03
一通り食事を終えた彼女たちは、先に取っておいた宿に赴いた。
マシーネは、それなりの国土を持っている。有体に言えば、広い。
アイリスたちはマシーネにまでは馬車で移動しており、そしてその馬車はマシーネ入口付近の森の前、そこの馬車の停留所に止めてある。
そして、馬車はその森を通過することが出来ないのだ。
森自体の通路が整備がされていない訳ではないのだが、馬車では通過できないようになっている。
早い話、アイリスたちはこのマシーネを徒歩で移動するしかないのである。
勿論、この国の馬車を借りるということも、出来るといえば出来る。
が、馬車は高い。特に、ここマシーネの場所は。
借りるだけでも、十分高い。徒歩で移動し、本来馬車であれば必要のない宿に泊まったとしても、それでも尚、馬車を借りるよりかは安く済むのだ。
元々のトレニアの用事はマシーネの中の何地域かに赴くもので、そこに数日間掛けて徒歩で行くものだ。
今現在、白騎士部隊の二番隊に、それ以外の任務はない。だからして、隊長と副隊長であるトレニアとアイリスは時間を掛けてマシーネを渡るのだった。
ここで重要なことは、件の男を連れて行く予定の研究機関は、今彼女達が居るところからそれなりの距離があるということ。
そして、彼女たち、主にトレニアは、マシーネの各地で用事を済まさなければならないので、真っ直ぐにその研究機関に行けない。
つまり、男と彼女たちは、暫く行動を共にしなければならない、と言うことだ。
「それはいいんですけど……」
一通り情報を整理して、アイリスは呟いた。
ベッドが二つに小さい机と椅子が一組だけある、比較的質素な部屋にアイリスは居た。
今、この部屋に居るのはアイリスとトレニアのみ。
流石に年頃の女性と一緒に宿泊するのは拙いと、件の男、ショウは別室だ。
宿に入り、軽い行水で身を清めたアイリスは、ベッドの上に行儀良く座りながら己の髪を櫛で流していた。金色の長髪がきらりと輝く。
「その髪の毛は高く売れそうだ」
同じくベッドに座り、その様子を横目で見ていたトレニアがからかう様に言うと、アイリスは呆れた様に首を振った。
「死んでも売りません……ところで」
「どうした?」
「いえ、少し疑問に思って」
アイリスは改めてトレニアと向き直った。
少女はじっと目の前のトレニアを見つめる。その視線を受けた彼女は、いつもの飄々とした様子で肩を竦めた。
言ってみろ、そうトレニアは促した。
「隊長、何を考えているんですか」
「何をって、なんだ」
「とぼけないでください。貴女は無償で人助けするような人ではないでしょう」
射抜くような視線と共に言われたトレニアは、しかし気を悪くした様子は微塵も見せず、シニカルに笑った。
「ひどいな。私だって騎士の端くれだぞ」
「端くれどころか隊のトップじゃないですか」
「そう言えばそうだったな。私は隊長だった」
そう言い、今度はケラケラと笑うトレニア。
青い髪を軽やかに揺らして、殊更楽しそうに、女隊長は口角を上げて笑った。
その佇まいを受けてアイリスは、ああ、これは駄目だ、と心中で溜息を吐いた。
(この人にペースを掴まれたら、話が進まない)
アイリスは、同年代の者と比べれば、精神的にいくらかは練熟している。
エーロシルの中でも名門に数えられるステラホワイト家で育ち、また騎士部隊の連中に揉まれた彼女は、内面が大人びていると言える。
例えば誰かと論弁することになったとすれば、年上と対峙したとしても、己の主張をきちんと述べることが出来るだろう。
しかしだ。
(隊長に口で勝てる気がしない)
トレニアはまた別格だ。
口が立つ、とは少し違い、なんと言うか、話をはぐらかすのに長けている。
彼女は曲者揃いの騎士部隊・二番隊を統べる隊長である。
そもそも、その二番隊で誰が最も曲者か、と聞かれれば、恐らく、誰もが満場一致でトレニアを挙げるだろう。
それ程、トレニアは自由で、底が知れず、だからこそ、皆が彼女を慕うのだ。
癖は強く、利己的な部分もある。だが、仲間想いでもあり、部下想いでもある。
そして、他の部隊員と同様に、アイリスもまた彼女を慕っていた。
慕ってはいたが、それでも、聞きたいもの聞きたい。知りたいものは知りたいのだ。
よって、アイリスはトレニアのマイペースには付き合わず、己の気質を、持っている心柄をそのままぶけることにした。
愚直。邁進。アイリスは常に自分の想いを伝え、また相手の想いを知って、互いに解かり合いたい、そう言う信条の騎士なのだ。
真っ直ぐに輝く瞳を、臆面もせずトレニアに向ける。
一拍、短く息を吸い、言葉を吐いた。
「……私は隊長を尊敬しています。騎士として、と言うよりも、人として、です」
トレニアは、とにかく対人関係のバランス感覚が優秀だった。
そして、それはアイリスに欠けている物でもあった。
だから、彼女はトレニアを慕っているのだ。ともすれば、そのセンスを羨ましいとも思っていた。
「……貴女が居なければ、私は今以上の世間知らずな子供でしたでしょうし、貴女が居なければ、私は隊に馴染むことも出来なかったでしょう……今の私がいるのは、隊長のおかげです」
ゆっくりと、有りの儘の情感を吐露するアイリス。
その顔には、穏やかで優しい微笑が添えてあった。
見る物全てを魅了する、少女の暖かい笑みと感謝の言葉を受け取ったトレニアは。
「だろ? 私は凄いんだ。もっと褒めろ」
人を食う笑みを返して、何時もの様に豪然としていた。
アイリスの賛辞に心を動かさず、全くもって何時も通りのトレニア・フルリニエリだった。
だが、こう来るのはアイリスも予想していた。
彼女はそのまま目を逸らさずにトレニアに問う。
「隊長の美点を知っている上で言います。貴女は、そんな人じゃない……何故、あの人との同行を決めたのですか?」
あるいは、それは無礼な問いかけなのだろう。
己の上司に、『人助けはらしくない』と真正面から言っているのだから。
しかし、アイリスはそれしか出来ないのだ。
会話の駆け引きが得意ではなく、ただ相手と目を合わせて想いを交わす事しか出来ないのである。
これを回避されたら諦めるしかない、アイリスは変わらず、煌く瞳を持って、トレニアの双眸を捉え続けた。
「分かった分かった。お手上げだ」
先に折れたのは、トレニアだった。
アイリスはホッと胸を撫で下ろし、トレニアは美麗な白指で己の頬を軽く掻いた。
そこまで大仰な意味はないんだがな、と前置きをしてから、トレニアは言う。
「ま、一つは単純な興味だな」
「興味……?」
「お前、あの男を見てどう思った?」
「どう、と言われましても……」
形の良い顎に手を当て、アイリスは逡巡した。
どう思うか、と言われても、見たまま、話したまま以上のことは思わなかった。
異物、小奇麗な格好、男の人にしては少し髪が長い、元の世界には執着していない、笑みを絶やさない、気が利く、よく分からない仕事をしてる、この程度だ。
しかし、トレニアは思うところがあるらしい。
捉えどころがなく、常に自由なこの隊長が興味を持つ切欠が、あの男にあると言う。
「あいつ、ちょっとおかしいぞ」
トレニアは平素ではあまり見せない真面目な顔で、そう言った。