第35話 アゲハの賢王
一ノ瀬アンは赤い光に覆われた議場の演台に立ち、高いところに鎮座する人物を見上げて呼びかけた。
賢王ムニョス。
軍服をまとったたくさんの人間とAIヒューマノイド類たちが、彼女の言葉に合わせるように目線をあげて、王と呼ばれた人物を仰ぎ見る。
ハツは隠れてこの様子をうかがっていた。
ムニョス。誰だろう? 知らない名前だ。
凡庸な女性にも思えた一ノ瀬アンは、このような場所でVIP級の人物に直接呼びかけることのできるほどの立場だったようだ。
ムニョスと呼ばれた人物の顔は見えない。大きな椅子に座って足元の人々に背を向けたまま、なんの反応も示さない。
そのかわり大きな黒い翼が羽ばたきを見せた。
ムニョスの傍らになにかいる。あれは。
「ブラックウィング」
巨大な鳥をベースにデザインされたAIヒューマノイド。
完成した時に大きなニュースとなったのでハツも知っている。
国王級、大統領級の人物を護衛するために開発された、当代最強と言っても過言ではない機種である。
人のように二本足で立ち、刃の集合体のような黒い翼を、ときおりわずかに揺らめかせている。
ここはきっとアゲハ号のトップが集まる場所。ハツとユキナガが所属するリンドウ丸と、力を合わせてこれから過去の時代を探索する彼らにとっての、何か大事な会議なのだろうか。
アンが再び芝居がかった声で叫んだ。
「偉大なる賢王ムニョス、我らにリンドウ船団の追討をお命じください。今がその時!」
「えええ!」
あまりに驚いたハツは小さな声を漏らしてしまった。
「リンドウを追討、やっつけるということ!?」
自分の声にハツは慌てた。聞こえてしまっただろうか。
たくさんの拍手がそのとき議場全体に起こった。
ハツはじぶんの声が打ち消されたことを願う。
長い拍手が静まり、アンの言葉が続いた。高らかに。
「公正な国家事業であるべき時空遠征の成果、利益を独占せんとするリンドウの横暴。あまりに利己的で邪悪なリンドウをわたしは最大級の言葉で非難します。彼らはもはやあなた様の慈悲を受けるに値しない。リンドウが受けるべきはエスカミーリョ・ムニョスの鉄槌。ここに至ってリンドウができることは、正義の意味を知り悔いることだけ」
アンの演説は終わったが、ムニョスからの言葉はなかった。
一同は彼を畏怖とともに見守るが王の言葉はない。
ムニョスは右手に長い銀杖をもっていた。
やがて彼は群臣に背を向けたままでその銀杖をわずかに掲げ、そして床を一度ついた。大きな音が場内に響いた。
今度は拍手ではなく、恐怖にも似た完全な静寂が議場を包んだ。
ムニョスのふるまいはほんのわずかなものだったが、それによりアンの上申に対する肯定の意が示され、アゲハ船団に命令は下されたのだろうとハツは判断した。
とんでもない場面に遭遇してしまった。
自分はどうすればいいのだろう。ハツは思った。
この情報を伝えるべきか。自分の所有者であるユキナガや、リンドウ船団のトップであるヒメネス博士に。
会議はおわり、地位の高そうな軍服姿のものたちの退場がはじまった。
ハツは陰になる場所を見つけて、そこにうずくまり息を殺していた。
ハツの着ているリンドウ丸の制服はクリーム色だったが、議場の壁の色に合わせて赤っぽく変化し始めた。
(カスタマイズスキル『忍たま』全開! 助けて助けて見つかりませんように)
やがて人の気配が消えた。どうやらやりすごすことができたようだ。
「ハツちゃん」
……と思った瞬間に、ハツは声をかけられた。顔を上げるとそこにいたのは一ノ瀬アンだった。
アンは無表情だった。
ハツが隠れていたことに、彼女は驚きも怒りもせずただじっとこちらを見つめていた。
そしてアンは感情のこもっていない口調でつぶやいた。
「きっとわたしがカギをかけ忘れちゃったのね。わたしってドジだなあ」




