第72話 乱戦
1959年(昭和34年)6月25日。
日本時刻18時。
日本近海の海上に布陣するリンドウ船団。空中のアゲハ船団。
この日の昼過ぎに始まった双方の砲撃戦は激しさを増していた。
20世紀のレーダー系は後年のものに比べれば未熟なものであったが、それでも各国が彼らの戦闘を察知した。
アゲハ船団より日本政府に向けて、これはあくまでも私戦であり、近隣に迷惑はかけないので静観してほしいとの通告が出ている。事前に用意していた言葉だったろう。
日本政府からは『分かったけど、ここから先に侵入したら攻撃するぞ』というラインが提示された。
この状況は何かの間違いではないか。いったん立ち止まっておたがいにちゃんと確認するべきではないか。そう躊躇するものはリンドウの側に多かった。
航空機も出撃していたが、どちらも激しい弾幕にさえぎられ、敵艦に近づけない。
18時25分、旗艦リンドウ丸が左舷に被弾。底部を損傷。
そのときハツはリンドウ丸船内の広くて薄暗い場所にいた。動けない状態。
ヒメネスの秘密を知っているハツは彼女に捕らわれたが、戦闘が始まり、ヒメネス博士やグスタフはハツにかまっている場合でなくなって艦橋に戻った。
ハツはひとり両手を縄で縛られ、吊るされていた。
ここはずいぶんと広い。ためしに「わあ」と声をだしてみたら、思ったより響いた。
リンドウ丸から砲撃する音が、ここにいても途切れることなく聞こえる。
ひときわ大きな音がして、船が揺れた。吊るされているハツは衝撃で少し振り回された。
少しすると、遠くないところからざばざばと水の音が聞こえだした。あきらかに聞こえちゃダメな類の音。
ハツのいる薄暗い場所の床に水が流れてきた。
「リンドウ丸の底に穴が開いた」
浸水。
水の量がどんどん増してくる。ハツは身の危険を感じた。
「いや、でも、船が沈んじゃうから水は外にだすよね」
どこかで重い音が聞こえた。ゆっくりと巨大な扉が閉まり始めたような音だった。
「なるほど、この区画をあきらめてこれ以上の浸水を防ぐのね。あきらめられちゃったぜ、ひゅー」
辺りを見回しても、人が来る気配はない。ここにハツがいることなど、もはや誰も覚えていないかもしれなかった。
パートナーのユキナガは船の外にいるはず。そしてたぶん、彼は二度と戻ってこない。
ここまでのようだ。ハツは目を閉じて、自分の最期を悟った。
なんだかな。
リンドウ丸への乗船を決めた時、覚悟はしていたつもりだったが、ここまでひどい目に会うことになろうとは思っていなかった。
しかし、誰を恨めばいいのかが良く分からない。
格納庫には小型の時空移動船があった。機関室での仕事中に、他の乗組員たちの作業を観察していた。たぶん自分にも操作ができる。
それに乗って未来に戻りヒメネスの計画を暴露する。そう言って脅す選択肢も考えていたが、実現しなかった。
もはやなすすべが無いのならば、楽しかったことでも思い出して時間をつぶすとしよう。
心残りはあるけれども。
ハツはAIヒューマノイドという道具として生まれ、誰かの役に立ちたいと願った。少しだけはそれが叶った。
そして今こうして、もっと働いてみたかった、もっとそばにいたかったと思いながら朽ちていく。忘れられていく。
「こんな気持ちになるんだね、お兄ちゃん」
水はますます流れ込む。空気が冷やされていく。大きな音がやむことなく響く。
船がまた少し揺れた。浸水のせいだろうか。それともまた攻撃が当たったのだろうか。
最期の景色をハツは静かに見つめていた。さようならこの世界。名残惜しいよ。
そのときだった。
ハツ。
遠くで声がした。ここにいるはずのない人の声。
幻聴だろうとハツは思った。その声が聞こえて嬉しく思った。
「ハツ、いるか!」
今度ははっきり聞こえた。近づいてくる。
「ユキナガくん!」
ハツは大きな声で彼の名を呼んだ。
ユキナガがオレンジ色のベスパに乗って現れた。猛スピードで走る。こちらに向かってくる。
水の深い場所を避けて、斜めになった側壁にそって駆け上がるように。
ベスパが水をかき分けるしぶきの軌道は、まるで勇ましい龍のようだった
ユキナガはハツのもとへたどり着いた。
「大丈夫だぞハツ」
彼は足を海水に浸しながら、必死にハツの両腕の縄をほどく。
「乗れ、早く!」
ユキナガがベスパのハンドルを握り、ハツが後ろに乗った。彼の背中にしがみついた。
ベスパが甲高いエンジン音を鳴らして水浸しの通路を疾走した。
閉まりきる直前に、二人の乗せたベスパが大きな扉をすり抜けた。
「あぶな、ちょっとかすった!」
ユキナガは触って自分のつんつん頭の無事を確認した。そしてハツのほうを振り返り笑顔を見せた。
リンドウ丸が、浸水に対する処置として左舷第3ブロック閉門を完了したのは、19時1分との記録がある。
東京では天覧試合が始まったころだった。




