第71話 苦悩
「……え、何を言っている? そんなバカなことがあるか」
ユキナガは自分の聞いたことが信じられない。
数百年さきの未来から、この昭和30年代の世界にタイムスリップしてきた二つの大船団、リンドウとアゲハ。
協力して失われた歴史を取り戻す大事業に取り組むべき彼らが、時の果ての世界で戦いを始めた。
アゲハ船団最高司令長官ムニョスのもとにその報が届く。
「男爵、至急アゲハ号にお戻りください」
「もう俺が戻ったところで止めることはできない……が」
「ムニョス、あんたまさかアゲハ号に戻るのか?」
ユキナガとムニョスがいる後楽園球場ではこれから伝説の天覧試合巨人阪神戦が行われようとしている。二人はこれから試合観戦。試合後に二人とも失踪するひそかな計画。
「……いや、戻らない。俺はアゲハの運命をかけた戦いの場にいなかった愚かな将として歴史に名を残すだろう。でもそれはもはや俺には関わりのない歴史だ」
「そうだな。そう考えるべきだ、僕たちは。しかし、こんなことが起こるとは。まさかどちらかが滅ぶまでやりあう気はないんだろ? 小競り合いで終わるよね?」
ムニョスはユキナガの問いに何も答えることができない。
「うそだろ」
ユキナガの脳裏にたくさんの顔が浮かんだ。ヒメネス博士、ミユ、ロッテおばさん、一ノ瀬アン、それからハツ。
ムニョスは両手を広げておどけた。
「君もこんなのは初めて見るだろ。よく見ておきな。これが自分のいないところで勝手に戦争を始められた大将の顔だ。こんな状況になったら美しい責任感で戻るやつもいるだろうさ」
ムニョスは従者に向けて明るく笑顔を見せた。
「報告ありがとう。悪いが俺と夏目殿は戻らない。ここで野球観るから、みんなでがんばって良きようにしてよ」
それからユキナガに向かって「俺ってさいあく~」とささやいて笑った。
ユキナガが所属するリンドウ側からも、形式的に一人同行していたが、彼はすでに自分だけリンドウ船団に戻った。ムニョスが引き留めている状況で、ユキナガを連れ戻すことはできなかった。
試合開始の時刻が徐々に近づいてくる。長い間あこがれていた試合。日本のスポーツ史の分岐点。
ムニョスがグラウンドを見つめながらつぶやく。
「俺は、俺を勝たせるために割り切った判断をすべきなんだ。情に流されるべきではない」
彼の言葉に、そのとおりだとユキナガも思う。ましてや一乗組員にすぎないユキナガがもどったところで何が変わるわけでもない。
もういちどアゲハの従者がムニョスに声をかけた。その後の戦況。
リンドウの護衛艦バルミューダ撃沈。戦闘は徐々に拡大。リンドウ丸とアゲハ号双方が被弾、損害を受けている。
グラウンドでは試合前のシートノックが始まっていた。
「あのショートうまいなあ」
ムニョスの表情はうつろに見えた。
「プロ野球史上一番うまいショートはこの人じゃないかって、100年先まで言われる選手だよ」
ユキナガが教えた。ムニョスが見たのは、吉田義男の守備だった。
もうすぐプレーボールだ。遠い空のほうに目を移して、ユキナガは思った。




