43.
7/25...終盤部分を追加。
凍ったようにかたまったクモと、絶対に引かない雰囲気のリーゼを交互に見て、ギギはぽんと手をたたいた。
「あー、えー、俺、買い物に行ってくるね。飯とか着替えとかっ! 宿の人達に騒がせたお詫びもしないとだし~」
本当の名前。そりゃ確かに、クモはクモという名前じゃないんだろう。どこぞのお姫様がぴったりだが、人の秘密はたいがい高くつく。
「ぎ、ギギさん、わたしも行きます!」
「へっ!?」
「そんなわけないでしょ。ギギ、行くなら早く行ってきて」
ベッドから降りようとしたクモを、リーゼの冷ややかな声が制止する。同情的な視線を投げつつも、ギギはそのまま部屋をあとにした。
「で?」
扉の閉まる音を聞きながら、リーゼは腕を組んだままクモを見下ろす。
「これまで黙ってたのは、理由があったからだってことはわかるよ。でもまだ言えないの? 謝るんだったらそこらへんも話すのが筋ってもんじゃないの?」
返事に詰まり、クモは表情を歪めた。
しばらくリーゼと無言でにらみ合うが、徐々に視線を外し、そのまま顔をそむけてしまう。
「そう。おれ、自白の時間はあげたからね」
「……じ、自白?」
不穏を感じ取ったのか、クモの赤い目がこちらを向いてうかがってくる。黙っていればつんとして見えるのに、簡単に感情が表れるクモは、リーゼからするとずいぶんと無邪気に思える。
「おまえは、ユーラ=ファルデンなんだよな?」
クモが、ベッドから落ちた。
「は!?」
なんでそうなる。リーゼも驚く。背後の壁があるのも忘れて飛び上がったらしい。安い寝台は、クモひとりの動きでも簡単にずれて彼女を隙間に落としたようだった。後ろ頭を抱えて涙ぐむクモに、ため息をつく。
「ほんと変なやつ……だから、おまえはリルザの妻なんだろ。で、ウィヤンは……」
「違います!」
隙間にはまったまま、クモはふとんに隠れてクモはリーゼの言葉を遮る。
「なにが」
「違うの、違うんです、ごめんなさい!」
「それじゃわかんないの! もー、おまえ、ほんといい加減にしろよ!」
「きゃああああ!?」
ふとんを引っ張ると、クモは悲鳴を上げた。引っ張り返して抵抗してくる。
「ちゃんと話を聞け!」
「き、聞いてるっ……」
「聞いてないだろ! 今のでわかった。おまえはユーラ=ファルデンだ。名前を言われて、否定するだけで戸惑いがなかった」
それまでは確信はなかった。容姿も所作も納得できるが、振る舞いは青の深窓の令嬢にふさわしくなかった。侍女の真似事はともかく、下女のように膝をついて掃除や洗濯をすることにためらいがないのは、リーゼにとっては考えられないことだった。
クモの、ユーラの表情にあきらめが浮かぶ。
「で。おまえはウィヤンとどういう関係だったんだ。あれだけ執着されてるんだから、なにか言ってないことがあるんじゃないのか。別に怒らないから正直に言え」
加減せずふとんを引っ張ると、クモの手がふとんから外れる。そのままうしろに投げ捨てると、クモは自分の顔をおさえた。耳まで赤くなっている。
「もう、怒ってるじゃ……」
「これはおまえがちゃんと話さないから怒ってるの。内容に怒ってるわけじゃないだろ」
ベッドに膝をのせ、今度はクモをつかんで隙間から引っ張り出す。それからベッドを蹴り飛ばして位置を壁沿いへと戻した。
「悲鳴を上げながら引き抜かれるとか、マンドレイクみたいだな」
は、とばかにすると、クモは一瞬眉を吊り上げたが、結局言葉にならず口をぱくぱくとさせただけで終わる。
「別にマンドレイクって呼んでもいいけど。おまえはユーラなんだろ。なんで黙ってた? なんで謝る。ウィヤンとはなにがあったんだ」
ベッドに片足であぐらをかくように座る。
クモは否定をやめたようだった。うつむき、ぼそぼそと答えだす。
「……ウィヤン殿のことは、本当に知らなくて……あちらはわたしを知ってたみたいだけど、でも本当に……」
「そう。じゃあ、自分のことをリルザに黙っていたのはなんで? 信用してなかったから?」
「ど、どうしてそうなるの!?」
リーゼは肩をすくめる。
「おれも、おかしいときのおれのことは知ってる。普通、頭がおかしくなった奴に嫁ぎたいやつなんていない。だから最初はおまえもおれを警戒して、自分の身分を黙ってたのかもしれない、って考えた」
「ちがうわ!」
「うん。少なくとも今は、おまえがすっかり絆されてるってことはよくわかった。無害に見えたのかもしれないけど、自分より弱そうって思った相手に対して一瞬で警戒解くの、危険だって覚えて」
見た目に反して、情が深いということはよくわかった。呆けたリルザを放っておくことはできなかったんだろうと。
「おまえがクモでも、ユーラでも、ウィヤンのところに行きたいわけじゃないんだろ?」
「あっ、当たり前です!」
「じゃあちゃんと家に帰してやるから、協力して。おれが知らなかったせいで後手にまわったりしないよう、隠さず全部話して」
小さく息をつく。クモ――ユーラの糸で巻かれた手を見る。
「次は、ほんとこんな怪我じゃすまないよ」
自分でやったからと言ったが、こんな真似をするほど追い詰められたことが問題なのに。
ユーラは、はっと目を見開いたあと、しおれたように身をちぢこめた。
「……ごめんなさい」
謝罪を受け入れる気にはならなかったが、反省はしているように見え、それには少し溜飲が下がる。待っていると、ユーラはゆっくりと話し始めた。
「黙っていたのは……参の城で、リルザ様にとって、わたしは毒なんだな、ってわかったから……ユーラより、クモの姿のほうが、リーゼがいやがらなかったから」
言ううち、声が少しふるえて、ユーラは薄くくちびるを噛んだ。
「謝ったのは……だって、リルザ様の状態をわかっていながら、無理に嫁いだりして……しかも、わたしのせいで赤にさらわれて、あげくに、い、命までって、もう、ひどすぎてっ!」
「確かに……」
改めて聞くとろくでもない。つい正直に口に出る。
「ごめんなさい――!」
「ああ、うるさい……嫁いだのはそっちのせいじゃないでしょ。なにがあったにせよ、陛下がうなずかなかったらありえないことなんだから」
一瞬、暗い感情がしのびよったが、頭を振って追い出す儀式をする。
「おまえが謝ることじゃないし、それより泣いたり騒いだりしないで。しゃべるなら静かにしゃべって。女のうるさい声はきらいなんだ」
リルザでなくても、それは変わらない。多少はましなのか。
「……きらいなのは、声だけじゃない、んだよね?」
「ん? うん。女も弱いやつもいやだ」
立ち上がり、投げ捨てたふとんを回収する。
「簡単に傷つけられるじゃん。見たくない。ざわついて落ち着かない」
女は気持ちが悪い。単純にいなくなればいいと思うが、傷つけられた姿はもっと見たくない。
「ああでも、女も別に強いやつならいいのかな……」
ザナクーハの屋敷にいたラジー。窮地にあっても、相手を睨みつけて悲壮感のかけらもなかった。
「なに」
ユーラがこちらを凝視していることにやっと気づくが、ユーラはなぜか小さく笑みを浮かべており、ぷるぷると首を振った。
いい匂いが漂い、かと思うと「ただいまー」とギギが戻ってきた。
***
ユーラが着替えを終え、3人は軽食をとる。食べるのを面倒がるリーゼに、ユーラはやいのやいのと騒ぎ、リーゼはしぶしぶ卵の挟まれたパンを食べた。
「このあと、どうするの?」
「すぐ出る。ザナクーハの屋敷に戻る」
その返答は、ギギにとって意外だった。ウィヤンからユーラを取り返したとはいえ、リルザの左手の呪いは解けていない。
「いいの? ウィヤンがどこへ行ったかわからないけど、ザナクーハの屋敷へ戻ると、また追いつくのにだいぶ時間がかからない?」
指についたパンくずを布でふき取りながら、リーゼは首を振った。
「おれ、ウィヤンを追う気、ない」
「なんで!?」
思わず大きな声を出してしまい、あたりを見回す。宿からしたら大騒ぎをしてしまったわけだが、今は穏やかな空気を取り戻している。
「まさか、信じてないの? それは本当にリーゼの命を奪うんだよ」
「それならそれでいいよ」
「なんで!? いいわけないだろっ!」
説明をする気はないらしい。面倒だから踏み込むなと、リーゼはそれを器用に表情で表してみせた。こいつのこの、鬱陶しいぞオーラには、負けてなるものかとギギは思う。
「おれ、リーゼ死ぬのやだよ!」
リーゼが噴き出した。
「まったく、おまえはずるいなあ」
「ずるくないよ、もう。今俺必死なんだよ、誰のせいだと思ってるんだよ?」
「おれのせいか。ごめん」
素直に笑って謝られるのも落ち着かないものだと思っていると、ユーラが真剣な表情で話しかけてくる。
「あの、ギギさん」
「あ、はい!」
「ウィヤン殿は、ヒントはギギさんに聞くように、と言いました。どうか、協力してもらえませんか?」
ギギは、少しうつむき気味の険しい顔をしたあと、顔を上げてユーラを見た。
「まずさ」
「は、はい」
「ギギ、でお願いします」
ユーラはきょとんとまばたきをする。
「さんづけで呼ばれるの、ほんっとうに苦手なんだよね。ケツがむずがゆいというか、あ、ごめんね、女の子の前で。あとね、敬語もいらないよ。俺はほら、気づいてると思うけど、闇術師、だからさ」
おどけたように話すのは、ギギの性だ。そのほうが相手が打ち解けてくれることが多いし、なんなら少し侮られるほうがやりやすい。
けれどユーラは、表情を曇らせた。
「あ、あれ。やっぱり闇術師とか、言わないほうがよかった? ごめんねえ、でも俺もうクモさんに悪いこと絶対しないからさ……」
闇術師は、下賎な者、禍々しく不吉な者として扱われる。隠しておけるなら隠しておくが、すでにユーラには何度も術を見せてしまっている。
「でもあなたは、正統な闇術師なんでしょう?」
「……へ?」
「闇術を使い続けると、やがて右目を奪われる。右目の次は、右の耳。耳の次は、指。闇術師は、右から失う。だから左利きの人間には気をつけなさいって、わたしの国では子供は小さい頃に右利きに直されるの。ウィヤン殿の右目は、少し淡くなりはじめていたわ」
ユーラは、ギギの目を見る。
「でも本当は、正統な継承者である術者が使えば、闇の精霊は何も奪わないんでしょう? だから、あなたは何度も使っても、両の目が綺麗なままなんでしょう?」
光はあきらめず。風はとどまらず、水はあらがわず、大地は忘れず、炎は赦さず、そして、闇は求めず。闇の精霊は、無であり、死であり、本来何も求めない。
人間が闇の力を求めるとき、彼らは代償を求める。
ただし、精霊には古き神々との約束がある。己の加護下にあるものが望んだそのときだけは、無から有を生む奇跡を、与えられる。
「闇術は、善き心の持ち主にしか継承されない。あなたは、師である方から、危険な使い方ができる闇の術を正しく使える人だと認められ、精霊との交渉を学び、そして闇の精霊に認められた人なんでしょう?」
人の心に唯一作用できる闇術は、大陸で禁じられ、学ぶだけで石を投げられる。
「……わたしの友達に、精霊について詳しい子がいて」
――つまりさ。ほんとうの闇術師は、善き心の持ち主なんだよ。
闇精霊のやつらは、怠惰も司り、無を基本とする。つまり、ものすごい面倒くさがりだからな。そんなやつらの腰を上げさせるのは、よっぽどの善き心、古き神々に愛される気性のやつだけなのさ。
「ずっと思ってたの。みんなに嫌われる本当の闇術師の人に会ったら、わたしは知っているよって、伝えたかったの」
こんなことは、口にすることも許されない。
「ど、どうしよう、俺、こんなこと言われたのはじめて」
「なんでそこまで、自分をさらった人間を信じられるんだ……」
「……リーゼも、信じているように見えるわ」
上目にリーゼを見ながら言う。リーゼは眉をひそめたが、なにも言わなかった。
「ごめんねえ、クモさん。さらったりして。自分でも嘘くさいと思うけど、本当にそう思ってるんだよ」
「わたしのことも、クモで」
「ほんと? 助かった、さんづけするのも苦手なんだ。じゃ、ちょっと俺の話もいいかな?」
こほん、とギギは少しおどけたように咳払いをした。
「えーとですね。俺、呪いがちゃんと解けるまで、ふたりについていこうと思いまして」
ユーラがありがとう、と言いかけるも、いやそうな顔のリーゼが遮った。
「いいよ別に、おまえは来なくて」
「あ、あ、やっぱりそう言うと思ったんだ。でも俺、役に立てると思うよ、闇術なら詳しいし、それにウィヤンのこともよく知ってるから」
「だからだろ」
ギギとユーラは、揃ってリーゼの顔を見る。
「あいつは命かけてクモを狙ってる。あいつの天秤がわからなくて、おれは出し抜かれた」
はじめて会った時、ウィヤンは、自分のわがままで周りの人間を巻き込むことがいやだと言った。その気持ちはリルザにはよくわかるものだったし、本音だと感じた。そのうえでユーラを欲するとは、思わなかった。
「おまえはいいやつだ。それって、自分がかわいそうだって思ったほうに傾くってことだろ。そんなやつ、いつ裏切るかわからない。近くに置きたくない」
「きっついなあもう、リーゼは」
話は終わりとばかりにリーゼは顔を背け、片付けを始めてしまう。
「そうだなあ。確かに、俺、今もウィヤンのこと好きだよ。子供の頃から優しくしてくれたからかな」
ウィヤンはずっと優しかった。カルアにはもちろん、自分にも、他の人間にも。
「俺さ、父親が罪人なんだよね。いろいろあって子供の頃にウィヤンの親父さんに買われてさ。で、それまで罪人の子で闇術まで継いでて、人として扱われないのが当然だったから、ここの仕事で重宝されたとき、あーここが俺の居場所なんだーって思っちゃってさ」
だから、するべきことをしなければ、と思っていた。
「でも、リーゼの言う通りなんだ。俺、本当は、自分がやりたくないことはやりたくなかったんだよね」
言葉にすると当たり前すぎて、笑ってしまう。
ぱっと顔を上げる。動きを止めてこちらを見たリーゼに、ギギは改めてにこっと笑った。
「ね、これなら俺を連れて行ってもいいんじゃない?」
「は?」
「リーゼの言うことはわかったよ。つまりさ、リーゼは俺の天秤? がわかればいいんでしょ? 俺ね、ウィヤンのことは好きだけど、力ずくで自分の思い通りにしようとするのはいやだ。死んでもいいとか思ってるわけじゃないけど、あいつの目的がクモさんにとって望まないものである以上、俺がふたりを裏切ることはないよ。ほら、大丈夫じゃん!」
「クモ、拍手するな。いらっとする」
「すごくわかりやすいと思います!」
わーいやったー、と喜ぶギギにも、リーゼは舌打ちする。
「リーゼもリルザも、ガラが悪いよね……ほらほら、リーゼ、俺のこと信じられないなら、目の届くとこにおいといたほうが結局安心だと思わない? だってここで断られても、俺もウィヤンを追うんだしさー」
「あー、わかった。わかったから」
「やったー!」
リーゼはあきらめたようにため息をついた。さっきからずっと不快そうにひそめられていた眉間が戻る。眉尻が下がると、彼の雰囲気はとたんにやわらぐ。
「少しの間でもおれのそばにいるつもりなら、死なないで。おれ、近くで誰かに死なれるの、どうしてもだめなんだよ」
だから、一緒にいるやつは増やしたくないんだ。
つぶやいた言葉は、ひとりごとのように小さかった。




