第82話 沈む船
ユキナガとハツの目前で、アゲハ号がゆっくりと傾き、海のなかへ少しずつ沈んでいく。
その中にはエスカミーリョ・ムニョスが乗っている。アゲハの最高司令長官。
ユキナガは船をにらみながらつぶやいた。
「もう遅いのかもしれない。自決している可能性もある。でも僕はムニョスに生きていてほしいと最後まで願う人間でありたい。それくらいしかできない。彼は僕の野球友達だ」
ロッテおばさんを失った怒りによって、悲しみによって、理性のタガならばユキナガもまた外れていた。
しかしそれによって彼が選択した行動は、復讐ではなく、友の命を救うことであった。
「けれどユキナガくん、もはやここからわたってアゲハ号に乗り移ることはできない」
夜の海は荒れてはいなかったが、リンドウ丸とアゲハ号はすでに離れている。
逃げ惑いながら味方を救助しようとする哀れなアゲハの小舟が数隻あったが、ユキナガ達が向こうに渡るすべはないように思われた。
「ハツ、何か方法はないだろうか?」
ユキナガはハツを頼った。それは彼女にとっての本懐。
「沈む船に自分から飛び込んでいくことがあなたの人生か。よかろう、この田中ハツは君につきあうよ」
それから笑顔とともにハツは言葉を付け足した。
「方法があります」
甲板にいたふたりは、ベスパにまたがってリンドウ丸の船内へと戻った。
リンドウ丸も、アゲハ号ほどではないにしてもダメージを受けている。沈みはしないかもしれないが、傾き、異音が響く、とても不安定な状況だった。
「あった。これを使います」
ハツが見つけたのは受話器型の通信装置。
「え、どういうこと?」
ユキナガの疑問はもっともなことだ。しかし説明する時間はない。
ハツは受話器を取って自分の耳に当てた。WiFi機能を応用したワープ。原理の詳細まではわからないが、おそらくユキナガとベスパを一緒にアゲハ号船内まで連れて行くことができるはず。
「あれ、ちょっと変かも?」
しかし受話器から聞こえる信号音のようなものが、いつもと違う。全然違う。途切れ途切れでノイズだらけで、ぐにゃぐにゃに歪んで聞こえる。
(たぶんこれって他の人には聞こえない音。わたしだから通信状態の乱れを音声として認識できる)
ハツはユキナガのほうを振り返った。
「わたしはリンドウ丸とアゲハ号の間を何度も行き来していました。わたしにはその機能がある。でもいまは、お互いが大きく破損しているからなのか、両者をつなぐ道がものすごく不安定な状態になっているようです。安全に移動できる保証がない」
ユキナガはハツをじっと見つめている。
通信機の近くの外壁はアゲハの攻撃によって裂け目を生じていた。外が見えて海風が吹き込む。沈み行くアゲハ号の姿が見えたが、すでに半分近くが水の中に浸っていた。
ユキナガはアゲハ号のほうを振り返り、挑むようににらみつけた。
「行ってやろうじゃねーか。ねえハツ、ダメだったらごめんな!」
「がってんだ!」
ハツは受話器にもう一度耳を当てた。
さあ、発動しろワームホール。
やはり電波信号が弱い。移動中に道が途絶えてしまうかもしれない。前にも後ろにも進めなくなるかもしれない。
そうしたら電気信号化した自分たちの肉体はどうなるのだろう。
ハツは恐怖を感じた。そして思った。電波をかき集めるのだ。そしてアゲハ号への道を無理やりにでっちあげる。
アンテナとしての自分を最大まで強化する。それは考えたこともないことだったが、本能的にハツは自分のやれること、やるべきことを悟った。
(集まれ、もっと集まれ)
電波信号が濃縮されて強まる。やろうとしていることの方向性は悪くないようだ。しかし、たりない。これではまだ足りない。もっと集めなきゃ、強めなきゃ。
ハツは強く強く念じ続けた。自分の体を光が包み、その輝きが増していくことを感じた。
行けるかも。
しかしそのとき大きな音が聞こえた。アゲハ号の爆発だった。
安定化しかけた電波ががくんと乱れた。ハツは何とか持ち直したが、直前の状態よりは弱まってしまった。でも行くしかない。おそらくこれ以上は良くならない。
「行ってみようか、ユキナガくん!」
「よし、ばっちこーい!」
ハツは自分の頭の中のイメージで、うごめく光の輪に自ら飛び込んだ。ユキナガと、ベスパとともに。
洗濯機に放り込まれたような物理モーメントを体いっぱいに受けて、彼らはきりもみ回転をしているような状態になった。光の束が万華鏡のように乱れ飛ぶ。ハンドルを握るハツにしがみつくユキナガが叫んだ。
「なんだこれ、やばいやばいやばい!」
「めちゃめちゃ悪路だけど、前に進んでいる。ユキナガくん、必ずアゲハ号に届けるからね!」
信号が弱い部分がギャップのように行く手を阻む。ハツはハンドルを操ってそれを次々に越えていく。
もうすぐゴールのはずだったが、突然目の前の光が闇によってはぎとられた。
外部で、またどちらかの船の通信系に損害が出たのかもしれない
まずい。道が閉じる。闇の壁が現れた。ぶつかる。時空の波とともにわたしたちははじけ飛ぶ。
助けてお兄ちゃん。
死のイメージのなかでハツがつぶやいた。
わたしに力を。ユキナガくんの役に立つための力をください。
そのとき、なにかが聞こえた。
『ハツ、ユキナガくん』
それは声かも知れなかった。
光のような風のような声。
闇の壁から一筋だけの糸のような光が見えた。
「開け!」
ハツが叫んだ。その声に呼応するかのようにハツの体がいままでとは違う光を放ち、そしてそれは闇の壁からのびる一筋の光と結びついた。
大きな衝撃。闇の壁に衝突したのだろうか。しかし動いている。壁が揺れて、崩れて、ハツたちは少しずつ前に進んでいる。
そして闇が砕け散った。
世界が光だけになった。
ハツの体はベスパの座席から浮き上がる。彼女はハンドルをしっかり握ってベスパをつなぎとめた。
ユキナガはハツの足にしがみついている
「しっぽだ」
「へ? ユキナガくん、あなたはいったい何を言ってい……しっぽだ!」
それはたしかにしっぽだった。ハツに突然大きなしっぽが生えた。兄とおそろいの可愛いしっぽ。
「何これ、なにこれ、こんなオプションがわたしについているなんて聞いていない!」
「ハツじたばたするな」
彼らは宙ぶらりんのまま光の波の中を浮遊した。そして唐突にそれは終わった。
床に滑って転がるベスパ。そしてハツとユキナガ。
「いてて、無事かハツ」
「生きてはいます。しっぽは生えましたが」
「柴犬のしっぽだな。ああ、やっぱり君とシバのすけは兄妹なんだね。恐らく君の機能にはリミッターがついていて、しっぽによってそれが解除された」
そこはアゲハ号の内部。自分たちが来た方向をハツが振り返ると、そこには半分ほどが壊れて欠けた受話器がぶら下がっていた。
とにかくたどり着いた。ムニョスを探さなければならない。
「お兄ちゃん、このへんの説明は事前にしてほしかったよ。素敵なしっぽだけど、こんなこと知らなかった」
「感覚ってあるの?」
「どうなんでしょう。あ、自分の意志で動かすことができますねこれ。しかし感覚は無いように……うわ、いや、やっぱ嘘。触んないで、くすぐったい」
「ゴキブリは自分が空を飛べることをその瞬間まで知らないっていうのと同じ理屈かもね」
「うん、君のその例えは最悪だけれども」




