第34話 一ノ瀬アン
どこからか低いモーター音のようなものがほんのわずかに聞こえて、自分のいる場所が大きな機械の内部であることがうかがえた。
リンドウ丸の別のエリアに移動したのだろうとハツは予測した。
船のどこかはわからない。彼女が配属された機関室のまわりとは様子が違う。
傍らには一ノ瀬アンが立っていた。
「ハツちゃんハツちゃん、大丈夫ですか?」
「問題ないです。なかなか貴重な体験でしたが」
「確かにすごかったよね」
「わたしが起因となって今の現象を引き起こしたの?」
「そうよ」
部屋の壁には、さっきと同じ通信用の受話器のようなものがあった。
二人は扉を見つけて部屋を出た。赤いほのかな灯りが連なる廊下だった。天井が低い。
ハツはアンの行くほうについていく。アンの足取りには迷いがない。
いったいこの女性は何者なのか。
アンは進みながらなにやら小さな声でブツブツと言っている。
「ワームホールを通過するときに走馬灯みたいなものが見えたのよね。脳に色々ないろいろが影響しているのかも。健康面は大丈夫かしらね?」
ワームホール。アンはそういった。
「あの、わたしはヒメネス博士の指示で来たのですが、博士はこの先に?」
「あ、いいえ、この任務はわたしがすべて担当です。なにか問題があればいってくださいね」
廊下は二人のほかには誰も歩いていなかった。
途中いくつかのドアを横切ったが人の気配を感じることはできなかった。
あまりに静かすぎて、逆にハツは不穏を感じた。
「アンさん、一応いっておきますが、わたしはいわゆる戦闘用のAIヒューマノイドではありません。もしあなたがわたしを護衛として考えているのであればお役には立てないかもです」
アンは歩きながら振り返った。
「ご心配なく。ここは危険な場所ではありませんから。あ、そうだ。あめ食べませんか?」
「あめ? ああどうも。いただきます」
包みに入った黒いあめ。ハツはそれを口に入れた。
「ハツちゃんこの部屋に入って。で、悪いけどしばらく待っていて」
言われるままに入るとそこは小会議室のような場所だった。
「じゃあ、あとで」
そういってアンは扉を閉めた。ガチャンと音がした。
扉の向こうでアンはどこかに行ってしまったようだ。
ハツは部屋の中を見渡した。
飾り気のない椅子とテーブルがいくつかあるだけの部屋。小窓もない。情報量が少ない部屋。
扉に近づいて、ハツはドアノブをまわしてみた。そして扉にカギがかけられていることを確認した。
閉じ込められたというわけだ。
ハツはふうと息を一つついた。
「上等だよ。こんなところでおとなしく待っているわたしじゃないのよ。スキル見せてやんよ」
ハツはステンドグラス柄の手帳を取り出して開いた。
いくつものスキルカートリッジ。
左手の指でキツネの顔のような形をつくる。そして人差し指で水色のカートリッジを選択した。
ハツの目が光る。キュピーン。
ハツは髪の毛を一本抜いた。それを使って、彼女は扉のカギをちょちょいと開けてしまった。
あたりを伺いながら廊下を忍び足で歩いていく。
「便利だわ、スキル『忍たま』。これもまた出典がよくわからない言葉なのだけれども」
途中で小窓を見つけた。覗いてみるとオーロラのような光の束が躍っていた。
そして遠くに白い巨大な船が見えた。
「あれはリンドウ丸?」
自分が乗っているはずの船を見つけてハツは混乱した。
「もしかして……わたしはいまアゲハ号の中にいるの?」
時間を遡る大航海に出た二つの大船団。白いリンドウ丸と並ぶもうひとつのフラッグシップ、赤いアゲハ号。
廊下の向こうからこちらに向かって歩いてくる男がいた。真っ白い作業服。リンドウ丸のスタッフのそれとは違う。
ハツは警戒したが、相手はすれ違う時に片手をあげ、気軽な挨拶をして通り過ぎていった。
「もうすぐリンドウ丸へ移動の時間だぜ。楽しみだな今夜のパーティ」
ヒメネス博士が言っていた。リンドウ船団とアゲハ船団の懇親を深めるパーティ。
行く先に物々し気な大きい空間が見えた。人が集まっている気配がする。厳粛な気配。
ハツは壁に沿って、人の目に触れないように近づいてく。
それは会議場だった。
赤い光に包まれた広間。
中央に十数段の階段があり、そのさきの高い場所に、豪奢で大きな椅子があった。
男性と思しき人物が座ってあちらを向いている。玉座のようだとハツは思った。そしてその想像はどうやら外れてはいなかった。
低い場所にはその人物を囲むように座席がならび、軍服姿の者たちがたくさん座っていた。
その一端に演台があった。
「賢王ムニョス」
その演台から呼びかける女性がいた。一ノ瀬アンだった。




