第三十八話 大鳥圭介
「榎本さんからちらっと聞きました。敵は江差から上陸してくるだろうと。まず江差は落とされると仮定して、その後どう動くのか。私なりに考えてみたのですが、大鳥さんの見解もお聞きしたい」
「公式の軍議ではなく、あくまで内輪の会話としてですね」
「ええ」
本来であれば軍議で話されるべき話題である。
だが、榎本からもたらされた情報自体、公式と銘打たれてはいない。
事前準備として、歳三は自分の考えを整理したかったのである。
自分からまずは話す。
「見立てでは江差、次に松前を落とすとのことでした。そこからどう来るか。まずは南の松前からじりじり北上し、知内や木古内を狙うでしょう」
「十分あり得ますね」
「江差からは東進してくる。函館手前で松前からの軍と合流した後、そのまま函館攻略に取り掛かるのでは」
「ええ。私も概ねそうするだろうと思います。合わせて、函館に艦隊を回してくる。函館は陸と海の二方面から攻められる」
「こうして言葉にすると中々大変な事態だ」
歳三は渋い顔になった。
軍事学を収めただけあり、大鳥の戦略眼は確かである。
彼の考えと合致するなら、自分の考えは的を外していないだろう。
それを踏まえた上でどうするか。
「松前を死守すれば敵の出鼻をくじけますね」
「ええ。松前には四百ほど兵がいる。そう簡単には落とされないはずです」
「ならば、私も松前に出向けば?」
「……榎本さんがうんとは言わないでしょう」
大鳥はやんわりと否定した。
歳三も抗弁はしない。
予想の範囲内であった。
「松前までは遠い。私がそこまで行けば、江差からの敵に対応出来ない−−ということですね」
「そういうことです。土方さんの存在は兵の士気に関わる。この窮地に於いては、函館からあまり離れてほしくはない」
「ならば」
「恐らく江差からの軍を迎え撃つ役割をしてもらうことになります」
大鳥は立ち上がり、函館近辺の地図を持ってきた。
函館に指を置き、北西の方へ少し動かし止めた。
この辺りは小高い山地になっている。
歳三は「二股口ですか」と言った。
「ここを抜かれれば、函館は目の前です。何としても阻止せねばならない」
「山地が終われば函館平野。ここから先は進軍も容易か」
納得出来る。
自分が新政府軍だとしても、二股口を狙うだろう。
ここを抑えれば、函館の懐へ飛び込んだも同然だ。
大鳥は「まあ、私の見立て通りに進めばですが」と付け加えた。
「いえ、大変有益でした。例えこの通り展開されなくても、気持ちの整理があれば動揺しません」
「えっ、土方さんでも動揺することはあるんですか」
大鳥には意外であった。
彼が知る限り、土方歳三は常に冷静沈着であったからだ。
どんな戦場でも肝が座っているように見えた。
歳三は苦笑いして答える。
「それはします。ただ、動揺を顔に出さないようにはしている。大将が動揺していれば下の者はびびりますからね。そんな理由で負けたくはない」
「意志が強いんでしょう。いや、まったく……私はあなたが羨ましいな」
「何故です?」
「自分で言うのも何ですが、私はそこそこ軍事学を学んだ方です。皆に期待もされていた」
大鳥の言葉は誇張ではない。
江戸坪井塾で西洋式の軍事学を学び、塾頭となっている。
この学歴を買われ、幕府で頭角を現した。
三十四歳で幕府開成所の洋学教授に着任。
この後、歩兵差図役頭取、小川町伝習隊隊長、歩兵奉行を歴任していた。
旧幕府陸軍の第一人者と言っていい。
正直、歳三はこの大鳥に対して複雑な感情を抱いている。
今でもそれは零では無い。
そんな男が何を言い出すのだろうか。
「けれど江戸から軍を率いて以来、中々上手くいった試しが無い。頭ではこうすればいいと分かりはする。けれども戦場のひりつくような空気に呑まれた。大砲や鉄砲の音、剣戟の音、人の悲鳴に身体が固まった。生まれて初めて恐怖を感じたのです」
「それは、いや、仕方ないでしょう」
「ええ、人であればね。けれども私には地位があった。陸軍を率いる総督として臆病風に吹かれてはいけない。震えながら持てる知識を総動員して、兵へ指示を出した。幸運なことに幾つかの戦いには勝利した」
大鳥は話し続けた。
歳三は先を促す。
この男が伝えたいものが何かを聞きたかった。
「だが所詮、知識は知識です。人の命のやり取りの場は綺麗事だけでは乗り切れない。兵士達が過酷な戦いを切り抜けてきたのは、土方さん、あなたが支えていたからだ。今更ながらその事実を眩しく思う」
「やれることをやっただけです。私は戦うことくらいしか出来ない」
「はは、そのおかけで私はどうにか生き延びてこれたんです。いくら感謝しても足りない」
そう言って大鳥は笑った。
歳三の中でもどかしい何かが溶けた。
この男に対して感じていたもの。
遠慮と自己卑下、蔑視がないまぜになった感情だ。
"何だ、こんなことだったのか"
実戦知らずの頭でっかち、と大鳥のことを思っていた部分がある。
彼の人の良さ、飲み込みの速さは認めた上でだ。
"馬鹿だな、歳。勝手に自分で壁を作って"
向こうは歳三の働きを認めてくれている。
元新撰組副長の名など、幕府全体で見れば末席に過ぎない。
それでもまったく見下していない。
剣を振るうしか能の無い自分をきちんと認めてくれているのだ。
「今更じゃないですか、大鳥さん。私だけじゃない。あなただって慣れぬ立場でずっと軍を統率してきた。私だけではきっと瓦解していましたよ」
「土方さん」
「だから、大丈夫です。死線をくぐり、大鳥さんも実戦経験を積んだ。私に引け目を感じることなど無い。逆に私など、一歩引いた場所からの視点が無いのだし」
歳三は笑った。
作り笑いではなく、本当に心の底からの笑いであった。
気持ちがすうっと晴れていく。
もうじき迫る決戦を前にして、晴れ晴れとした気分になれた。
「大鳥さん、一緒に頑張りましょう。新政府軍に目にもの見せてやりましょうよ。地の利はこっちにある。兵数の差を覆してやりましょう」
「ええ。幕府から受けた恩義、今こそ戦場で見せねば死んでも死にきれませんからね」
歳三は手を差し出した。
大鳥はその手をしっかりと握った。
明治二年(=西暦1868年)、三月末の某日。
新政府軍との最終決戦が迫る。




