昔々の『かつお』と『椿』
「えぇ?! 猫飼い始めたの?!」
驚く椿に、かつおはコクリと小さく頷いた。
「・・・そっかぁ・・・
名前は?」
「・・・・・『ポチ』」
「・・・『ポチ』???」
「うん、『ポチ』」
「ふ・・・ふぅーん・・・」
あえて何も言わない椿、確かにその名前はちょっとおかしいのだが、かつおの笑顔を見せられてしまうと、言えなかったのだ。
いつもかつおは下ばかりを向いて、顔を上げようとはしない。
授業中、先生からよく「かつお君、ちゃんと黒板見てる?」と言われるくらい。
そんな彼の素顔を、数年の付き合いで初めて見られた事が、椿にとっては嬉しかった。
かつおが『ポチ』の名前を口に出した瞬間、彼の顔はほころび、喜びと楽しみに満ちている表情のまま、真っ青な空を見ていた。
椿は、久しぶりに学校へ来たかつおを、昼休みに校庭のブランコに連れ出した。
そして、改めて飼い始めた猫の話を聞こうと思ったのだ。
教室内で聞くと、野次馬が集まって来て、自分の質問が流されてしまうかもしれないから。
かつおがいきなり愛猫家になった話は、ククラスメイトや同級生だけではなく、教師達にまで知れ渡っている。
先生達の中には、「『動物』と仲良くするより、『人間』と仲良くしなさい」と言ってくる人もいたが、かつおはそれを完全無視。
・・・それどころか、その言葉を吐いた教師は、生徒達から冷ややかな目で見られる始末。
話が流れた当初は、半数が信じられずにいた。
何故なら、そんな噂が立つ前のかつおは、何事にも興味のなさそうな『目』と『態度』をしていた。
クラスで流行っていた『氷鬼』にも参加しない、日曜の朝に放送する『アニメ』の話でさえも、かつおは一切参加しなかったのだ。
小学校を入学した当初は、クラスメイト達も頻繁に彼へ話しかけ、どうにか輪の中に入ってもらおうとした。
しかし、かつおの無関心な態度に、いつしか誰も目を向けなくなった。
親友である、椿を除いては。
「・・・でもかつお、大丈夫なの?
今まで、猫なんて飼った事なかったんでしょ?」
「うん、だから今、一生懸命勉強してる。図書館で本を読んだり、お父さんのパソコンを使って
調べてみたり。
とにかく、自分だけの判断じゃなくて、ちゃんとお父さんやお母さんにも話を聞く。
でも、自分にできる事は『頑張る』つもりだよ。」
椿は驚いていた、かつおの口から、『頑張る』という単語が出てきた事に。
普段から学校を休みがちな為、仕方のない事だが、かつおの成績は学年の中では『下』の方。
クラスの中では『真ん中』なのだが、真ん中でもギリギリのレベル。
二人でブランコを揺らしながら話し合う3ヶ月程前の事、数学のテストが返された時も、かつおは『下から六番目』だった。
これには、担任もため息をつきながら、「ちゃんと毎日勉強してるの?」と尋ねた。しかしかつおは、そんな先生の言葉に対し、こう返した。
「テストの日、学校に来れるのかも分からないんですよ。
だったらどんなに勉強しても、頑張っても、無駄ですよね?」
その言葉には、さすがに先生もクラスメイトも、何も言い返せなかった。
少なからず、そんな返事をしたかつおに対して、全員は憤りを感じていた・・・が、誰も言い返す事はできなかった。
何故ならその言葉は、決して間違ってもいない、辛い事実だから。
実際、テストがある日にかつおが学校に来られたのは、小学一年生になっても一回しかなかった。
もちろん、テストは別の日に受けられるのだが、別の日にかつおが学校に来られる保証もない。
こればっかりは、かつおの両親も頭を抱えていた。
かつおは決して、そんな嫌味な言葉を両親に対して投げかけないものの、その内に秘められた苦しみや悲しみは、先生にも痛いくらい伝わっていた。
・・・そう、あの時のかつおは
生まれたばかりにも関わらず、生死を問われる厳しい世界に放り出された
『野良猫』の様だった。
しかし、そんな彼にも、自分からやる気になれる事が見つけられた。それ自体が、もう『奇跡』である。
だからこそ、皆が騒いだのだ。
「・・・じゃあさ、見に行ってもいい?
『ポチ』ちゃんを。」
「うん、いいよ。まだちっちゃいから、まだ引っ掻かれたら痛いんだけど、それでもいい?」
「もちろんだよ!」
「・・・あとさ、ポチ・・・『オス』」
「もう紛らわしいんだよぉ!!!」
かつおにとって、ポチが『オス』であっても、『メス』であっても関係ない。
『守ってあげなきゃ』と思えるような存在に出会い、実際にその難しさを知った途端、かつおの心には、今までに感じた事のない『使命感』が生まれた。
その気持ちがあるからこそ、かつおは『頑張る』という、難しい気持ちと行動へと、進む事ができたのだ。
それが、自分よりも小さな小さな命であっても、自分よりも早く旅立つ存在であっても、かつおの気持ちは決して揺るがない。




