第84話 次の世も
銀色の卵のような形をした大きな物体があった。
あれが恐らくエンリケ少将の言っていた脱出船、救命ボートのようなものだろう。
沈みゆくアゲハ号の最上階付近。
フタが開いていて、中には宇宙服のようなものが見える。簡易的な構造であるため、そのようなものを着用しなければ安全を確保できないのだろう。
脱出船の近くでムニョスが横たわっていた。
「ムニョス!」
離れたところからユキナガが大声で呼びかけても、彼は自分の眼前の光景をただ眺めていた。
アゲハ号の外壁がすでに破壊され、あいだから夜空が見える。
それはまるで花火のようだった。飛び交うお互いの砲撃、空中戦を繰り広げる戦闘機。アゲハの戦艦が数隻、旗艦アゲハ号を救わんとするためか、戦闘開始当初よりも高度をかなり下げて戦い続けている。
「どうもヘタクソだなあ……」
ムニョスの弱々しい声が聞こえた。
ユキナガとハツはムニョスに駆け寄った。
「おお、夏目殿。よくこんなところまでたどり着いたね」
「無事でよかった。さあ、もう大丈夫ですよ」
そうではないことはひと目でわかる。ムニョスの衣服は腹のところが血で真っ赤だった。
ユキナガはムニョスの手を握った。ムニョスも握り返した。力が弱い。彼はつぶやく。
「天覧試合、みたかったね。本当に見たかった……。長嶋茂雄のサヨナラホームランを一生の思い出にしたかったな」
ユキナガは微笑む。
「ほんとに残念でしたね。僕たちは貴重な歴史の目撃者になることはできなかった。ただそのかわり、今日の試合を観たくても観ることができなかった、たくさんの民草の一人となることができました。僕もあなたも。あなたはこの時代に星の数ほどいたただの野球ファンです。どうでしょう、それで良しとしませんか?」
ムニョスは小さく二度うなずいた。
それから彼は銀色の脱出船のほうへ視線を向けた。
「確率は低くても、脱出船で未来に戻って奇跡に賭けることが、今俺にできる最善のようには思うのだが、目の前で実際に戦っているこいつらを放っておけなくてなあ……。そうだ、ブラックウィングはどうなった?」
「とても強かったです」
ユキナガが答えた。ムニョスは黙ってうなずいた。
「そうか。あいつはいつも黙っていてくれるから好きだったんだけど、俺もこんな性格だから、伝えようがなくてな」
ハツがムニョスの顔を覗き込んだ。
「わたしが保証します。きっと伝わっていましたよ」
ユキナガはもう一度、銀色の卵の形をした大きな物体のほうを見た。
「脱出船はね、乗らない方がいいよ。乗ってもうまくいかない。残念だが過去も未来も変わらない」
「……君が言うならきっとそうなんだろうね」
ムニョスはユキナガのほうに顔を向けて小さく笑った。それからもう一度、悲しい花火大会へと目を移した。
「もっと野球がみたかった」
「見ればいいさ、好きなだけ」
「夏目殿、俺はさ、スタジアムにいるときだけ世界は楽しいと思うことができた。こんなに面白いものが、美しいものがこの世にはあると、俺の生まれた時代の人々にも教えてあげたかった。きっと人生が少しだけよくなる」
ユキナガはムニョスの言葉を聞いてしばし黙った。ムニョスの言葉が自分の心の中で響き渡るような感覚を彼は感じていた。
「実際に野球をプレイすることも強く勧めるよ」
「君は名古屋でとても強い高校を相手に投げ勝ったらしいな……。どうして夏目殿は野球がそんなに上手なんだい?」
「つまんない話ですよ。僕の前世はプロ野球の投手だった」
「ん?」
そしてユキナガは、一人の選手の名をムニョスに教えた。
「へえ……」
「まあ信じられないですよね」
「にわかにはね。でも、生まれ変わりがほんとにあるのなら、俺にとっては希望がもてる話だ。野球場って酔っぱらいのおっさんがたくさんいるじゃん」
ハツが口を挟んだ。
「ナゴヤでわたし絡まれました」
「昼間は汗水流して働いて、嫌なこともいっぱいあって、でも夜の野球場に行けば全部忘れることができる……。また次の日も二日酔いの頭で仕事に向かう……。次はそんな人生がいいなあ……。君の試合を見にいくよ」
ユキナガの頬を涙が流れていた。彼もまた炎が燃えさかる海を見つめ続けていた。
「きっとあなたにそんな来世がありますように」
「夏目ユキナガ」
気づくとユキナガ達の傍らにエンリケ少将がいた。銃弾を受けた彼はたっているのがやっとだ。どうやってここまでたどり着いたのか。
「我が殿は?」
ユキナガは海を見つめたまま何も答えない。エンリケ少将はユキナガが寄り添うムニョスの様子をじっと眺めた。
「いい来世があることをムニョスは願っていました」
「世迷言だな。死んだ後のことなどわしは信じぬ。あるのは今だけ」
「……あなたからしたら、前世と同じような人生をもう一度と願うことも、滑稽でしかないのでしょう。いいこと言うね、若造」
エンリケ少将は眉をしかめてユキナガを少し見た。
空ではアゲハの船が炎につつまれてゆっくりと落ちていく。
「最後まで最善を選ぶこと、決断し続けること。拙い答えしか出せなかったとしても。それがエンリケ家の武人。……では行くか」
エンリケ少将は重い体を引きずって、銀色の卵に向かいだした。彼が卵の中に入りこむと、フタが音もなく閉じていった。
昭和34年6月26日未明までに、リンドウとアゲハの戦闘行動はほぼ終結した。




