第44話 図書室にて
中継地である2020年代の世界に到着したころから、夏目ユキナガは日記をつけ始めた。
第三次時空遠征計画の経緯を、一スタッフの目線からうかがい知ることができる、貴重な資料とされる。
彼が愛用していたのは水牛革のシステム手帳だった。
こげ茶色でバイブルサイズ、高校生が持つにはいささか渋めの選択であったが、なにしろ彼の中身は人生二周目野球大好きうんちくおじさんである。
リンドウ丸船内の図書室に彼はよく通った。
そこではこれまでに採取した貴重な資料を閲覧することができた。
数は少なかったが、前世で好きだったいくつかの書物や音楽にユキナガは再会を果たすことができた。
それから、図書室の小さな木のテーブルで何か書き物をしている女性に出会った。
ユキナガは彼女に見覚えがあった。横須賀で一度すれちがっている。美しい娘だった。
長い黒髪を後ろで束ねている。リンドウ丸の制服ではなく、若草いろのワンピース姿だった。
「こんにちは」
「やあ、こんにちは」
娘はユキナガの視線に気づいて挨拶をした。そしてまた手元に目を移して書き物の続きをした。
もうひとつテーブルがあったので、ユキナガはそちらの席に座り、こげ茶色の手帳を広げた。
ペンを走らせていると、娘の視線に気づいた。
「いい手帳ね」
「どうも。あなたのペンも素敵ですね」
彼女の万年筆は黒い胴軸に金のペン先。茶色いキャップトップはとても品がいい。
「安ものよ」
「でもいいペンだ」
「わたし、お仕事をさぼってこっそりここに来ているの」
「熱心になにか書いているようだったけど?」
「小説よ」
彼女は照れ臭そうに笑った。
「わたしは一ノ瀬アン」
それは運命的と言って差支えのない出会いであったが、不思議とユキナガの心はそれほど踊らなかった。
ユキナガは日記の続きを書いた。
この日書いた内容は、仕事の愚痴と、それからあの勇ましいヒメネス博士のことだった。
『ヒメネス博士は時代を変える変革者としての素養を十分に備えた女性である』
『戦国時代や幕末、太平洋戦争終戦後、そしていま我がリンドウ丸が留まる2020年代など、世が乱れてそれまでの価値観が意味をなさなくなる時代であるならば、彼女のような人間はその天分を発揮することができるだろう』
『しかしヒメネス博士が生まれた時代は本来そうではない。消極的な意味合いではあっても、それまでの歴史や文化を失うことによってむしろ文明は完成したなどという、滑稽な言論がまじめな顔で語られる硬直と停滞の時代、世界である』
『この停滞した世界において彼女は自らの手で混乱を生み出し、そして自らの手で収束させようとしているようにすら見える』
『それはとても興味深く、僕はヒメネスの行く末を見届けたいと願うのである』
良くない癖であったろう。「好きになった」と、ひとこと書けば事足りるものを。




