可能性はまだ不確定だ。もし仮に鍵だったとして、これが何番目の鍵なのかもわからない。
ドタタタと足音が聞こえる。まずい、あいつらが帰ってきた。急いで本を閉じて元の場所に戻すが、本からひらりと何かが落ちる。すぐに拾おうとしたが、扉を開ける方が幾分か早かった。
「じゃーん!どうですか?クロエたんはすっごく綺麗になりましたよ!やっぱり素材の力が強いですねぇ!」
「あぅぅ…」
クロエは妙に華やかな衣装に身を包まれている。あの雰囲気の服をさっき見た。カリーナが肖像画で着ていたような服だ。エリアンの持ち物だとして、なんで持ってるのか意味がわからないが何も言うまい。
「えっと、これは違うの!あたし断ったのよ!?でも、その…服を洗濯してもらってる間だけ貸してもらってるの!」
誰も何も言ってないのに焦って弁明するクロエ。
「別に言い訳しなくてもわかってるって。つーか、馬子にも衣装だな」
「馬子にも衣装って…褒めてないじゃない!」
「衣装は褒めてるよ」
口をへの字に曲げる彼女は床の紙を見つけて、手に取る。しまった、つい取り忘れてしまった。
「何これ?」
不思議そうな表情がどんどん見開かれていく。
「こっ…これ!上級…ううん、そんな練度じゃない!すごく強い魔法の術式が書いてる!こんなの…まるで最上級魔法じゃない!」
興奮気味に見せてくるが、私には何が何だかさっぱりわからない。横からクロエと同じぐらい興奮したリリィが割って入ってくる。
「それはエリアン様の研究帳の切れ端!まさかもう打ち解けて見せてもらえたのですか!?エリアン様、この方達がそんなに気に入ったのですね!招き入れた私を褒めてください!」
胸が締め付けられるような気分だ。しかしそんなに強い魔法なら利用したい。多少の申し訳なさを思いつつ嘘を重ねる。
「そ、そうなんだよ。ぜひこれを使って欲しいって言われてさ。それでもらおうとしたところにちょうど2人が入ってきて驚いて落としたんだ」
よくもまぁここまで口がするする回るもんだと自分でも思う。その反面、「どうせ死人に魔法なんて必要ないんだから」と考える自分もいる。
「そういえば、まだ家名含めた本名を教えてもらっていませんでしたね!エリアン様に認められるような方のお名前は覚えておく価値があります!どうか私めにも名乗っていただけないでしょうか!」
大袈裟に膝を折ってそう言う。ふざけ半分、真面目半分という感じだろうか。
「あ…私は…」
一瞬躊躇して、グレゴの方を見る。彼は小さく頷くだけだ。
「…私の名前はラニ・フェリオス」
それを聞いた途端リリィの目が見開かれ、笑顔が消えた。




