第27話 横須賀の夜
「ふたりでお祝いしないか?」
ユキナガはハツを誘ってみた。
試験に合格してリンドウ丸乗船が決まったその夜。
「いいよ」
ハツは少し考えてから笑ってうなずいた。
ここまでの道中、宿に入ってからはそれぞれ自由行動の日が多く、遅い時間までふたりで過ごすようなことはなかった。こういうのは初めてだった。
「待ってて、準備するから」
宿の入り口でユキナガがたたずんでいると、やがてハツが現れた
黒いワンピース。袖はレース地で白い腕が透けて見えた。
「お祝いでしょ。おめかししてみた」
「きれいだね」
「ありがとう」
ふたりは夜の街を歩いた。ハツがつぶやいた。
「海が見えるお店がいい」
ユキナガとハツは良さそうなバーを見つけて、入ってみることにした。
薄暗いカウンター席に座ると、横須賀の海がきれいに見えた。三日月が空に浮かび、その光が水面に反射して淡く輝いていた。
お客はカウンターにもう一組、それからテーブル席に1人いた。
カウンターの向こうの若いバーテンは二人に会釈して、それからとくには話しかけてこない。
大人っぽく着飾ったハツはこの店の雰囲気によく合っていた。
ユキナガの服装は学生服。しかし外見はハツのほうが年上に見えるので、姉に連れてきてもらった背伸びしたい年頃の子供にでも見えているだろうか。
「わたしは生まれてから今までずっとこの見た目で、あなたの中身は人生2周目なのにね」
「見た目が9割とはいうけれども、僕と君はそれに当てはまらないよね」
AIヒューマノイド向けのカクテルというものがあって、近年種類が増えつつある。
ハツはきれいなグリーンのカクテルを注文した。
ユキナガはミネラルウォーター。カクテルグラスにレモンのスライスを添えて、バーテンがユキナガの前に差し出した。
「君の運転技術は凄かったね」
「『レーサースキル』よ。びっくりしたでしょ。ほかにもいろいろな交換用スキルがあるのよ。実はね、いまもそのうちのひとつを使っている」
「そうなの? なんのスキルだろう」
「名前の由来は知らないんだけれど、デートのときに使うといいスキルと聞いたことがあった。スキル名『東京カレンダー』」
ユキナガはミネラルウォーターを噴き出すところだった。
黒いワンピースのハツが首をかしげる。
「わかるわー。それはスキルじゃないと思うけど、わかるわー」
「あ、わかるんだ。さすが博識のユキナガ」
「そんな二つ名はいらないけども」
ふたりが知っている曲が店の中に流れた。
「フライミートーザムーンだね」
「いい曲ね。わたし好き」
「この曲はいろんな歌手が歌った。でもこの世界にあるのはこのバージョンだけだそうだね」
「宇多田ヒカルという人が歌っているのよね」
「そう」
政府が行った、前回の時間遠征の成果のひとつとして、『宇多田ヒカルを発見した』というものがあった。
歴史上の痕跡が一度完全に途絶えて誰の記憶からも消えていたひとりの歌手の歌声を、人々はもう一度聴くことができた。
「『この写真の女性が宇多田ヒカルだといわれています』そんな記事を見ました」
「それなら僕も見たよ」
「あれは本物?」
「さあ、どうだろうね? 答えはこの世界の人が自分で見つけた方がきっと面白い」
ユキナガはいたずらっぽく笑った。
「あなたは心が柔らかいおじいちゃん。実はそれこそがあなたに与えられた一番のギフトなのかもしれません」
「そうなのかな。よくわかんないよ」
ハツは窓の外の三日月をみていた。
「ユキナガくん、なにかお話をしてよ」
「僕に気の利いた話はできないよ。野球の話ばかりだ」
「ふふ、いいよ、野球の話をわたしに聞かせて。あなたの好きな野球の話を」
ユキナガも月を眺めた。
「大昔にね、コーチから『月に向かって打て』というアドバイスを受けて、そして打撃が一気に覚醒した人がいた。大杉勝男という人」
「不思議なアドバイスね」
「きっと技術的なことはしっかり身についたうえで、それでも殻を破れずにいた大杉さんの心を解放するために必要だった最後の一言のように思う」
「ああ、そういう感じは分かる気がするかも」
「その人はホームランバッターとして時代を代表する選手の一人となった。晩年に、ホームランのすごい記録を達成できそうだったんだけど、残念ながらあと1本だけ届かず引退した」
「厳しい世界ね。いまのわたしには知りようもない厳しい世界」
「未練はあったろうが彼は潔く引退を決めた。そしてシーズン最後のセレモニー。スタンドを埋めたたくさんのファンを前にして、彼は感謝とともに伝えた。足りなかったあと一本のホームランは『ファンの皆様の夢の中で打たして頂きますれば、これにすぐる喜びはございません』」
「月に向かって?」
「そうだね。きっと月に向かって」
ハツは微笑んだ。
「素敵ね」
そのころ。ヒメネス博士たちは軍の研究施設にいた。
彼女たちは、何者が大きな懐中時計型AIをリンドウ丸船内に送り込んだのか割り出そうとした。
田中ハツは懐中時計と外部との連絡も傍受していた。
そのデータから発信源は特定されたが、それは都内のラーメン屋からだった。たまにグルメ情報で紹介されるおいしいラーメン屋。
本当の発信地が分からないように、二重三重の仕掛けがされていた。
その情報を聞いたヒメネスはいらだちとともに扇子をぴしゃりと閉じた。
「バカにして。でもまあ、おいしそうなラーメン屋だから今度食べに行くとするか」
周りにいた部下たちは彼女のジョークに笑った。
グスタフも笑ったが、彼だけがヒメネス博士の暗い表情に気づいた。
(そのラーメン屋に行く『今度』などないかもしれない。ヒメネス博士はそう考えているようだ)
グスタフだけがそう思った。
彼らは時を超える危険に満ちた旅に向かう。




