第83話 臣下
アゲハ号の通路を、ユキナガとハツはベスパに乗って進んだ。
「わたしアゲハ号の内部は、何度か(一ノ瀬アンと)来ているので、構造がある程度わかります」
「任せるよ、ハツ。ムニョスはどこにいるだろうか?」
ユキナガも一度このアゲハ号に招かれたことがあった。しかしそのときは誰かに誘導されるがままだった。
ユキナガは思った。
ああそうだ。あのとき僕の横にはロッテおばさんがいた。楽しい一日だった。
美術品で美しく彩られたアゲハ号は、いまや全体が傾いていた。外壁もあちこちに穴が開いている。通路に波しぶきがながれこむ箇所があって、通りぬけるのに難儀した。
ハツは上へ上へと進んでいくので、浸水から逃げる方向ではあった。しかし時間がないのは間違いない。この船はもうもたない。
「誰かいる」
大階段の前。王座へと続く道。
行く手に軍服姿の男性がいた。豪奢な軍服は血でぬれている。手には銃身の長い銀色の拳銃を握っていた。
彼は呼吸が苦しそうだったが、しっかりした声で名乗りをあげた。
「わしはアゲハのセレスティノ・エンリケ。少将だ。さあ貴公も名乗るがいい」
「最後までムニョスを守るのですね。あなたもまた忠臣か」
ユキナガがベスパをおりて、エンリケ少将に近づいていく。
「ユキナガくん」
「大丈夫」
エンリケ少将は自嘲気味に笑った。
「あんな若造大嫌いだ。ムニョスのために死ぬなんて、心外もいいいところ」
「なるほど、部下に好かれるタイプではないのは本人もわかっているのだろうけどね。しかし、ならばどうしてあなたは僕たちの行く手を阻む」
「エンリケ家の男子はアゲハを守る盾となる。それが務め。我が父は先代の王を守って死んだ。偉大なるエンリケ家、偉大なる父、わしはあの人の息子として死ぬことを望む。それが理由、ムニョスなど、どうでもいい」
ユキナガはエンリケ少将の言葉を聞いて、小さくうなずいた。
「夏目ユキナガ。お目にかかれて光栄です」
「田中ハツ」
二人は敬意をこめて名乗った。
「夏目ユキナガ、貴公の顔はみたことがある。ムニョスはこの先の脱出船へと向かったぞ」
「彼はまだ無事なんですね?」
逃げることをムニョスが選ぶのならば、それもまたいいだろう。ユキナガは思った。
「愚王と呼ばれた男の末路にふさわしい振る舞いよ」
エンリケ少将は主君をさげすんだ。
「敗北を悟ったムニョスは、このいくさをなかったことにしようとしている。我らが出発した時代に戻り、この遠征そのものを中止しようとしている。しかし、それでこの状況が変わる理論的な保証はない。既に平行世界が生まれている可能性がある。もしそうならばこの歴史を変えることはできない。そのような少ない可能性に賭けた悪あがき。そもそも脱出船の性能では、目的の時間と場所へと正確にたどり着けるかも定かではない。きっとただ逃げたいだけだ」
20世紀の歴史を変えても、それは平行世界として分岐するだけで自分たちの住む未来世界に影響を与えることはないと、ヒメネス博士が言っていた。
ムニョスがやろうとしていることはそれとは違うケースにあたるが、そこの理屈は確かにやってみなければ分からないことかもしれなかった。
「ユキナガくん、覚えていますか。わたしたちがあなたの故郷から旅立った日のこと」
ハツがささやく。ユキナガはなんだったろうかと少し考えた。
「あっ」
彼は思い出した。
オレンジ色のベスパにまたがって出発しようとするユキナガとハツの前に現れた、謎の人物。
ふたりに向かってリンドウ丸に乗らないよう訴えかけたその人物は、光に包まれて消滅してしまった。
「ムニョスの思惑は失敗する。わたしたちはそれを知っている」
ハツの言葉に、ユキナガはうなずいた。
「エンリケ少将、僕はムニョスに会わなければならない。その脱出船に乗る前に」
ムニョスを止めなければ。
エンリケ少将は、銃口をゆっくりとユキナガとハツに向けた。
「心底どうでもいい。しかしアゲハが滅びることは口惜しくてかなわぬ。この出来事を変えることが本当にできるのならば、変わってほしい。なかったことにしてほしい」
銃声が壊れ行くアゲハ号の内部に響いた。
しかし、それはエンリケ少将がもつ銀色の銃からの音ではなかった。
エンリケ少将は銀色の銃を床に落とし、彼もまた崩れ落ちた。
「君たち、大丈夫か?」
駆けつけたのはリンドウの兵士たちだった。外からアゲハ号に乗り移り、ついにここまでたどり着いたのだ。彼らの銃撃によってエンリケ少将は倒れた。
リンドウ兵たちは、エンリケ少将に近づく。息はあるようだった。
ユキナガとハツは彼らの横を通り過ぎて、大階段を上り出した。
ふたりの歩みはだんだんと早まり、階段を上り終えると駆け足に代わった。脱出船のある場所を探して二人は走る。
開いている扉を見つけた。ユキナガとハツはその中へと入っていく。
そこにムニョス王はいた。




