第66話 運命
リンドウ丸の機関室と格納庫の間にある人気のない廊下で、ヒメネス博士と彼女の夫ペドロ親方が向かい合って立っていた。
それぞれ壁に寄りかかっている。灯りはわずかで表情が良く見えない。
「どうしてもやるんだね、マリア」
「状況が硬直して、らちが明かないようだったらね」
船内には盗聴器がいくつかある。しかしここにはない。それを二人とも知っている。
「機関室の一部を爆破する。もちろんリンドウ丸の機能に影響がなく、乗員に負傷者がでないような部分を。そしてそれをアゲハによる攻撃であるとして、わたしたちは『反撃』を開始する」
ヒメネス博士は、小型の機械をその手にもって見つめていた。爆弾の起動スイッチ。
「その役目は僕がやる」
「わたしがやるよ。大丈夫、誰にもばれない」
「ばれなかったとしても、歴史に残らなかったとしても、君にそのスイッチを押してほしくない。君に背負わせたくない」
「ありがとうペドロ。でも同じ理由で、わたしもあなたにやらせたくない」
人の声がした。ヒメネス博士は起動スイッチを素早く白衣のポケットに隠した。
「博士、探しました」
制服姿の男性乗組員。
「おう、どうした。まったく女房といいところだったのにとんだお邪魔虫だ!」
ペドロが現場での口調に戻って、明るく振る舞う。
「何かあった?」
ヒメネス博士の問いに、乗員は目くばせで答えた。
ペドロ親方は、階級が妻のヒメネス博士よりずっと低い。彼には聞かせてはいけない情報のようだった。
ヒメネス博士と乗員は、ペドロから少し離れて話した。
「分かった。君は持ち場に戻れ」
話が終わり、男性乗組員が去ると、ヒメネス博士は夫の方を振り返った。
「ああペドロ、一番悪いことが起きてしまった」
「なんだって?」
「今から30分前のことだ。正体不明の飛行物体が、リンドウ船団の近郊に現れた。リンドウの偵察機がこれを追跡、相手はこちらの呼びかけに応じず、挑発と受け取れる行動を繰り返した。こちらの偵察機は警告射撃を行い、それに対して正体不明機は実弾で反撃。偵察機が応戦。戦闘となった。正体不明機を追撃しながら、リンドウの偵察機はアゲハ船団の領空に入ってしまった。そして……」
「おい、まさか」
「リンドウの偵察機が、アゲハの小型船を誤射してしまった。墜落したようだ」
ペドロは天を仰いだ。
「神よ、あんまりだ」
このときの『国籍不明の飛行機』の正体については説がいくつかある。
紛れ込んだ自衛隊機とも、他国の偵察機だったともいわれている。リンドウとアゲハに対抗する第三の未来勢力『アラベスク』だった可能性もある。(そもそも飛行物体は存在しなかったという説もある)
とにかく『リンドウがアゲハに攻撃を加えた』という状況がこの瞬間に発生していた。ヒメネスの想定していなかった最悪の事態。
アゲハはリンドウの先制攻撃に対して、速やかに反撃をしてくるだろうと、ヒメネス博士は予測した。
一ノ瀬アンとしての彼女がその手はずを整えていたのだから。
ムニョスが不在とはいえ、こうなると話は別だ。
「一秒の猶予もない。わたしはこのスイッチを押すよ、ペドロ。いまなら、先制攻撃はアゲハからだったと、情報を上書きすることはできる。これがわたしの運命だったんだ」
ペドロ親方はヒメネス博士を見つめた。
「マリア、愛しているよ」
ヒメネス博士はスイッチを押した。




