表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/87

第81話 母に捧ぐ

 ユキナガもハツも、そのみゆみゆの言葉をすぐには理解できなかった。

 しかし彼女ははっきりと無線で言った。ロッテおばさんが死んだと。


 ユキナガはその場に倒れこみそうになった。ハツが彼を抱きとめて何とか支えた。

「ユキナガくん」

「嘘だ……そんなことが……おばさん、おばさん……」


 ロッテおばさんが亡くなったのは日本時間で21時13分だったと言われる。

 奇しくもそれはこの夜に後楽園球場で行われていた、いわゆる『天覧試合』で、長嶋茂雄がサヨナラホームランを打った時刻と重なっている。


 この事実をひとつの天啓とみなすものもいるが、そう思いたい気持ちもわかるが、残念ながらただの偶然である。


 彼女の死を伝えるみゆみゆの声は、無線でリンドウの兵士たちに伝わった。


 銃撃をうけたロッテおばさんが厨房にひとり倒れているのをみゆみゆが発見、彼女が駆け寄ったときにはすでに亡くなっていた。


 戦闘機に搭乗していたパイロットのゴンゾーもその無線を聞いた一人である。


 それはあってはいけないことだ。

 無線でゴンゾーは叫んだ。たくさんの人々にその声は届いた。

『ロッテおばさんは、非戦闘員ではないか。アゲハは合戦の習いを知らぬか』


 ゴンゾーは取り乱していた。涙声で叫び続けた。


 あの人はたくさんの家族や友人に囲まれて死んでいくべき人だ。

 きっと最後までチャーミングな冗談で周りを笑わせてくれるような、明るい気持ちを届けてくれるような。そんな終わりを迎えるべきだった人だ。


 それなのにこんな遠いところで、一人ぼっちで死なせてしまった。


 戦闘の際中にもかかわらず、ひざまずき、祈りをささげるリンドウの兵士たちを、複数のアゲハ兵が目撃している。


 そして祈りを終えた彼らはゆっくりと立ち上がった。表情がそれまでと変わっていた。


「許さない。許さない」


 味方と信じていた者たちと戦わなければならないこの状況に戸惑いを感じていた彼らが、いまは怒りに我を忘れていた。


 リンドウの兵がアゲハに襲い掛かった。

 嘆きながら、泣きながら。


 いくら嘆いても戻ってはこないもののために、彼らは自分の命を惜しむことをやめた。


 過酷な環境にあってもリンドウ丸の人間が人間でいられたのは、ロッテおばさんのおかげだった。


 リンドウ船団をつなぎとめていたものは、ヒメネス博士のカリスマ性でもなく、歴史を取り戻すという崇高な使命感でもなく、ひとりのふくよかな女性の笑い声と彼女が作ってくれたおにぎりだった。


 この合戦の戦況推移はのちに多くの学者によって細かく分析、研究されている。それによると21時過ぎまでは完全にアゲハ優勢であった。


 アゲハの将エスカミーリョ・ムニョスによるアゲハ号のリンドウ丸への体当たり。そしてそこからの移乗攻撃により、リンドウ丸艦内はおよそ50%がアゲハ兵により制圧されていた。


 ヒメネス博士直属の騎士グスタフ、そして高桑モスコミュール(通称みゆみゆ)など、高い戦闘能力を持つAIヒューマノイドたちの奮戦により、リンドウ側にも局地的な勝利はあったものの、全体としてはアゲハの優位が動くことはなかった。


 それがひっくり返った。

 たったひとりの女性の死によって。


 ロッテおばさんが死亡しなければ、アゲハは勝っていただろう。


 アゲハ兵が非戦闘員であるロッテおばさんを意図的に殺害したと断定できる根拠、痕跡はない。流れ弾による不幸な事故だった可能性も大いにある。

 だから、人の道を外れたアゲハの振る舞いが運命のいたずらを引き起こしたなどという教訓を得ることすらも我々にはできない。

 それはただの偶然だった。


 戦況がはっきりと変わり、追い込まれるアゲハの兵士たち。

 自分の船に逃げ帰ることができたものは幸いだった。


 この時間帯にアゲハ側では多数の死者が出ている。海に落ちて行方不明となったものも多い。

 一方でこのときリンドウ側でも多数の負傷者が出ている。恐れのタガが外れて斬りかかった結果だった。


 アゲハ号で数度の大爆発が起きた。リンドウ兵の攻撃によるものだった。


 海上の戦艦リンドウ丸に体当たりしたアゲハ号は密着した状態が続いていたが、後退してリンドウ丸から離れた。


 もともと海に浮かぶことは想定されておらず、さらには大きな損傷を受けた赤く美しいアゲハ号はゆっくりと昭和34年の太平洋に沈み始めた。


 憐憫の情を込めて、もういちど記す。


 その悲劇はただの偶然だった。

 我々は何の教訓を得ることもできない。


 ユキナガとハツはリンドウ丸の側からその様子を見ていた。

「アゲハが沈む」

 ベスパのハンドルを握るハツがつぶやく。


 夏目ユキナガがパートナーであるAIヒューマノイドの田中ハツに告げた。

「ハツ、ムニョスを助けに行くぞ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ