第三十七話 敗戦を噛み締めて
「甲鉄艦奪取はならずだった」
五稜郭に戻ると、歳三はそう言った。
聞いていた鉄之助は「残念でしたね」と顔を曇らせるしか出来ない。
「落ち込むことは無い。そもそも無茶な作戦だった。万が一上手くいけば、といったところだったからな」
「それはそうですが」
「もっとも、甲賀艦長が亡くなったのは……痛いな」
歳三は俯いた。
甲賀と話した回数は多くはない。
けれども信頼に足る男だったと思う。
だが落ち込んでいる暇さえ無い。
今朝、榎本から伝えられた情報が頭をよぎった。
「もうじき新政府軍が攻めてくる。函館ではなく、江差方面らしいがな」
江差は函館から見て西側の港町だ。
新政府軍は、この江差と南にある松前をまず奪取。
それから函館に攻め込んでくるだろう−−これが榎本の予想だった。
まず蝦夷共和国の手足をもぐ。
次いで頭脳たる函館を悠々と落とすということだ。
「江差にですか」
「ああ」
「そこで上陸を阻止出来れば」
「二百五十しか守備の兵がいない。難しいだろうな」
鉄之助に答えつつ、歳三は自分自身に語りかけている。
話せば話す程、彼我の兵力差が浮き彫りになってくる。
"新政府軍の兵がどれだけ来るかは分からない。だが、数千は確実だ"
翻ってこちらの兵は全部で二千しかいない。
兵力差を考えると厳しい。
というより無茶である。
一人で悩んでも仕方がない。
歳三は鉄之助を下がらせた。
"大鳥さんとでも話すか"
ふと思うところがあった。
その日の午後、歳三は大鳥圭介の部屋を訪ねた。
陸軍奉行である大鳥は歳三の上役にあたる。
江戸以来、旧幕府陸軍を共に率いてきた仲でもある。
「急にすみません」
「いや、別に構いませんよ。私も今日は暇ですから」
ハハ、と大鳥は笑った。
暇なはずが無いが、この男なりの冗談かもしれない。
反応に困っている内に、部屋に通された。
部屋の中央に小さな丸机がある。
その上に書類などが置かれていた。
ここで仕事をしていたらしい。
陸軍奉行の割には質素な部屋であった。
その机を挟んで向かい合うと、大鳥の方から口を開いた。
「残念でしたね。難しいかとは思っていましたが」
責めるような口調ではない。
淡々と思うことを噛みしめる。
そのような口調だった。
「ええ。やるだけのことはやったつもりでも、失敗しました。力が及ばなかった」
「土方さんのせいではないでしょう。暴風雨による高雄の喪失、蟠竜の故障があった。運が無さ過ぎた。むしろ土方さんは奮闘されたと聞いています。甲鉄艦に飛び移り、何人か倒したと」
「一矢報いただけです。戦況を覆せるはずもない」
歳三の本音である。
戦とは事前の準備で決まる。
その鉄則に従えば、やはり今回は負け戦だ。
甲鉄艦を奪い、制海権を取り返す……夢のまた夢であった。
歳三の反応は予想していたのだろう。
大鳥は頭を振った。
「やれるだけのことをやったなら悔やむべきではないですよ。私などただ船に乗っていただけだ。何にも出来なかった」
「……」
「生きて函館に戻ってこれた。それだけでも良しとしたいと思います、今はね。ところで茶でもどうです?」
「いただきます」
「では少々待ってください」
大鳥は隣室に消えた。
数分後、盆を片手に戻ってきた。
湯気の立つ西洋茶碗が二つ乗っている。
「榎本さんは珈琲派ですが、私は紅茶派でして。どうぞ」
「すいません。いただきます」
礼を言い受け取る。
爽やかな香気が立ち上った。
「良い香りですね。日本茶とはまた違う」と歳三は素直な感想を口にする。
「茶葉を発酵させるとこうなるそうですよ。私も詳しくは知りませんがね。どうぞ、お好きなように飲んでください」
「それでは遠慮なく」
勧めに従い口をつけた。
最初に渋み、次いで香ばしさが舌に乗る。
日本茶に似ている部分もあるが、少し異なる。
全体的に深みがある感じがした。
「風変わりですが、中々美味しいですね」
「それは良かった。本当は砂糖を入れるといいのですが、物資不足でね。そのまま飲んでいます」
大鳥の言葉は事実である。
砂糖は貴重品であり、値が張った。
いわゆる贅沢品だ。
旧幕府軍の懐は乏しく、余裕は無い。
むしろ紅茶があるだけ恵まれていた。
歳三もそのあたりの事情はよく知っている。
「いえ、お心遣いだけで十分です。それに私のような粗野な人間には贅沢は似合わない」
「粗野なのですか?」
「ええ、根っからね。大鳥さんもご存知の通り、私はただの喧嘩師です。新撰組の頃は壬生狼と呼ばれた。あの頃は京都の人に嫌われていたものですよ」
歳三は懐かしむような目をした。
新撰組として京都に初めて赴いたのは、約五年前である。
あの頃からどれほどの戦場を渡り歩いてきただろうか。
いや、それは大鳥も同じか。
過去の回想から目を覚まし、現実と向き合う。
「止めましょう。昔を振り返るのは」と歳三は笑った。
合わせて大鳥も微笑した。
「そうですね。年寄り臭い真似は今することではない。そろそろ本題に入りませんか。土方さんも世間話に来たわけじゃないでしょう?」
「ええ。新政府軍のことについて、大鳥さんの意見を聞いておきたく」
そう言って、歳三は紅茶を一口飲んだ。
じん、と温かさと香りが喉を抜けていった。




